-第零二話- 北辺の街、蹂躙される

 「おお!ど、どうすればよいのだ!このままでは、儂の息子が生きたまま……あやつらの手によって!!」

 「清王!どうぞお心安らかに!あのように蛮族共は宝地ほうちに迫ってはおりますが、見たところ、全軍合せても一万少々。我らの精兵は三万を数え、猛将たる耶蘇武律やそぶりつ将軍に率いられており、東方不敗!何ぞ恐れることはありませぬぞ!」

 「「左様!左様!」」「恐れることはありませぬ!」「一戦して撃滅してやれば良いだけのこと!」


 宝地の城内、宝地を初めとする華帝国の北辺、東北三州の長、清王は一人だけ嘆いているが、その清王を取り囲む文官、武官に逼迫した表情は無い。

 武官は己が手柄を夢見、文官は籠城の手筈とその用意の最中にどれだけ自分の懐を温めることが出来るかの皮算用で忙しい。


 「お前たちはなんと薄情なのだ!やつらが前面に押し出している車!あの上には儂の息子が磔されておるのだぞ!?……今のところは傷などはおってはおらぬが、未だ肌寒い季節だというのに、あのように上半身の衣を脱がされ、いつ、蛮族共の槍に刺し突かれるやも知れぬというに……この不忠者ども!大概にするが良いわ!」


 一人息子を心配する父親。

 その激情迸る叫びも、この場に集まる文官・武官に何の感慨をも呼び起こすことはない。


 (あの馬鹿王子なぞ死んでも構わんではないか?)

 (その通り、城内の女官の股座を舐めまわすことしか出来ぬような色呆け王子なぞ……)

 (ああ、今回のように敵の手で最後を迎えられるというのなら、多少はこれまでの悪行が薄められ、後世では悲運の王子として扱われるであろうさ)

 (拙者としては悪行はそのままに残してもらいところではある!)

 (おお、そういえば、卿の娘御は……)

 (……婚約者もおり、この夏には祝言を挙げる予定ではあったが、行儀見習いとして城におった間に……)

 (そうであったな……馬鹿王子の毒牙に掛かったのを苦にして……御無念で御座ろう……)


 「清王殿下。王子のことは無念ではございますが、ことは宝地の住まう二十万の民の行く末、そして、北東三州、清の百万の民の未来が掛かっております。ここは、心を鬼として、どうぞ耶蘇将軍に出撃するようお命じください!さすれば、未来永劫、清王殿下と王子殿下の志は……は……は?」


 ざしゅっ!


 そこには、この場に集う誰もが予想できなかった光景があった。

 軍の出撃を進言した文官、その文官の身体から剣の切っ先が飛び出ている。

 剣の柄を握っているのは清王その人。


 「な、なにをなさっておられるのか?!」「玄殿!玄殿!気をしっかりぃ!」「清王殿下の御乱心だ!者共!出会え、出会え!殿下を別室にお連れするのだ!」

 「静まれぃ!静まれぃ!儂は先代皇帝の末弟!清王なるぞ!この不埒者はその儂の息子を見殺しにせよと言い放った故に処断したに過ぎぬ!……衛兵っ!」


 ばたんっ!ばたんっ!


 清王がそう叫ぶと、部屋の外、戸の向こう、柱の陰に控えていた黒づくめの鎧に身を包んだ衛兵が姿を現し隊列を組む。


 「この者達は儂に逆らう不届き者達じゃ!二度と儂に逆らえんよう、二度と不遜な物言いが出来ぬよう、ここに閉じ込めておけ!儂は、儂は……これより息子の身柄を取り戻すべく外の者らと交渉をしなければいかん!」


 ざっ!


 衛兵たちは抜刀し、胸元に構え、清王の命令に服従する。


 広間は、つい数刻前には誰も予想していなかった理由で、沈黙が支配することとなった。


 ……

 …………


 「今戻ったぞ?小僧共はおとなしゅうしておったか?」

 「あ、はい、師匠。リンツと豪さんは見ての通り……」

 「かっかっか。今回の酔い止め解毒薬は少々きつめじゃからな。頭痛はいつも以上の強さであろうな……」


 宴席から引き揚げた冒険者一行は、宿屋一階の食堂に場を移し、席を外していた老人の戻りを待っていたところだった。


 「つつつっ、なんだよ、爺さん。……いつもより頭痛が酷いと思えば、爺さんの仕業かよ……」

 「仕方あるまい……状況が状況じゃ、念のために、強めの薬でお主らの酔いを一偏に吹き飛ばした方が良いと思ったからの」

 「老子……状況と仰られましたが、あの鐘の音は?」


 大きく一つ頭を振った斧使いは、いつもの冷静な口調に戻って、老人に状況を尋ねる。


 「ふむ。……あれは敵襲を告げる鐘の音。少々、儂の旧い知り合いを城に訪ねて聞き込みを行ってみたが……どうにも状況は最悪に近い形じゃな。外に迫った蛮族は一万ほど。城内の精兵で一揉みにすれば、決着は着くのであろうが、どうにも相手は人質を取っておるようでな。城から兵を出す気配がない」

 「なんだよ、爺さん……一万程度の兵か……驚かすなよ。その程度の蛮族、満足な攻城兵器を持ってきてねぇんなら、二十万都市の宝地が落ちるはずもねぇ。清の他の都市、帝国の援軍が来るまで閉じこもっていりゃ問題ないんじゃないか?」

 「そう……本来なら坊主が言う通りのはずなんじゃが……」

 「なんだが??」

 「……それにしては、城の中心がな。……少々気がかりでならんのじゃ。……そういったわけで、儂らはいつでも城の外に逃げられるようにしておくぞ?敵は一万という事じゃから、この街の四方を囲むには兵が足りん。流石に四方の門は十分な備えで抑えるではあろうが、水路なんかまでをも抑えきれるとは思えん。いつでも逃げられる準備を忘れずにな!」

 「「わかった!」」


 人生経験豊かな老人からの説明。

 少女も少年も青年も冒険者という職業柄、非常の際の心得は身に着けているようだ。

 真剣な目つきを以て、老人の方針に頷きで答えた。


 ……

 …………


 しかし、凶事という物は人生経験豊かな老人の知恵を持ってしても予想できるものではなかったようだ。


 「うわぁぁぁぁ!!!!」

 「た、助けてくれぇぇぇっ!!!」


 がばっ!


 昼間に老人から万全の準備をしておくよう言われた少年は、いつもとは違い、いつでも鎧が着付けられるような服を着たまま寝床に入っていた。


 (悲鳴だと?!……こいつはヤバイのか?)


 ぱしぃんっ!


 眠気を覚ますために自分の頬を叩き、自分の隣で眠っている少女を揺すって起こす。


 「マルグリット!起きるんだ!こいつは何かヤバイ!早く冒険服を装備するんだ!」

 「う~んっ!リンツったら……今日はおイタはしない日でしょう?」

 「寝ぼけてるなよ!早く起きろ!こいつは冗談じゃないぞ!」

 「う~んっ!……って、あ、な、なに?どうしたの?」


 幸せな日常の夢でも見ていたのだろうか、寝ぼけ眼の少女は目をこすりこすり、少しずつ頭を覚醒させて行く。


 しゃぁっ!


 少年は乱暴に窓幕を開け、部屋窓から外を眺める。

 遠くで聞こえる悲鳴とともに、火の手が上がっているのが確認できる。


 「え?え?えっ?ど、どういうこと?どうして……」

 「……落ち着けマルグリット!……どうやら、爺さんが恐れていた事以上のことが起きたようだな。何故だかはわからねぇけど、蛮族共は街の中に入り込んで火を点けながら悪さをしている!蛮族共が入って来ているのは東門からのようだから、西門近くのここにまでは来ることはねぇだろうが、いつでも逃げられるようにしておかねぇとな。ほら!さっさと支度するんだ!」

 「う、うん、わかった……けど、どうしてあんなに目に見える程の数の敵兵が……城内には三万の精兵が詰めているんでしょ?どうして撃退しないの?」

 「わかんねぇ!……だけど……だけどだ!俺たちはあのクソみたいな田舎町から逃げ出して、こうして東方で楽しく生きていられるようになったんだ!お前を危険な目になんか合わせやしねぇ!絶対に!無事に逃げ出すぞ!」

 「う、うん……私を守ってね?リンツ」


 少年と少女は互いに震える身体を寄せ合い、きつく抱き合い、生き延びることを誓うかのように力強く唇を重ねる。


 こんこんっ。


 「落ち着いたか?少年少女よ?」

 「「おっさん!(豪さん!)」」


 見るからに頑丈そうな鎧に身を包み、七尺は有りそうな大斧を担いだ青年が、部屋の内側から扉を叩き、少年と少女に声を掛ける。


 「なに、照れることは無い。人間というものは愛する者を守るときにこそ、真の力を発揮するというものだからな。……準備が出来たのならば、行くぞ?装備の他、水と食料だけは忘れるなよ?!」

 「ああ(はい!)!」」


 少年と少女は、携帯食や冒険に必要なものを詰め込んだ内袋を袈裟懸けに身に纏い、その上から鎧を急いで着込んで部屋を出る。


 この部屋、この宿は少年少女が拠点として生活を初めてから、かれこれ三年。

 様々な思い出が詰まった場所であった。


 「今日で、この部屋とはお別れかも知れないけれど、またこの部屋みたいに住み心地の良い部屋を見つけようね?リンツ」

 「ああ!俺とマルグリットが一緒なら、何処であろうとも最高の日々ってもんさ!」

 「ふふふ」


 少年はこういう時は常に少女のことを本名で呼ぶ。

 そのことが少女は嬉しかった。

 少女は自分の名前、この素敵な名前を付けてくれた母親、顔も覚えていられないほど昔に死んだ母親のことが大好きだった。


 「爺さん!準備は出来たぜ!」


 一階の食堂で待機していた老人は、仲良く手を繋いで降りて来た少年と少女を優しく見つめ、大きく頷いた。


 「よし、ならば時は一刻を争う。町の者には悪いが、先ずは自分の身じゃからな。急いで街を抜け出し、南へ!まずは清を出て遼の地、燕の地へ向かうとしよう!」

 「「おお!」」


 ……

 …………


 「ど、どうして……お主も清の……華の皇統に連なる男であろうが……」

 「けぇっけっけけぇ!そんなもんは知らねぇな!糞爺!俺は、俺のことを見下してきた奴らに仕返しが出来ればそれで良いのよ!……それよりもだ!糞爺こそ、御高説偉そうにしちゃいるが、我が身可愛さで、こうして代々の城主一族しか知らねぇ抜け道を使って逃げ出そうとしてるんじゃなぇかよ!なぁにが皇統の責務だってんだ!よっと!……ああ、大声出したら逝っちまったぜ。やっぱし、西方人の穴ってやつは東方人とは一味違って気持ちいいな!こう、ぬめりってか、うねりがちげぇや!」


 血まみれになりながら地に伏している老人、その老人を最後まで守っていた青年は、五体を切り刻まれ、水路に投げ捨てられていた。


 この場の指揮官と思しき男、老人を見下している男は痣だらけの少女を犯しながら悦に入っていた。


 「くっくっく!これから俺が治める宝地には、こんな西方人が沢山いるんだろ?これまでは、城内にいる女どもしか犯すことが出来なかったが、これからは街中の女という女を犯してやる!ひゃ~はっはっは!こいつは滾って来るぜ!」


 男は抱えている少女の首を更に絞め、己の精を放った。


 「ありゃ?死んじまったか?……まぁ、良いさ。西方人ってことなら、部下共が楽しんでいる男がいたか……お~い?そっちの男貸せ!交換だ!」

 「……こ、この外道めが……!地獄に落ちるが良い!いつかその報いが貴様の身にも落ちることであろう!!」

 「ああ、はいはい。因果応報因果応報ね!まぁ、それまでは面白おかしく生きて行きますよ!……とりょ?」


 ぐっしゃ!


 男は毛皮鎧に身を包んだ大男の一刀を浴び、荷車から落ちて路上でつぶれた瓜のように、頭部を粉砕された。


 「……なんだ?この有様は?隠し通路があると言っていたのでここまでは生かしてきたが……仕事もせずに……この隊を率いているのは誰だ?!」


 大男は淫行に耽っていた男を一刀の下で潰すと、この部隊を率いている男を呼び出した。


 水路に隠された脱出路。

 その脱出路を利用して、外から侵入してきた部隊、その部隊長は恐怖に打ち震えながらも、大男の面前へと進み出て来た。


 「……釈明は?」

 「……わ、我々はにっくき帝国人どもをこうして……」

 「帝国人だと?この小悪党が犯していたのは西方人だったようだが?」

 「え?いや、それは……わひゃわっ!」


 ぐじゅっ!


 部隊長も先の男と同様、大男の一刀の下に頭を潰された。


 「そ、そこの御仁……どこぞの高名な方とお見受けするが……この老体の最後の願い聞いてもらえぬであろうか……」

 「ん?ご老人、どのような願いだ?」

 「このような無体、街の……街の者達へは行わないで頂きたい……」

 「ふむ。……息も絶え絶えの老人に嘘はつきたくないので、はっきりと言うが、それは無理な相談だ。我ら清人は帝国の仕打ちを忘れることは出来ん。帝国に虐げられてきた清人の怨念を慰めるため、帝国人と帝国に媚びを売ってきた畜生共に慈悲を与えることは出来ん。男どもは切り刻んで畑の肥やしとし、女どもは兵の慰みが終われば、我ら正当なる清人を産み落とす道具となってもらわねばならん。子を成せぬ女どもも等しく畑の肥やしになってもらう。……心配するな、赤子の骨の一片まで、我ら清人の糧として利用してやる」

 「な……なんと……こ、この畜生めが!獣にも劣る屑めが!」

 「言いたいことはそれだけか?老人?……ならば死ね、せめて苦しむことの無いように送ってやる」

 「し、清人に呪いあれ!!ごぅぉりゃ」


 ぐじゅっつ!


 「ふん。帝国人にもこの老人のような気概を持つものがいたのだな。……この老人のような人物が帝国人の全てであったのならば、今日のような悲劇が引き起こされることはなかったであろうに……まぁ、良い、行くぞ!」

 「「はっ!!」」


 大男に率いられることになった、隠し通路の突入隊。彼らが何の抵抗もなく街の西側に現れたのは、それからほんの四半刻後であった。


 ……

 …………


 華歴二百三十一年の春。

 帝国北辺の要地、宝地はこうして陥落した。


 宝地の住民二十万、その悉くが殺され切り刻まれ犯された。


 この報は、ほぼ丸腰の状態の軍、三万を率いて壮絶なる撤退戦を指揮した耶蘇武律将軍が、燕の王都である北京府に到着したことで、初めて、華帝国重臣達の知るところとなったのである。

 その報をもたらした北京府に到着した耶蘇武律将軍の麾下、その人数は僅か三十八人だったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る