-第五話- 北京府の戦い
華歴二百三十二年 冬 北京府近郊
燕国の都、
華帝国には四つの大都があり、北の燕国に北京府、東の魯国に
帝国の都たる開封も中央府と呼ばれるが、こちらは別格扱いであり、大都ではなく単に都と呼ばれるのが習わしだ。
華歴二百三十二年の北京府は、清人の反乱により、一年の半分を籠城に費やしている。
この年の春花節に蜂起した清人達は、僅か二か月ほどで清と遼の全土を手中に収め、中原への進出を睨み、ここ北京府の攻囲を続けている。
しかしながら、北京府はここまでの城塞都市とは規模が桁違いであり、清人の軍も都市攻略の糸口を見つけられないままに年の瀬を迎えようとしていた。
「ふんっ。流石は帝国の大都ということか、忌々しいばかりに長大で堅固な城壁だな!」
「若将軍!このままでは埒が明かんぞ!俺たちの食い物は周囲の村を焼いて手には入れているが、なんとも心細い。かといって、我らには帝国のような攻城兵器が無い以上、手勢だけで城を無理攻めしても損害が増えるばかりだ!」
「そのようなことはわかっておるわ!だが、この都市もここまでの人口を携え、周辺の城塞からも人を集めている以上はそこまで食料が持つとは思えんのだが……」
「……このままに我慢比べをするのか?叔父上?」
「……決めかねておる。燕国の兵はほぼすべてが北京府に集められているので、食料の調達には何の障害もない。このままに一年でも二年でも攻囲は続けられる。兵共も略奪のし放題に満足して、我らの言うことには従順だしな」
「いや、若将軍よ。それこそが問題だ!このままに一年も二年も攻囲は続けられると仰るが、それでは兵共は腐ってしまうぞ?腐りきった兵は切り刻んで捨ててしまえば、済むことには済むが……その風潮が上級兵にまで浸透するのは好ましくない。誇りある清人の姿とは思えんぞ!」
「……それもわかっている」
清軍の天幕ではこの数か月、同じ内容の議論ばかりが続いている。
帝国軍は弱い。
清軍が戦えば必ず勝つ。
だが一方で、いくら精強な清軍と言えども城壁相手では武勇の振るいようがない。
北京府のような大都でなければ、闇夜に紛れて突撃隊を組織して、城門を開けさせてしまえば良い。
もしくは、清軍の武勇に恐れを抱いた者を釣って内応させれば良い。
ここまでは、そうやって彼らは快進撃をしてきた。
だが、北京府を前に今までの方針は通用しなくなってしまった。
「城壁さえ開けば……もしくは守兵共が打って出てくれば、戦にて血祭りにあげられるというものなのだがな!」
どんっ!
若将軍と呼ばれる男が机を叩きながら出した呻き。
その内容はここにいる者、全ての心情でもあった。
だったった!
「ほ、報告します!ここより東南に略奪に向かった部隊が、帝国の大軍を発見したとの報告です!」
「「来たか!!!!」」
天幕に飛び込んできた伝令が齎した報告に喜び勇む清の将軍たち。
「……数は?」
「帝国兵の数は二十万を越えるということです!」
「な……なんと」
「ここに来て奴らも本気を出してきたか……」
落ち着いて総数を訪ねた若将軍の問いに答えた伝令の数字を聞いて息をのむ将軍たち。
戦えば必ず勝つ。
そう信じてはいるものの、清軍は二万を下回る、一万八千ほど、対して帝国兵はその十倍以上だ。
腕自慢、用兵自慢の彼らをして、心の臓を直接に掴まれるような思いであった。
「面白い!叔父上!北京府の扉は重かったが、ここに来てようやく思い通りの戦が出来るではないか!奴らはのろのろとしか動けぬ亀のような歩兵ばかり、それが十万、二十万といたところで、我ら騎兵二万と満足に戦えるとは思えん!それに奴らは鎧に身を包んではいるが、所詮はそこいらで徴兵された農兵にしか過ぎん。総大将と司令部のやつ等を皆殺しにすれば、後は幾らでも背を討てる家畜でしかあるまい!」
「……」
「叔父上!今こそ下知を!奴らを皆殺しにして、父祖の無念を晴らしてやろうぞ!」
若将軍と呼ばれる大将の血族なのであろう、大男は腰に吊るした帯刀の柄を握りしめ、自分の叔父に決断を迫った。
「そうだな……よし!この好機を逃すまいぞ!敵を引き付けたら全軍一丸となって、敵大将を討ち取るべく突撃する!その後は、皆の気が済むまで帝国のやつ等を殺しつくせばよい!」
「「おおぉ!!」」
大将の決断に、この場に居るすべての将軍が賛同の声を上げる。
「兵共に戦の準備をさせろ!決戦だ!陣中に運び込んだ女子供は全て殺させろ!奴隷を連れ帰りたい奴はこの戦が終わってからもう一度略奪に向かえ!良いな!今陣中にいる清人以外は全て殺し、父祖への供えとするのだ!」
「「おお!!大神よ御照覧あれ!勝利を清に!」」
「勝利を清に!!」
この日、清の将軍たちにより徹底された命令により、清軍の陣中に運び込まれていた数万の女子供を中心とした奴隷は、悉くが切り刻まれた。
史書曰く、その光景は北京府の城壁からも確認が出来、また、流された血の匂いは風に乗り、北京府の至る所に漂ったはずだったという。
……
…………
「将軍!清軍は一ヶ所に、まるで甲羅に閉じこもった亀のように閉じこもり、一切の動きを見せませぬぞ!」
「これは我らの勝ちは揺るぎませぬな!」
「左様です。ここは定石通りに重装歩兵の壁を築いて騎馬の突撃を防ぎ、その外から矢の雨を敵陣に降らせれば良いだけです。……敵は蛮族。兵法のへの字も知らぬようですな」
「まったくだ。……しかし、敵がああも固まっているのだ。ある程度、戦局が決まったら城からも打って出て来るであろうな?理想的な挟み撃ちで、奴らを一兵たりとも故郷には戻らせんぞ?はっはっは!」
「「はっはっはっは!!」」
(くっくっく。
しかし、こうも俺に都合の良い風が吹きまくるとは、日ごろの行いが良いからなのだろうな。
朝堂で出兵を願った時は、今少し厳しい条件での戦闘も覚悟をしていたが……どうだ、この陣容。
手勢の五千を中心に預、魯、冀の三国の虎符を使って兵を集めることが出来た。
しかも、宰相閣下の好意で軍装も最良のものを全軍に揃えさせてもらったからな。
まったくもって笑いが止まらんわ!
戦が終わったら、農兵共の装備を返却する際に、全体の三割ほどを横流しすれば、俺が死ぬまで贅沢な暮らしが約束されるだろう。
どれほどの銭が儲けられるか楽しみというものだ!
四珠皇子には申し訳ないが、部下を扱う器量に関しては宰相閣下の方が何枚も上手だったということだな。
悪く思わないで頂きたい。
さて……ゆくゆくは、皇帝となられる一珠皇子の下で軍部尚書でもやらさせてもらうとしよう!)
圧倒的に有利な状況で開戦できることに満足したのか、北辺将軍は自分の輝かしい未来への妄想が止まらない。
「では諸将よ!手筈通りに清軍を包囲するぞ?くれぐれも抜かるなよ?」
「「ははっ!」」
北辺将軍は栄達の妄想に浸っていた。
彼の下にいる将軍たちも栄達の妄想に浸った。
宰相から派遣された幕僚たちも妄想に浸った。
彼らは幸せな夢を見た。
たった一晩だけ。
……
…………
ぐわっしゃ!
大男が馬上から振るった大刀は北辺将軍の頭を砕き飛ばした。
「よぉし!この天幕に火を掛けろ!我らが帝国の大将を討ち取ったと周囲に知らしめるのだ!」
「ははっ!」
戦は開始して僅か四半刻で、帝国の大将が討ち取られることとなった。
先ず、帝国軍はその数的有利を存分に活かすべく、広く清軍を包囲した。
大盾と重槍で固めた歩兵を近付け、その内側に構える弓兵の射程距離に入るまで、全軍で移動した。
間も無く弓が届く距離!
帝国軍の誰もがそう考えた瞬間、清軍は全軍を以て帝国軍の本陣へと突撃を開始した。
それは策も何もない只の突撃であった。
だが、その突撃には帝国人では考え付かない暴力があった。
恐れが無かった。
幾重にも重ねられた大盾と重槍の防壁。
幾ら速度を上げた重装騎馬の突撃であっても抜くことは出来ない。
清軍は屍を重ねた。
だが、それでも清軍の突撃は止まらなかった。
端から見れば、時間はほんの一瞬であっただろう。
そして、帝国の重装歩兵の中でもほんの一握りの兵だけであっただろう。
しかし、そこには確かに帝国兵が怯えを感じた瞬間があった。
その怯えが槍をほんの数寸ばかり引いてしまったのだろう。
盾をほんの数寸だけずらしてしまったのであろう。
だが、清軍の武力にとっては、ただその一瞬で充分であった。
ただ一騎が帝国の防御陣を突き破った。
そこからは正に瞬きの合間の出来事であった。
一騎が十騎、二十騎、五十騎、百騎となり、清軍が帝国の本陣を包み込んだ。
帝国軍も本陣の前には充分な厚みを持たせてはいたが、広く横に広げた陣形では、清の重装騎馬突撃を防げる力までは無かった。
帝国軍の多くは、本陣前の防壁が無残にも突破され、蹂躙され、本陣内での断末魔の叫びと、燃え盛る炎を遠巻きに見守ることしかできなかった。
戦にたらればはないが、もしこの軍が正規兵で構成されていたら、もしこの軍が経験豊かな将校に率いられた軍だったら、もしこの軍に歴戦の将軍が複数名ついていたのならば、このようなことにはならなかったであろう。
「「うおおおぉぉぉ!!!」」
大男が潰れた大将兜を掲げた瞬間、清軍から野獣の如き雄たけびがあがった。
「しょ、将軍が討たれた!」
「この戦は負けだ!」
「に、逃げろ!!!」
「じょ、城内だ、城内に逃げ込むんだ!!」
一方、大将と幕僚の悉くを殺され軍としての機能を失った帝国軍は、徴兵された農兵で構成された軍の脆弱さをこれでもかと露呈していた。
彼らはただの重りでしかない武器や甲冑を投げ捨て、四方八方へと逃げ出した。
「わはっはっは!皆の者!狩りの時間だ!!大いに殺し尽すのだ!流した帝国人の血の量だけ、我らが祖先の無念も報われるであろう!!」
「「おおうぉぉぉ!!」」
勝利を確信した清軍は、軍を率いる若将軍の鼓舞に武器を掲げて応えた。
後は一方的な殺戮であった。
帝国軍二十万、その殆どが清軍の餌食となった。
空には苦痛の声が響き渡り、大地には骸が積み重なり、そして川は血で染まった。
まさにその光景は地獄絵図もかくやという物であっただろう。
そう、この北京府郊外の戦いは後世の史書でも「○○だったに違いない」としか書かれていない。
これは非常におかしなことだ。
誰かの伝なり、北京府の公務日誌なりには記述がないのだ。
後代に、そのあたりの資料が紛失していたとしても、これだけの大虐殺、多少の伝聞が伝わらないのはおかしいことである。
なぜなら、この戦いは北京府の……一般市民は城壁内にいるために目撃することは叶わなかったであろうが、城壁城の守兵は見ていたはずなのにである。
だが、実はこのこと、おかしなことではなかった。
きちんとした理由があった。
つまり、悲劇はこれで終わりでは無かったのだ。
目の前で一方的な大虐殺が行われているのを目撃してしまった城兵は、士気を著しく下げていた。
戦時配給でまともに食料が行き渡らない状況に不満を持っていた中、漸く現れた援軍はその悉くが、彼らの目の前で切り刻まれ、童が羽虫の羽を千切り遊ぶかのような無邪気な残酷さで殺された。
そんな彼らが緊張感と警戒心を十分に持って夜警を行ない続けることなど可能であっただろうか?
史書も言う、ただの城兵には罪は無かろう。
罪の所在を求めるならば、それは城の将軍たちであり、本来なら陣頭に立って彼らを鼓舞しなければならない存在の燕王であろう。
……そして、その罪は正しく罰せられることとなる。
ただし、帝国の法によってではなく、清軍の暴力によって……。
誰の指示があったのか、誰の思い付きがあったのかはわからぬが、戦と虐殺が終わり、日が落ちて夜が訪れると、清人はおもむろに敵軍の骸を掘の一ヶ所に放り込み初めた。
何十万という骸は、やがて掘を埋め、高さを持ち始めた。
その夜は新月で、月明り何一つない真っ暗闇だというのに、清軍は骸を積み上げることを止めなかった。
そして、この一見、ただの骸に対する侮辱行為に過ぎなかったものが、日の出とともに別の物へと進化していた。
そう、本来は清軍が持ち込んでいなかった攻城兵器と化していたのだ。
華歴二百三十三年を迎えると、清軍は燕国から撤退していた。
だが、同時に華歴二百三十三年、人口百万を誇ると言われた華帝国の大都の一つ、北京府はこの世界から消え失せていた。
華歴二百三十二年には、確かにそこにあった北京府。
華歴二百三十三年には、ただの焼け落ちた廃墟と、おびただしい人間で造られた肉階段が城壁に掛けられていただけだった。
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