-第一部- -第一章- 風雲来る開封府

-第一話- 皇太子の教師

華歴二百三十一年 夏 中央開封府


 「子龍よ……暇だぞ?何ぞ面白いことでも聞いておらぬか?」

 「……皇太子殿下。私の記憶が確かならば、今は地理の授業の真っ最中だと思うのですが?」

 「おお!子龍よ!流石はお主だな。その通りだ!今は地理の授業中だ!だから暇だと言うておる」


 言葉を飾るまでもなし。

 自分の授業がつまらないと教え子に断じられて、華帝国の皇太子付き地理教師、香絹しゃんちぇん、子龍は落ち込んだ。


 (多くの生徒にとって授業は須らく退屈なものであることは理解しているが、こうまではっきりと言わなくてもよいのではないであろうか?)


 子龍は自分が生徒の頃だったことを思い出し、目の前の高貴な身分の生徒が退屈を感じぬよう、様々な工夫を凝らしていた。


 地名の暗記などだけではなく、土壌成分の違いから始まる地形形成の歴史、産物の発展過程、歴史に見る古戦場がどのような地理的要因で決定されてきたか等々、ついぞ地理に関係しているもの、雑学とも言える内容を盛り込み、決して飽きが来ないように工夫をしてきた。

 その努力を一刀両断されてしまったのだ。


 「ああ、そう落ち込むことは無いぞ?子龍よ。お主の努力は理解しておるし、俺の飽きが来ないように創意工夫を凝らした授業内容であることは認めよう。……だがな、こればかりはしょうがないのだ。勉強はつまらん!」


 勉強はつまらない、確かにそれは真実である。

 真実ではあるが、そのことは教師という職についているものにとっては、大いなる悪夢とでもいうべき真理でもある。


 「あと、俺のことを殿下とか言うな!……人前では格好つけなければいけないだろうが、せめてこの皇太子府では名前で呼べ!……せっかく母上がつけてくれた名なのだ。名前で呼ぶ者がおらぬのでは、名前に悪いではないかっ!」

 「はぁ……立人りーれん様。……その……お言葉を返す様で申し訳ございませんが、勉学なるものの第一歩は得てして退屈なものです。されど、学を深めて行くうちにその面白さは深まって来るのです」

 「子龍、お前はいつもそう言うが、それではわからんと、俺もいつも言うておるだろうが!……今回も何ぞ面白い課題を出すが良い!」

 「はぁ……」


 現皇帝の四男、姫立人じぇりーれん

 華歴二百二十年に生まれたこの十一歳の少年は、皇帝の息子八名の中で唯一、皇后の息子である。

 一番年上、長男の四珠皇子は三十九歳で、最年少の七男の零珠皇子は九歳である。

 八名の男子の内、五男、六男、八男は幼児期に命を落としている。


 「ほれ、早く!早く!」

 「はぁ……では……」


 その皇太子の地理教師、姓は香、名は絹、字は子龍。

 親に付けられた名はどうにも女性っぽいので、本人は好きで無いようだが、彼を知る人物の多くはこう言う、「名は体を表す」と。

 今年で二十一という若い彼は六尺を越える長身に引き締まった身体。絹の如きつややかな髪は真っすぐに伸び、その立ち姿は古の神仙に勝るとも劣らずとの評判である。


 「……そうですね、では最近話題の清について考えてみましょうか。まずは、気候についてです。一年の気候の推移を教えてください」

 「よし!良いだろう!まず……清は東北三州の総称で中心都市は宝地、三州はどこも似たような気候で、冬が非常に厳しく、十月から二月までの五か月は雪に覆われている土地が殆どだ!一方で夏は七月を跨いでの前後二か月だけ。だが、この夏が厄介なことに非常に暑い。特に内陸部では、ここ開封府よりも暑い日が続くというほどだな!」

 「正解です。では、なぜ夏は暑く、冬は寒いのでしょうか?」

 「寒いのは純粋に北に位置するからだ。宝地は開封府より四百里も北にある。寒いのは当然で、夏暑いのは……暑いのは……暑いのは?」


 答えが見つからず、視線を宙に彷徨わせる立人。


 ごくっ。


 子龍は授業中の湿らし用に置いてあるお茶を一口飲み、後は黙って立人の思考を見守る。


 「夏は暑いのが当たり前だが、ここよりも暑いということは……う~ん、う~ん!」

 「立人様、西方府の地理の授業でもやりましたよ?」

 「お?おお!そうか!山に海からの湿った風が当たって乾いた風になる!東西南北が山に囲まれた清の地は広大とはいえ、夏の乾いた熱い風が吹くから暑くなる!」

 「はい。その通りです」


 簡単な助言で、見事答えを導き出した生徒を微笑ましく見つめ、子龍は立ち上がって補足説明に入る。

 大陸の地図が張ってある屏風に指し棒を片手に向かう。


 「良いですか、この帝国が、開封府が有る大陸は大きく東西に分かれます。山と言えば、どうしてもこの大陸を二つに分ける天山山脈を思い浮かべますが、この帝国内にもそこまで行かずとも気候に影響を与えるほどに高い山々は数多くあります。清の地で言うのならば、燕・遼の地と清の地を別ける遼甲山脈、大寒高地に続く大草原とを別ける黒龍山塊、沿海州との境の白狼山脈、北の海の玄関ともいえる渤海湾脇に聳え立つ遼東山脈です」

 「うむ。四方を高い壁に囲まれている関係で、西方府と同じように夏は乾いた熱い風が流れ込み、海からの涼しい風が入り込む開封府とは違って、暑くなるということだな!」

 「その通りです。立人様」


 よくできました、と拍手を送る子龍。


 「では、次はその山々についての考察を深めて行きましょう。……まずは、そうですね。遼甲山脈から始めましょう。この遼甲山脈ですが、その特徴はどんなところでしょうか?」

 「特徴か……そうだな、まず険しい山が多いな。そして、山の高さが結構ばらばらだ」

 「そうですね、遼甲山脈は一塊ではなく、ある意味独立した山々が連なっています。ではその理由はどうしてだと?」

 「理由?……う~む!わからん!」


 先ほどの問題とは違って、即座にわからないという立人。


 「はっはは。そうですね、これは予め答えを知っていないと難しい質問の仕方でしたね。では……そうですね、遼甲山脈周辺で有名なものと言えば何が有るでしょうか?」

 「有名?遼甲山脈に有名な物が有るのか?」

 「はい。燕の北にはある有名なものがあり、その場所に赴くために帝国中から旅人が集まります」

 「帝国中……?集まる場所?……観光地か何かか?……う~む、お?おおぉ?!そうか!温泉地で有名だったな!燕の北は!」


 立人は思い出せたことがいたく気持ち良かったのか、思いっきり立ち上がって拳を握りしめる。


 「では、立人様。温泉ということは、その付近の山々というのは……」

 「火山だな!火を噴く山々だ!」

 「その通りです、遼甲山脈は火山の活動により出来た山脈です。火山の吐き出す鉱物には色々なものが有ります。溶岩の出て来る量や、溶岩の元となる岩石の場所によって違うとは言われておりますが、遼甲山脈のあたりでは豊富な鉄が産します」

 「おうぅ!燕の鉄器は有名だな。軍の装備もその多くが燕の都の北京ほっけい府から送られてくるものな!」

 「左様でございます。……だいぶ立人様も興が乗ってこられましたな?では、次の……」


 ぱたぱたた。


 「ん?」


 ぱたぱたた。

 こんこんこんっ!


 「何用か?」


 廊下を走ってきた様子。

 皇太子付きの内監が急ぎの連絡をしに来たのであろう、立人が戸を叩かれた合図に応え、声を掛ける。


 「陛下よりのご使者でございます。皇太子殿下は急ぎ朝堂に来るようにとのことでございます」

 「朝堂に?このような時間にか?もう昼もだいぶ過ぎておるぞ?」

 「はぁ、そのようなお言葉でございます」

 「……わかった!急ぎ支度を整え向かう、と陛下からの使者に返事してくれ!」

 「は、はい!直ちに!」


 ぱたたたた。


 皇太子付き内監は、ここまで来た時と同様に、急ぎ足で皇太子府の玄関先へと走って行った。


 「……むぅ。子龍よ、残念ながら今日の授業はここまでだ。陛下からのお呼びだからな、朝堂に急ぎ向かわねばいかん」

 「はっ。お気になさらず、どうぞお急ぎくださいませ」

 「うむ」


 ちりんちりん!

 立人は部屋に備えられている呼び鈴を鳴らす。


 「殿下、どのようなご用事で?」


 鈴の音で呼び出され、奥の間に控えていた女官達が姿を現す。


 「まずは香先生がお帰りだ。お見送りをせい。……それと、陛下より朝堂に呼ばれた。朝議用の典礼着を用意せよ」

 「「はっ」」


 主の命を受け、女官達が動き出す。

 子龍を送り出す者、衣を取り出す者、立人の着替えを手伝う者……。


 子龍を送り出す者は、皇太子府の女官としては第三位に位置する者である。

 これは全ての客人や教師の見送りに、かように高位の女官が毎回従事するわけではない。

 立人が大事と思っている人、もしくは宮廷序列上の必要に駆られる人物相手だけに行われる対応である。


 すたすたすた。


 皇太子府の廊下に二人の足音が静かに響く。


 今日はいつになく見送り役の移動速度が速い。


 この女官に見送られる人物の中では、最も身分が低いと自覚している子龍を以てしても、今日の見送り……だけでなく、陛下の使者が到着してからの皇太子府はおかしなものであると感じられた。

 衛兵たちの視線は厳しく、女官たちも一切の私語などをしていない。

 皇太子府の雰囲気というのは、主の性格を反映してか、いつもは非常におっとりというか、緩い空気が流れているのだが……。


 (やれやれ、今日はとんでもない事件が起きたようだな。

 俺の仕事や、生活圏に差し障りがあるような事態にならなければ良いのだが……)


 「では、香先生。これにて本日の授業、お疲れ様でございました」


 女官は表面上だけの礼節を以て、子龍に挨拶をし、頭を下げた。


 「あ、はい。ありがとうございます。……それでは、次回の授業は三日後でしたね。その日にまた、お伺いいたします」

 「いえ、次回以降の日取りは、改めて我らからお伝えいたします。それまで、先生は皇太子府にお越しになられずとも結構でございます」

 「……あ、はい。そうですか……」


 (参ったな……教師の解雇だけは止めてくれよ?

 そうなると部屋の支払いや、ツケで買った本の代金支払いとかに影響が出ちゃうんだよな……)


 なんとも皇太子の教師とは思えぬ、小市民的な理由で頭を抱える子龍である。


 「……」

 「……」

 「はぁ……先生、今日のことはこれを以てご内密に……」


 女官はそう言って、小金子を一つ、子龍の手に握らせる。


 「あ!いえ、私はそういうつもりではなくですね!」


 慌てて金子を返そうとする子龍だが、女官はそのような無駄なやり取りを長引かせる気はないようだ。


 「先生!……これは私からの物です。……そして、先ほどの私の言、ご理解頂きますわよね?」


 美人からの圧力ほど怖いものは無い。

 さらに、その美人が高位の者であるなら尚更である。


 子龍はこれ以上の問答は物理的な危険を呼びそうだと感じ、即座に金子を懐に収めた。


 「娘々のご厚情に深く感謝いたします。それでは、私は娘々からの使いの者の伝言を家にて待たせていただきます。……失礼いたします」


 深く一礼する子龍。

 されど、女官はその姿に対し、鷹揚に頷きを一つ返しただけで即座に皇太子府の中へと引き返して行った。


 「参った、参った。これでは新しい職を早々に見つけんことには、郷里に帰る羽目になりそうだぞ。折角ありつけた絶好の職なんだがなぁ。……勤め先を理由に家賃の値下げも出来るし、本の値切りも楽に行えるというのに……ああ、参った、参った」


 なんとも小市民な子龍の悩み、もちろん返事を返す者もなく、救いの手を差し伸べる者も当然いない。

 華帝国の都、中央開封府は人口百万を軽く超える大都市だ。

 百万の民は己の生活を守るために忙しく、田舎から出て来た一講師、それがたとえ皇太子の教師であろうとも、好意で手助けするようなお人好しは存在しない。

 大都市の住民は、利己的なものである。

 開封府に移り住んでからの子龍がそうであるように……。

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