-第二話- 北辺からの知らせ

華歴二百三十一年 夏 中央開封府


 「皇帝陛下の御なり~、伏して拝謁せよ~!」


 王朝が変わろうとも決して変わることの無い、皇帝の入朝と、それを告げる太監の先ぶれ。


 時刻は既に午後を過ぎており、厳密に言えば「入朝」などではないが、この広間こそが皇帝が公の執務を行う場所であり、その場所を差して朝堂と呼ぶ以上、皇帝がこの場所にやってくることを総じて「入朝」と呼ぶ。


 そして、入朝してくる皇帝を迎える正しい姿勢が拝謁なのである。

 地に跪き、頭を下げ、皇帝からの許しがあるまで決して頭を上げてはいけない。

 これは皇太子といえど例外ではない。

 例外は皇帝よりも血族順位が上の者だけ。

 現在の華王朝では皇帝の母である皇太后娘々と祖母である太皇太后娘々の二名のみとなる。


 「あ~、その方等大義であるぞ。頭を上げよ」


 ざっ!


 皇帝のその言葉に因って、この場にいた者達が頭を上げる。


 「英邁なる皇帝陛下のお陰を持ちまして、本日も大華に大いなる繁栄が齎されていることに感謝を致します」


 最前列に位置する皇太子の言葉を受けて、初めて参列者が立ち上がる。


 「朕も皆の忠誠に触れることが出来てうれしく思うぞ。……さて、早速だが少々厄介なことが北辺にて起きた。皆も知っておろうが、清の領土が蛮族共の襲撃で荒らされておる。現在は燕にまできゃつらは出張ってきているようだ。……近々、きゃつらも巣穴に帰るのであろうが、ここまで帝国が馬鹿にされたのでは朕の腹の虫が収まらん!何ぞ、良い方策は無いかとその方等に尋ねたい!」

 「「……」」


 一瞬の静けさが朝堂を覆う。

 ここに集う者達は華の上級身分、上級役職についている者達だ。

 彼らは自己の利益を守ることと他者を貶めることが大得意の者達ばかりだが、決してただの馬鹿ではない。


 清の領土が制圧され、南の燕が攻撃を受けている。

 その異常さ、緊急事態であるとの認識だけは正しく共有されている。

 そして、その事態を、さも自分のおやつを奪われた幼子のように、ただただ駄々を捏ねるだけの現皇帝、その男の無能さも熟知している。


 「陛下!臣が思いますに、まずは緊急の虎符をもって至急の徴兵を行ない、燕・趙・冀・魯の四国の総力を差し向けることが肝要かと思います!」


 静けさに耐えかねたのか、武列に並ぶ一人の年若い将軍が進み出てそう発言をした。

 至極当たり前の発言である。

 この場に集うすべての者が、自分の腹の内で考えていた案であろう……だが、この案は皇帝の気分を害してしまうこともわかりきっていた。


 「燕・趙・冀・魯の四国だと?遼はどうした?黒はどうした?吉はどうした?」

 「……いや……遼は燕よりも北ですし、清からの侵攻が燕まで進んでいるのならば、遼は既に落ちているでしょう。それに、黒も吉も清の一地方ですので……」

 「なんじゃ!!朕が間違えたと申すのか!朕の一族が守る神聖なる土地が蛮族に滅ぼされたとでもいうのか?!なんという不吉かつ不敬なやつだ!」


 がたっ!


 皇帝は三十貫を超す巨体とは思えぬほどの速度で玉座から立ち上がって吠えた。


 「このような事態において、そのような朕を惑わすような言質を取るような奴などこの場にはいらん!即刻出ていけ!二度と華の大地を踏むことは許さぬ!衛兵!!即刻処置せよ!」

 「はっ!」


 がしゃん、がしゃんっ。


 朝堂で唯一武装が許される存在、黒づくめの鎧に身を包んだ近衛兵が発言を行った若い将軍を引っ立てる。


 「え?あ?お!お待ちを!!陛下!どうぞ、お慈悲を!!」

 「……ふんっ、不愉快なだけでなく無作法なやつじゃ、即刻処置せよ」


 「華の大地を踏めない」……この言い回しの意味することは非常に簡潔だ。

 この世界は須らく華帝国が治める大地である、その世界に存在することを許さぬ、と皇帝は言い放ったのである。


 「……陛下。この度は若輩の愚か者とはいえ、我が配下が失礼を致しました。ついては此度の騒動、北辺将軍の虎符を使用して、騒動の鎮圧にあたりたいと思います。……何卒、我が失態はこのことにより償わせていただければと言上いたします」


 (ちっ。北辺将軍め……自分の部下一人を殺すことで功績を上げる機会を手に入れる気か?)

 (ふんっ、これだから武列の野蛮人は薄汚い。己の功績の為には部下の命を……)

 (まぁ、そう言うな。これで北辺将軍が功績を手にすれば、嫌が応にでも我らが四珠皇子の勢力も勢いづくというものであろう?)

 (おお、そうであったか。ならば、名も知らぬ将軍一人の命など無きに等しいの)

 (ほほほ、そうじゃ、そうじゃ)

 (おぅおぅ、流石は四珠皇子の派閥、目の前の餌に食らいつく有様は、さしずめ市井の野良犬と変わらんわ)

 (なにおぅ?臆病者の一珠皇子の腰ぎんちゃくは黙っておれ!)


 「左様か……では、北辺将軍よ。万事任せるぞ?……宰相、準備においては将軍の要望は全て、必ず叶えよ。これは勅命であるぞ?」

 「ははっ!身命を賭して、その任に当たらせていただきます!」

 「うむ。では以上じゃ。皆の者ご苦労であったな」


 皇帝は先ほどまでの激高ぶりが嘘のような穏やかな顔でそう告げると、巨体を引きずるように朝堂から去って行く。


 「皇帝陛下、御退出~!」


 ざっ。


 再度、太監の号令の下、一同が跪く。


 ざわざわざわ。


 皇帝が退出したことが確認されると、参列者は思い思いにその場を離れ、己の利権探しの為の交渉を始める。


 (腐っている。

 この国はどこまでもが腐っている……)


 立人は抑えきれぬ嫌悪感が表情に出てこぬ内にこの場を離れるべく、足早に朝堂を後にした。


 (しかし、宝地の陥落は春の出来事であろう?

 今は夏だぞ?

 報告では燕の北京府が前線と言っていたが、果たして今も北京府は健在なのであろうか?

 ここまで後手に回って、まともな報告ももたらされていない状況、何があったとしてもおかしくないではないか!)


 「殿下、皇太子殿下!……」


 黒づくめの鎧に朱色の飾り羽の兜。

 近衛兵の内、指揮官に位置する者だけが身にまとうことが許される甲冑である。


 「蒙彰か……」

 「はっ!殿下、先ほどの者ですが軽く話をしてみたところ、十分に見込みある者かと思います」

 「そうか……ではいつもの通りに南へ逃がせ」

 「はっ!」


 周りの者に怪しまれぬよう、小声で、しかも口を動かさずに会話する二人。


 (まいったな。

 これでまた弟に借りを作ってしまうことになるが……これも有為な人材を損なわぬためか。

 この腐りきった都の人材では、来たる大事に抗うことなどは出来まい。

 せめて、反攻の狼煙を南から起こせるよう、私に出来る範囲での準備は粛々と行っていかねばな)


 南へ逃がした人材、今回の将軍で、既に二十名ほどになる。

 立人は父帝の不興をかって、斬首を命じられた者の内、有為と思われる人材を密かに南へと逃がし続けていた。


 逃がす先は、中央府の南の湖南県。

 開封府より南に二百数里下った辺境である。


 この地には、立人の唯一存命している弟で爵位は零珠、母の身分も低いことから、帝位を継ぐ候補としてはまったく見向きもされない皇子がいる。


 帝位を継げない身分の皇子。

 だが、それでも、零珠皇子が開封府にいたのならば、猜疑心旺盛な佞臣たち、所属派閥での得点稼ぎに必死な佞臣たちによって、その命は早々に刈られてしまっていた事だろう。


 そのような立場の零珠皇子は、聡いと評判であった皇子の母によって、生まれて早々に母方の実家である湖南県へと逃がされたのである。


 因みに、零珠皇子が産まれていたことを皇帝が知ったのは、皇子が五歳になった時であった。


 華では、男子は五歳になった時に親族が祝いの席を設ける。

 その祝いでは父祖の霊へ、無事に五歳になれたことの報告と感謝を行うのが習わしであり、その感謝の祭札を偶然に霊廟で見つけた皇帝が、自分の七番目の皇子が湖南県で育っていることを知った、というわけである。


 皇帝は五男、六男、八男を不可解な事故で亡くしており、ことのほか七男の無事を喜んだという。

 五歳を迎えたのならばと、急いで開封府へ迎い入れようとしたが、長男である四珠皇子、次男である三珠皇子、三男である一珠皇子の勢力からの猛反発を受け断念したという経緯があった。


 そんな零珠皇子も今年で十歳、利発に育ったという噂は有るが、所詮は子供。

 本来ならば、幾ら辺境に逃れようと子供の命などというものは、宮廷の佞臣たちにとっては軽いものだ。

 だが、そんな佞臣たちでも手を下せない理由があった。

 それは零珠皇子の母方の祖父、湖南地方の軍権を代々握ってきた林家の統領、林武の存在である。


 湖南の更に南には越という南北に長い国が有る。

 越は大きく分けて南北に二分され、海に面した北越は華に臣従を誓っているが、南越は華に敵対している。

 そのようなことならば、北越こそが帝国の最前線と思われがちだが、北越は度々、同族の南越と手を結び華の国境を侵してくるのであった。

 このことから、華帝国の実質的な南の国境は湖南地方であり、ここで軍を率いている林武は南の守護者と呼ばれる存在なのである。


 (十年、二十年の計と考えていたが、時はそこまで待ってはくれないかも知れぬ……)


 立人は焦りにも似た心境で胸が一杯になっていた。


 (息苦しい……)


 今の立人にとって、この種の息苦しさを忘れさせてくれるのは、のほほんとした風貌の地理教師、香絹だけであった。

 皇太子を敬うも謙らず、そして皇太子よりも深い知識を持ち見識も深い。

 立人にとっては唯一とも言うべき「師」であった。


 ちりんっ、ちりんっ。


 自室に戻った立人は呼び鈴を鳴らして女官を呼ぶ。


 「「おかえりなさいませ、殿下」」

 「ああ、今帰った」


 立人はそう軽く答え、女官たちに着替えをさせる。


 「……今日は子龍先生の授業が途中で終わってしまった。済まないが、これより人を先生の下にやって、明日に授業の続きを行なってもらえないか聞いてきてくれないか?」

 「「……」」


 立人の問いに答えが出せぬ女官達。


 「ん?聞こえなかったのか?子龍先生の下に……」

 「……恐れながら殿下。子龍先生は私用にて、本日で教師の役目をお暇すると……」


 がしゃんっ!


 「ひ、ひっ!」


 卓上に置いてあった水指が女官の足元で割れる。


 「私の言葉が理解できなかったのか?」

 「……子龍先生は……」


 すっ。


 今度は静かに手を挙げる立人。


 「私は要らぬ問答は好まぬ質だ。しかもそれが、無益で益体な物ならば尚更だ……もう一度伝えよう。子龍先生に明日お越し願えるかどうかの使いを出せ」

 「……は、はい……直ちに人を遣わします……」

 「よろしい。では早急に人を遣わせろ……それとだ、お前に要らぬことを吹き込んだのは誰だ?答えられぬというのならば、お前自身がそこの水指の様に……」

 「ひ、ひっ!わ、私ではありませぬ!紗玉娘々が!」

 「な、なんという!この売女が!!」

 「紗玉よ……残念だな。お前は長く私に仕え、私の気性を良く知る者だと思っていたのだが……」


 立人は自分の打掛を外してくれた女官に冷たい視線を送る。


 「お、お許しください!これもすべては殿下の御為!あのような卑しい身分の者を師と仰ぐなど、四珠皇子や宰相の一派に知られたら!」


 (ふむ。

 どうやら、紗玉は兄上たちの息が掛かったわけではないのか……行き過ぎた、凝り固まった特権階級意識からの行動か……。

 されど、その行動が、紗玉の意識外で、彼らの思惑によって踊らされたのかも知れぬか……)


 「子龍先生に対しては、その深い見識に敬意を表し、私は「師」と仰いでいるのだ。身分云々などというのは学を蔑ろにすること甚だしいな。紗家は元々が文列に連なる一門であろう?それがそのような見識で如何するのだ!……紗玉よ。其方は十日程実家に戻っておれ、そうして考えを改められたと自分で思えてから再出仕せよ。それまでは我が館の門をくぐることまかりならん!良いな!」

 「は、ははっ!殿下のご厚情に深く感謝いたします」


 最悪、命を以て不興の責を取らせられるかと青ざめた紗玉は、十日の謹慎で許されたことに感謝をし、深く頭を地に付けた。


 「良い機会だ、皆にも伝えておく。香子龍先生は私が敬愛する師である。私は師が侮辱されることには耐えられぬ弟子である。良いな?二度は無いぞ?」

 「「はい、殿下」」


 その場にいたすべての女官が、立人の言に跪いた。


 後代の史書に言う。

 華帝国の北辺が荒らされると同時に、皇太子、姫立人の軍師に香子龍が任命されたと。

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