-第三話- 直言

華歴二百三十二年 秋 中央開封府


 中央開封府は天下の都である。


 街を覆う城壁は三層、それぞれが高さ七十尺を越える威容を誇っている。


 最内の城壁は宮殿をぐるりと囲むもので、一里四方の城壁、内壁と呼ばれる。

 市外壁と呼ばれる三つの城壁の真ん中に位置する城壁は、南北二里、東西三里。

 そして、もっとも外側を巡る外周城壁は南北八里、東西十里にも及ぶ巨大建築である。


 宮殿は街の北東部に位置しており、城内の小高い台地の上に建てられている。

 宮殿には、大きく分けて四つの門、それぞれ、方角に合わせ東門、南門、西門、北門と呼ばれ、それぞれの門に用途ごとの通路、小門が付けられ、各門ごとに三つ門が造られている。

 その三つの門は、陽門、陰門、安門と呼ばれており、陽門は皇帝とその許可を持った者のみが通行できる門、陰門は下働きの者達が通行する門、そして安門が一般的な用途に使われる門である。

 つまり、南側の内壁の陽門は「南陽門」と呼ばれるのだ。


 「子龍先生、ここに登ってきたのは初めてですが、確かにこの東の外周壁城からだと周辺全てを眺めることが出来るのですね!なるほど……これは今まで訪れなかったことを後悔してしまう景色です」


 開封府の東外周城壁、この城壁上から付近一帯を望む一団がいた。


 豪奢な飾りつけが施された貴族用の乗馬服に身を包んだ少年を中心に、白い甲冑を着込んだ護衛が三名、服装は極一般的な士大夫の服装ながらも容姿が飛びきり優れた青年が一名、そして城壁の守備兵であろう飾りつけの無い甲冑を付けた兵士が二百名ほど固まっている。


 「中央開封府は華の中央に位置し、北には母なる大黄河が流れています。数十年に一度は大洪水を引き起こしてきた厄介な河ではありますが、その度に、大いなる恵みを約束する豊穣な土壌を流域に齎します。この開封府周辺でも広大な畑が広がりますが、都にとっての黄河とは農業に恵みをもたらす物ではなく……」

 「華の各地とを繋げる交通路としての役割が大事……ですね」

 「……左様です。そのことを以て、開封府が華帝国の都足りえるというものなのです」


 今も彼らの眼下では、黄河の船着き場に横付けされた大小さまざまな船からは荷が降ろされ、人が降り、また、荷が積まれ、人が乗って船着場から去って行く。


 史書に曰く、華王朝が歴代の王朝よりも長く、また大きな繁栄を遂げたのは、ひとえにこの黄河を交通路の要と為すことに成功したからであるという。


 華王朝の初代、太祖は初め開封近郊のしがない一豪族の長であったという。


 華の先代王朝は「黄」。開封よりも北の冀に興きた王朝であった。

 黄は黄河の恵みを大いに活用した農業国であり、その豊かな土地を求めて集まった民を纏めて興った国である。

 豊富な食料を背景に軍備を整え、周辺国を征し、大陸に覇を唱えること百五十年。

 黄河によって興きた国は黄河によって滅亡した。

 大洪水によって国土の悉くが水浸しとなり、時の流れに沈んだのである。


 そして、そのような大洪水時代を乗り越えたのが、太祖であった。


 彼は己の生まれ育った土地をよく知っていた。

 高台に己の館を造り、倉庫や庁舎などの主だった施設も高台に造った。

 当時は、利便性を考えぬその町の造りに、多くの貴族・豪族、果ては王族にまで揶揄されたという。

 しかし、信念を曲げずにいた太祖は洪水時代を迎え大いに飛躍していく。


 黄河流域で唯一とも言える状態で、洪水以前の力を蓄えられたのは太祖だけ、姫家だけであった。


 洪水の難を逃れた民は、こぞって開封一帯に集まり、太祖の下に忠誠を誓った。

 彼らの多くは、その日の食料を得るために忠誠を誓ったのであろうが、太祖にとって、忠誠は忠誠であった。

 太祖は忠誠の証として、彼らに土木事業への従事と、人・物を集める役割を担う従軍を命じた。


 こうして、開封を治める姫家は、大陸でいち早く黄河を制し、大陸の隅々を征することが可能となる軍を手に入れた。


 「殿下、次は開封の西を沿って流れる川にご注目ください」

 「おお!太祖が建設を命じられたと伝わる大運河だな」

 「左様です。南に約百里、淮河沿いの信陽にまで続く大運河です。そして、その先の淮河を通り、洞庭湖に造られた新運河を越えれば、この路は長江にまで繋がります」

 「水は低きに流れる。人を扱うは水路を扱うが如くにせよ……太祖のお言葉だな」


 子龍は返事の代わりに頭を垂れ、肯定の意を示す。


 (……いやぁ、今日も座学が暇だ、退屈だ、と仰られた時には困ったものだと思ったが……。

 ありがたいのは、この華帝国における太祖の存在、その御威光だな。

 こうして、適当に太祖の偉業を褒める感じの話をしておけば貴族たちの受けが良いのだから簡単、簡単)


 なんとも、はた目には何とも恭しい態度を示しながらも、内心では酷く利己的、保身的な思考をめぐらす子龍であった。


 「そして、この東市外壁の辺りが、太祖が造設なされたという開封の旧市街地か……」


 華帝国の皇太子である姫立人も十三歳の少年だということであろう。

 遡ること数刻前までは、退屈な授業に飽き飽きして、大いに教師に悪態をついていたことなどは頭のどこにも残ってはいない。


 「太祖の大工事以降、黄河は川幅が大いに拡張され、止むことの無い浚渫工事と川筋の変更工事のお陰で、この百年の黄河流域では大洪水に見舞われることが無くなりました。故に、開封の旧市街もその役割を終え、今ではここよりも低く、広さある便利な平地へとその機能を移しております」

 「ふむ。そのおかげで開封府がここまでの大都市となることが出来た、そういうことだな?師よ」

 「殿下のお言葉通りでございます」


 (よしよし、俺のことを「師」と呼び初めた。

 それは殿下の機嫌が直ったということだ。

 一時はどうなるものやらとも思ったが、今日の仕事も上々の首尾ということで、……そろそろ市内に帰るとするかね?

 夏も終わりとなると、高台の夕暮れは風も強くなり、寒くなるからな。

 俺としては、今日の給金でも片手に、見目麗しい娘々に酌をしてもらいたいところ、早いところにいつもの酒楼にでも……)


 がしゃっ、がしゃ、しゃっ!


 子龍が今宵の快楽を夢想している最中、護衛の者達の一部が急に立人に対して跪き叩頭した上で言葉を発した。


 「恐れながら!恐れながら、我らが英邁なる皇太子殿下!何卒!何卒我らに言上の機会をお許しいただきたく!」


 護衛の一団の内、三十名ほど。

 一人の兵を先頭に立人に直言の許しを求めている。


 「お主ら!何を血迷うたか!殿下に対しそのような非礼極まる行為!……そこに直れ!儂自らがお前らのそっ首を悉く落としてくれるわ!」


 じゃらんっ。


 白い甲冑を着た護衛の三名のうち、最も年かさの男が腰の剣を抜き放ちながら、叩頭する者達にそう言い放った。


 「待て、紗爺よ……彼らも身命を賭した上での行動であろう、少なくとも彼らの言い分だけは聞いてやろうではないか。……責任を取らせるというのならば、その話を聞いた後でも構うまい」

 「……はっ!殿下の仰せのままに!……ありがたくも殿下はかように仰せだ。疾くとお主らの要望を簡潔に口にせい!」


 立人は直言を許したが、年かさの護衛、紗渾しゃこんは抜いた剣を鞘には戻さずに、一団に告げた。


 「……有難うございます。英邁なる皇太子殿下に幸あらんことを!」

 「……世辞は要らんし好かん。早くせねば、紗爺が剣をその首に振り落とすぞ」

 「申し訳ございません……では、早速……」


 立人と紗渾が本気であると感じた兵は、思わず生唾を飲み込み、おずおずと説明を始めた。


 曰く、彼らは先年に清より長駆、燕まで撤退をしてきた数十名の生き残りであった。

 宝地を出る時には三万を数えていた彼らも、その生き残りは今ここにいる三十名のみ。

 そして、彼らを指揮して地獄のような撤退戦を行なってきた耶蘇武律将軍は牢獄で死刑を待つ身だという。


 「……将軍は何ら罪を犯したわけではありませぬ!むしろ、己の命を以て北辺の重大事を伝えた英雄に御座います!何卒!何卒、皇太子殿下の御厚情を持ちまして将軍の罪を減じて頂きたくお願い致しております!」

 「「……」」


 この場にいる者達は、皆、彼らの言い分を理解することはできた。

 だが、その反応は皆が等しく沈黙ではあったが、胸中の思いは様々であった。


 彼らの同僚たる護衛の者達は、面倒事を振りまいた彼らに対して憎悪の念を抱いていた。


 紗渾を初めとする立人の護衛達は、自分たちの身命を賭した、忠義心厚い行動に感動していた。


 立人は思いがけずに面白い出来事に遭遇し、心躍らさせていた。


 そして、子龍は心底どうでも良いことで時間が取られることに怒りを抱いていた。


 (……参ったなぁ。なんだよこいつら。

 そんな面倒なことを俺のいるところでするなよ!

 耶蘇将軍は北辺軍の責任者だったんだろう?経緯がどうであれ、清と遼が陥落した以上、軍の頂点は死罪が妥当だろうよ。

 だって、本来の責任者の悉くがこの場、開封府にはいないのだからな。

 それこそ、清王辺りが生きて開封府にいれば、清王が責任を取って位の降格、若しくは蟄居となって終わりだろうけど、そうではないのだから……とうてい、耶蘇将軍に軍を率いらせて再戦の機会を与えるような決断が出来る状況ではあるまい?

 せめてが武人としての名誉の死、それが精一杯の温情であろうさ。

 そんなことよりも早く酒楼に行かなきゃ、翠蓮娘々が別のお客の席に付いちまうだろうが!)


 人というのは、どこまでも身勝手な存在なのであった。


 「……ふむ。なるほどな……お前たちの言い分はわかった。……だが、どうということは無いな」

 「……む、無念です……」

 「では殿下、この者達は?」


 立人の言を受けて、項垂れる三十名と、剣を握り直す紗渾。


 「だが、この場で直言を理由に首を落とすほどのことではあるまいな。……そうだな、紗爺よ。この者達は武装を取り上げた上、私の屋敷の空部屋あたりに放り込んでおけ、今しばらく詮議をしてから彼らに処分を下す」

 「はっ!」


 紗渾としては多少なりともこの者達に心を寄せていたので、殺さずとも良し、という立人の言葉は有難いものであった。

 誰が見てもわかるほどに、頬が緩んでいた。


 「師よ……申し訳ないが、今日は屋敷にお泊り頂きたい。私の話相手になってはくれないだろうか?」

 「……殿下の御心のままに」


 深々と礼をする子龍。

 傍目には、慈悲の心を示す皇子と、その師との心温まるやり取りである。


 (これはなんとも心躍る展開だな!何とかして、愚昧な陛下と強欲な宰相を出し抜き、大陸一の武人と謳われる耶蘇将軍を私の手の内に入れねば!)

 (心底面倒臭ぇな……せっかく今晩辺りには翠連娘々と良い仲になれるかと思っていたのに!)


 なんとも、悉く性根の違う師弟であった。


 ……いや、どちらも己を第一と考えるあたりは似た者であるのかも知れなかった。

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