ライオン

 あの日、ケンはしんだ。

 理由は悲さんなものだったから、言う気にはなれない。


   ○   ○   ○


 あの日から七日後の夜、ケンの父は、自分の子どもが死んでしまったことを、まだ信じることができず、こころは水をもらえなくなった花のようにしおれてしまって、体はくさりでしばられているかのように、うまく動かすことができなかった。


 毎日、ふとんにはいると、ずっとケンのことを考えた。あの日の三日前、ケンは動物園に行きたいとダダをこねた。でも、せっかくの休日だったから、父はのんびりと過ごしたかった。ケンを遠くの動物園につれていくことなんて、したくなかったのだ。


 ケンと最後の思い出をつくりたかったと、父はこうかいしている。でもあの時には、ケンがしんでしまうとは思ってもいなかったから、そんなこうかいをしても、いみがない。動物園につれていってやろうとは、あの日、一度も考えていなかったのだから。


 父は、亡くなった自分の子どものことを思いだしては、泣いた。かけぶとんで涙をぬぐっても、つぎからつぎへと、目から悲しみが流れてくるのだ。何時間も眠れず、翌日の仕事では失敗ばかりした。


 ケンはライオンが好きだった。おりの前で、ずっとずっとライオンを見ていた。なんでそんなにライオンが好きなのかと父が聞くと、ケンは「優しいからだよ」と答えた。強いから、かっこいいからではなく、「優しいから」というケンの答えは、父にはよくわからなかった。


 父は体が「寝てくれ!」と悲鳴をあげるころに、ようやく目をとじることができる。それでも翌朝起きると、眠った気がしないほど体がだるい。こころは穴があいたかのように、すーすーとしていた。もう、楽しいとか、笑いたいとかいう感情は、なくなってしまっていた。


   ○   ○   ○


 この日、ケンがしんでしまってからはじめて、夢をみることができた。なぜだかはわからない。でも、気づいたら、父は夢のなかにいた。


 そして、一匹のライオンと向かいあっていた。


 ライオンは、ひとを食べてしまうほど、とてもおそろしい動物なのに、父はぜんぜんこわくなかった。気がついたら、泣いていた。夢のなかでも、涙をあふれさせていた。なぜかといえば、このライオンはケンの声で、「お父さん」とよびかけてきたのだから。


「ケン……」

「お父さん」

「ケン……。ごめんな」

「なんであやまるの?」

「動物園、連れていってあげられなかった」


 父の声はふるえきっていた。


「ううん。ぼくこそ、わがままを言っちゃった」

「わがままを言うのが子供の仕事だから。そして、お父さんの仕事は子供のわがままを聞いてあげること……なのにな」

「でも、お父さんはぼくたちのために働いてくれているんだよね。だから、お休みの日は、わがままを言っちゃいけないんだって、やっとわかった」

「ごめんな……。ケン」

「ぼく、お父さんの子でよかった」

「お父さんも、ケンのお父さんでよかった」


 父はライオンのたてがみに顔をうずめた。


「お父さん、生きていてね。生きていてくれれば、ぼくはまんぞくなんだ」

「はやく、ケンにあいたいよ」

「ぼく、天国でいっぱい考えるよ。どうやったら生きかえられるかって」


 涙のせいでたてがみの色はこくなっていった。


「待っててね」

「ああ、待ってる」

「うん、待ってて」


   ○   ○   ○


 父が目をさますと、外はもう朝になっていた。体もこころも、すっきりとしていた。「生きよう」という気持ちは、ぽっかりとあいた父のこころの穴に、すっぽりとはまり、ぬい合わされていた。

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