草原のひめと馬にのって

 見わたすかぎり、空と草原をわける地平線しかない。タケルは、なだらかな黄みどり色の草の坂にねころがって、自分をのみこんでしまうかと思うほどのはく力がある空を見ていた。

 ラムネのビンのそこにいるかのような、とてもこい青色の空で、そこには、大きな大きな雲がいくつもあって、とてもせっかちに、風にのって流れてゆく。タケルのからだが、暗いかげにつつまれたかと思うと、一秒もすればまた、まばゆい太陽にかがやいていく。

 ここは、忘れてしまいたいことを忘れられる、一日に一度だけ行くことのできる場所だ。タケルは、ここでねころがるために、つらい一日をがまんするのだ。

「ここにいたのか」

 タケルが首をのけぞらすと、この草の坂の上に、わかわかしい茶色の馬にのった女のひとがいた。とても勇ましい声をしている。身につけているネックレスは、太陽のひかりで、ものすごくきれいに見える。赤色、青色、黒色、白色、金色、銀色、……と、とてもカラフルな服をきた、りりしいおとなの女のひとだ。

「タケル。そろそろ帰らないといけない」

「いやだよ。まだ、ここにいたい」

「わがままをいうな」

 きびしい声で、少ししかりつけるように、女のひとはそう言った。この女のひとは、自分のことを《草原のひめ》と名のっていたので、タケルは、この《草原のひめ》のお城へ行ってみたかった。

「ねえ、その馬にのせてよ」と、いつもたのむのだが、《草原のひめ》は「ならぬ」と言うだけ。

「じゃあ、いつかのせてよ」

「ああ……」


   ○   ○   ○


 タケルは一週間まえから、ねむるとこんな夢を見るようになった。けど、夢からさめてしまうと、がっくりと頭がさがり、ふとんから出たくなくなってしまう。朝ごはんを食べるのはめんどうだし、なにより、ランドセルをせおって学校に行くのがいやでしかたがない。

 でも、おかあさんは、「からだがわるくないのに、学校をやすんではいけません」と言って、タケルがげんかんの外にでていくのを、いつまでも見まもってくる。

 タケルには、なやみがあった。とてもとてもとても、なやんでいた。

 そのなやみがなんなのかを、タケルは、だれにも言うことができなかった。だってそれは、自分でことばにできるようなものではなかったから。

 タケルだって、自分がなんでなやんでいるのかが、分からなくなることがある。とてもつらく泣いてしまいたいというほどのなやみではなく、こころのおくに、しこりみたいなものがあって、時どき、にぶくいたんだりするような、そんななやみなのだ。でもそのしこりは、どうしようとも、とりのぞくことができないのだ。


   ○   ○   ○


「タケル。ここにいたのか」

「いつも、ここにいるけど」

「そうだな。いつもここにいる。だから、びっくりするのだ」

 草原はあたたかいそよ風になびいて、雲はいそがしく流れては、ふたりにかげを落として、すぐにまた、まばゆい太陽のひかりが、ふたりをかがやかす。

「よし。今日は、馬にのせてやろう」

「ほんとっ!」

 タケルはバッと起きあがり、ふさふさな茶色の毛をした馬のほうへと近づいていった。《草原のひめ》はタケルの手をとって、おもいっきりひっぱった。タケルの体は、ふしぎと、風船のようにふわっと浮いて、《草原のひめ》のうしろにぴたっとおちた。

「行け」

 その命れいを合図に、この馬は、しっぷうのようにかけていった。向かってくるそよ風を切りさいていく。ぎゅっと《草原のひめ》のこしに手を回していないと、タケルはうしろに飛んでいくだろう。

「まだお城につかないの!」

 風をきる音にまけないように、タケルは大声をだした。

「城? この馬はただ走っているだけだ」

「どういうこと!」

「わたしは、この草原を馬で走りつづけるだけの毎日をすごしてきた」

 《草原のひめ》は、どこか落ちこんだような声で言った。

「どこへ行けばいいのかわからない。そのつらさを、わたしは痛いほどしっている」

 この馬は、あたたかい風をさいてつめたくしながら、タケルの目があさひでさめる少しまえまで、走りつづけた。

 タケルは《草原のひめ》に、もう二度とあうことはなかった。

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