-第八話- 清討伐軍の歩み

華歴二百三十三年 秋 燕北部


 季節の変わり目を告げる大嵐が荒野を吹き抜ける。

 今年の大嵐は天による北京府ほっけいふへの鎮魂でもあるのか、例年とは違い、燕の地に至っても勢力を誇っている。


 一路、遼、清の地を目指す清討伐軍も燕の北部、遼甲山脈と遼東山脈で挟まれた長細い地域で風よけを余儀なくされていた。

 

 皇帝の勅命にて興された清討伐軍、東京府とうけいふ南京府なんけいふの城兵十万を中心に、かんけいかんの五国から四十万を徴兵、更に輜重隊としてちょうの十五万が加わる総兵力六十五万の大軍勢である。

 総大将は皇帝の長子である四珠皇子、副将は東京府と南京府の将軍でもある東征とうせい将軍と南征なんせい将軍の二人。

 参謀には宰相の息子の兵部尚書へいぶしょうしょと、先々帝の甥であり、六省の尚書を司ることが許された六省文官家の姫文雀じぇうぇんちぇ兵部侍郎へいぶじろうの二人という体制である。


 「で、どうなのだ!趙王となられた三珠皇子殿下からの補給隊はまだ到着せんのか?!」

 「は、はぁ……何分にもこのような天候ですので、趙王殿下も手配に苦しんでおられるご様子。天候が回復次第に輜重隊も動き出しましょうから、あと五日程度は……」

 「後五日も待てと言うのか?!既に儂らは十日も補給をこの地で待っているのだぞ?!」


 嵐の峠は過ぎ去ったようだが、未だに激しい風に見舞われている陣中。

 総大将の四珠皇子の天幕の一角、本陣幕では五名の討伐軍最上位者による軍議が行われている。


 「少しは落ち着かれよ、東征将軍。北京府の戦いでは魯国が主力を張ったおかげで、清軍にいいようにやられてしまったとはいえ、所詮は初戦。これから取り戻せば良かろう」

 「!!何を言うか!儂ら東京府の軍は前回の戦には出ておらん!あれは無能な北辺ほくへん将軍の独りよがりであろう!」

 「左様でございますか、はぁ~!魯国の民が大勢出征したというのに、彼らを率いるべき東京府の軍が出ていないとは……なんともけったいなことでございますな?真、そのようにはお思いにはなられませぬか?尚書閣下」

 「まぁ、そのように悪し様に言う物ではないぞ?南征将軍よ。きっと、東征将軍には将軍なりの考えがおありなのであろうの……儂ら俗人には到底考えもつかぬような上策がな……こーっこっこっこ!」

 「あーはっはっは!!」

 「……ぬぬぬっ!」


 今日も繰り返される派閥間の嫌味の応酬に、心底呆れているのは、この場では唯一の無派閥の兵部侍郎の文雀である。


 (やれやれ、どうにもこいつは貧乏くじを引かされたよなぁ。

 東征将軍は四珠皇子派、南征将軍と兵部尚書は宰相・一珠皇子派……派閥の均衡を取るために無派閥の俺が呼ばれたのだろうが……。

 俺はそんな人員合わせだけで呼ばれたような戦で命を落としたくはないぞ?)


 中央開封府を出立、東京府で陣容を整えてからは、いつもこのように諍いが絶えない清討伐軍の陣中なのである。


 「……南征将軍よ、言葉が過ぎよう。嵐に足止めをされていて気分がささくれておるのであろうが、そのように軍の結束を乱すが如き発言は慎まれるが良かろう」

 「はっ!申し訳ございません!殿下!」


 四珠皇子は、これまでに何度行ってきたかわからぬ仲裁に辟易していた。

 彼は当初、軍中に宰相派が入って来ることを気にも留めていなかった。

 総大将は自分であり、同腹の弟が輜重隊指揮を執っている。


 大軍が敗れる時の原因として、往々にして語られる「補給計画の破綻」その心配がない以上、あとは大軍を指揮する、皇帝の長子たる自分が敗北することなどは微塵も考えていなかったのである。


 四珠皇子の頭の中は、凱旋した後、如何にして皇太子の廃嫡、自分の立太子に向けて動くかということのみであり、そんな未来の皇帝の華々しい軍歴を記す一頁めに、軍中での仲裁を止める役割などは書かれるべきではないと考えていた。


 「……補給が計画から遅れるというのは往々にしてあることであろう。そのような事態も想定して、軍中には豊富な物資が蓄えられているのだ。両将軍は無益な言い合いをするのではなく、配下の者達に補給の問題などは無いと理解させ、将兵の不安を取り除くことが第一の責務であろう」

 「「はっ!殿下の仰る通りでございます!」」


 派閥が違おうがなんであろうが、上位の者に対して一線を越えるような対応をする愚か者は、決して将軍までは出世などできない。

 四珠皇子派の東征将軍は恭しく、一珠皇子派の南征将軍はわざとらしく、四珠皇子へ礼を施した。


 こほんっ。


 咳ばらいを一つ、日常の諍い幕が一段落したのを確認して文雀は一つ議題を提案した。


 「殿下、確かに軍中の物資には問題ありませんが、我々は趙王殿下の部隊から物資を受け取らねばいけないことも事実。嵐自体は明日、明後日には消えましょうが、今後の行軍予定はいかがいたしますか?全軍を本陣傍に近づけて補給を待つか、多少は歩速を緩めながらの全軍前進でゆっくりと輜重隊の到着を待つか……」

 「十日もこのままここに引っ込んでおれと兵部侍郎は言うのか?!このような縦に長細い地形!横合いから挟撃されたらなんとする!」

 「しかも狭い地域に密集だと?それこそ山頂から矢でも射られたら如何する!そのような下策などは考えるまでもない!」

 「……では、如何お考えで?」


 半ば投げやりに文雀は両将軍に尋ねた。

 議題提起にしかすぎぬ発言に対し、二人仲良く噛みついてくる様に辟易する文雀。


 「そ、それは……」

 「それは、あれであろう!そう、あれだ!」

 「……で、如何にお考えで?」


 対案もなく噛みつくだけの二人に呆れる文雀。


 (自分では大してものを考える能力が無いくせに、人を攻撃するときだけは妙に威勢が良い。

 まったく呆れてものが言えぬというものだが、このような人物が華帝国の四征将軍の内の二人とはな……人材の枯渇を憂いこそすれ……というものだ。

 それに、ここは両側に山脈を抱える細長い地形と言え、両山脈の裾野なぞ視認出来るようなものではないぞ?

 確かに本陣両脇は高台になっているが、それは本当にただの「高台」であるに過ぎぬというに……)


 「……尚書はこの件を如何に考える?」

 「はっ!」


 四珠皇子としては、他派閥の兵部尚書に些か思うところは有るが、彼が筆頭参謀であることは間違いない。四珠皇子本人は単純に、全軍で前に進み、大軍一揉みに進軍を蹴散らすことしか考えていないが、議題は議題である。形式的にも尚書に意見を求めた。


 「殿下のご質問なれば、……左様でございますな。いっそのこと、一部の兵を輜重隊の警護としてこの場に残し、残りの兵で前進するのはいかがかと存じます」

 「……軍を分けるか?」

 「分けると言うほどのことでは御座いません。幸いにして補給物資は殿下の仰る通りに随分と余裕がございます。ならば、主力とする大部分の兵はこのまま突き進み……左様、二万ほどの兵をここに残して輜重隊の警護をさせるが上策かと献じさせていただきます」


 (……まぁ、尚書の言には一理ある。

 全体としては軍を進めつつも、輜重の警護は行う。

 その数も、先の北京府攻略に現れた清軍が二万、ならば同数を警護に回すのも納得は出来る。

 出来るが……まだ敵地にも突入していない状況、ここは全軍で待っていても問題は無いように、俺は思うが……ふむ、下策ではないのだから、下手に上司に盾突くのはやめておくか)


 「二万だと?それなりの数となるが、それ程をどう編制するのだ?」

 「殿下……ここより北は華帝国の領土ながら、今は反乱軍の出没する敵地とも言えます。敵地における補給路の確保にこそ最善の注意を払うのは兵法の常道。ここは分散の愚と捉えるのではなく、補給路確保の賢と捉えて下され」


 兵部尚書は恭しく礼をし、四珠皇子に形式上は敬意を払っているが、その言葉と含みには四珠皇子と東征将軍に対してのかすかな嘲りが有る。


 「……わかった。兵部尚書の意見を取ろう。兵二万をこの場に残し、弟からの物資を受け取る役割を与える。詳細はその方等に任せる故、万事ことを整えよ!天候が回復次第に我らは出立するぞ!」

 「「ははっ!」」


 裁は下された。


 軍議の出席者が皆、頭を下げたことを確認し、四珠皇子派満足そうに頷いて奥へと去って行った。


 (まぁ、これはこれでよしか。

 征旅は始まったばかりなのだ。

 燕の地を越える手前から心配してどうなるというのであろうな)


 「さて、殿下の採決は下された。後は二万の兵と将をどこから捻出するかということじゃが……そう、ことは物資を扱う重大事。そこいらの農民などに任せては物資を横流しされてしまうかもしれぬ。ここは責任ある立場の者が差配すべきであろう」

 「「うむ」」


 先ほどとは打って変わって、意気投合する東征将軍と南征将軍。

 彼らの双眸には欲望の炎が灯されていた。


 「……物資の確保は参謀たる儂が……とも思うたが、ここは志を同じくする討伐軍。東京府より千、南京府より千の二千を主力として監督を任せようと思うがどうじゃな?」

 「流石は兵部尚書閣下……物事の道理を弁えておられるお方だ。閣下がそのようにお考えならばこの東征将軍、一切の不満は無い!」

 「こーっこっこっこ!そうじゃろう、そうじゃろう。では、斯様に差配するとしような」

 「「はーはっはっはっは!!」」


 この場に残された四名の内、三名の哄笑が天幕内にこだまする。


 (はぁ……早速に両派が先を争うように物資の横流しを始めるのか。

 遠征はまだ始まったばかりで、漸くこれから敵地に侵入する段階だというのに……これでは、清軍と戦を始める時には、どれだけの主力が本軍に残っており、どれだけの将と軍人が本軍に残っていることであろうな。

 お三方は清軍を殲滅、撃滅、完全勝利するまではないと考えていても、負けることまでなどは微塵も思い描いておらぬのであろう。

 此度の六十五万軍勢も己の懐を温める保温石ぐらいにしか思っておるまい。

 はてさて、俺一人が生きて帰るのは楽だとは思うが、幕僚で俺一人生き返ってしまっては、都合の良い供物にさせられてしまうだろうからな。

 せめて四珠皇子には頑張って開封府の土を踏んで欲しいところではあるが、どうなることやら……)


 非常に残念ながら、この時の文雀の予想は当たってしまう。


 大嵐の影響か、その後の輜重隊の動きは鈍く、毎回、補給隊は予定よりも到着が遅れた。

 その度に本軍からは補給路の確保の為と軍が分割され、東京府と南京府の軍が本軍より分割されていった。


 討伐軍が遼の都、瀋陽しんようを過ぎ、清との国境の街、四平しへいに差し掛かる頃には、輜重隊を覗いた五十万の内、四珠皇子に付き従うのは三十万にまで減り、東京府、南京府の軍に至ってはそれぞれ、各二万ずつにまで減っていた。

 正規兵が二十万から四万までに減ったのだ。その兵を指揮する将校も当然の如く、五分の一以下にまで減っていた。


 四十万の兵装豊かな軍勢が二万を切る清軍に負けた理由と経緯。

 その教訓は一片の欠片も華帝国の上層部には理解されていなかったのだ。

 彼らは徹頭徹尾、自分の懐を温めるために上級職に就いたのであり、私財を肥やすことこそが祖先への供養であり、父母への孝、部下たちへの仁であると信じているのであった。


 腹も満たされ、装備も万全の清討伐軍三十万。

 戦乱に荒れた清の地にて、それほど裕福には食事にありついてはいないが、士気旺盛な清軍十万。

 両軍の決戦は近い。

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