春にはこたつがなくなって
「サキ。三十分たったら起こして」
「えっ、寝るの?」
「うん。なーんにも頭にはいってこないから!」
そう言って、お姉ちゃんはこたつにもぐりこんだ。ごっそりともぐりこんだから、こげ茶色のかみの毛が見えているだけ。コタツのコンセントは抜かれている。
こたつ机の上には、教科書とノート。ノートの字もなんだか眠たげだ。
(お姉ちゃん、疲れてるんだなあ)
ちゃんと、三十分後に起こしてあげようと思った。かべにかけてある丸時計の短い針は、「3」のところにある。お姉ちゃんは、かわらしい寝息をたてはじめた。
テストに合格すれば、お姉ちゃんは、この家からいなくなる。春から、遠くはなれたところで、ひとり暮らしをする。「だいがくせい」になる。さみしい。
不合格になったらいいのにと、思うこともある。けど、お姉ちゃんは、「ぜったいにカウンセラーになりたいんだ」と、言っていた。こころがつらいひとのお話を、じっくりと聞いてあげるお仕事。その夢をかなえるために、苦手で大嫌いな勉強を、がんばっている。
わたしは、お姉ちゃんが大好きだ。わたしのことを、おかあさんより分かってくれている。
「学校、つらいの?」
あの日、お姉ちゃんは、わたしにそう聞いた。げんかんで、くつをはいているときに。
「ううん」
うそをついた。ほんとうは、学校に行くのがいやだった。けど、それがなぜなのかは、自分では、ぜんぜん分からなかった。嫌いな授業があるわけでも、いじめられているわけでもないのに、朝がくるたびに、学校に行きたくないと思ってしまう。
とうとう、わたしは学校に行かなくなった。家族はみんな、なんでわたしが学校に行かないのかが、ぜんぜんわからなかった。担任の先生が家にきて、わたしにいろいろなことを聞いたけれど、「これだ!」という答えはでなかった。
一日中、自分の部屋にいた。なんだかはずかしくて、みんなと一緒にいたくなかったから。さみしかった。つらかった。こころが痛んだ。たくさん泣いた。のどはいつも、からからだった。
「サキ。大丈夫?」
そう言ってお姉ちゃんは、よくわたしの部屋をのぞきにきてくれた。学校に行くまえ、帰ってから、ごはんのまえ、ごはんのあと、そして「おやすみ」のとき。
お姉ちゃんは、家族のなかで一番、わたしを心配してくれた。
わたしは、病院に行くことになった。そして、病院に通うことになった。でも、通う病院を探すのはたいへんだった。わたしが安心して話せるカウンセラーさんは、なかなか見つからなかったから。
お姉ちゃんは、「いまは学校に行けなくても大丈夫だから。ゆっくり休みな」と、声をかけてくれることがあった。
でも、わたしが学校に行きはじめたときに、「あんなこと言ってごめんね。逆に、サキを苦しませちゃったよね」と、あやまられた。
わたしは、お姉ちゃんのことで苦しんだことなんて、なかった。家族で一番、わたしを気にかけてくれているお姉ちゃんのことが、好きで好きで、たまらなかった。
お姉ちゃんは、わたしが引きこもってから、苦手で大嫌いな勉強をがんばるようになったのだと、おかあさんが教えてくれた。でも、カウンセラーさんになりたいという夢を、わたしに話してくれたのは、ずいぶんあとのことだった。
三十分がたったので、お姉ちゃんを起こそうとした。でも、そんなことをしなくても、「おはよ」と言って、お姉ちゃんはこたつのなかで背のびをした。
「さて。がんばりますか」
お姉ちゃんは起きあがって、ふと、わたしの頭をなでた。「ありがとね」と言って、ほほえみかけてくれた。
「うわあ。なに書いてあんのかわかんない」
お姉ちゃんは、消しゴムでノートをこすりはじめた。鼻うたを歌いながら。そして、お姉ちゃんといれかわるようにして、わたしはこたつにもぐった。
(ぜったいに合格するよ。お姉ちゃんは、ぜったいに)
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