龍
このお話はなんと、みんなが生きている、いまのお話ではありません!
希望がたくさんある、未来のことでもありません。一年前、二年前、三年前……のことでもないし、みんなの、おばあちゃんやおじいちゃんが産まれてもいない。そんな、遠いむかしのお話です。
このお話は、江戸時代のお話です。
いろんな国とたくさん戦争をした時代でもなければ、機関車が走ったり、飛行機が飛んだりする時代でもありません。そんな時代がくる少し前を、江戸時代というのです。
ながい間、日本は江戸時代でした。このお話は、そのながい江戸時代にあったことを書いたものです。
でもこのお話は、りほうさんという、いたずら大好きなお寺のひとが書いたものだから、もしかして、そのりほうさんは、うそをついているかもしれません。江戸時代の見ず知らずのひとのことを信じるかどうかは、みんなにおまかせします。
それでも、おもしろいお話なんですよ。
――――――
ある晴れた日のことじゃ。豊作を願って田うえにはげむ、おじいさんと、おばあさんがおった。
このふたりは仲むつまじゅうて、一度もけんかをしたことはござらん。このおじいさんと、おばあさんは、好きなものも、嫌いなものも、なにがあると怖いかも、なにがあると嬉しいかも……みんなみんな、同じじゃった。けんかをするわけなんぞ、ひとつもござらなんだ。
今日も笑いおうて、苗をうえ、苗をうえ……しとうたのじゃが、ふと、おじいさんは顔をあげて、「ありゃ、どこの子じゃ。あんな、かしこそうな顔をした子ははじめてみた。道にまようたんじゃないかね。ね、おばあさんや」と言ったのじゃ。
呼びかけられたおばあさんは「どれどれ」と言うと、「おじいさんや、そんなかしこそうな子は、どこにいるんです」と、おじいさんに問いかけたのじゃ。「ほれ、あの子じゃ」「あの子? あのあどけない顔をした子ですか……ここらへんの子じゃありませんね」「いいや、きりりとした顔の子じゃ。ほら、あそこじゃ」「指さしたほうにいるのは、かわいらしい子ですよ」
おじいさんと、おばあさんには、その子が、まったくちがう子のように見えたのじゃった。このふたりはしばらく、結婚してからはじめての言い合いをしおった。「おなごや」「おとこの子ですよ」「どこがじゃ」「目が悪くなったんですよ」「そりゃ、お前じゃ」
その子は、男の子にも女の子にも見えもうしたし、田んぼ道を歩いて村に入ったその子を見て、村人たちひとりひとりは、まったくちがう印象をもったのじゃった。その子は、ふと立ち止まると、むらがる村人たちになにかを言うたのじゃが、なんと言うたのかは、だれも覚えておらぬ。じゃが、みな、「自分の生きるべき場所はここではない」と思うようになったのじゃった。村人たちは、その子のうしろを、まるで、その子のしっぽのようになって、ついていったのじゃった。
次の村へ、次の村へ……村と村を渡るたびにしっぽは大きくなっておった。それは山の上から見ると、まるで龍のように見えたのじゃった。この龍は、山のあいだをぬって、都へと向かっていったのじゃった。
龍は一匹ではおらんかった。ひかりの当たったがらすのように、見る場所によって色とかがやきをかえる……まるで自分の望むようにうつる、その子……その龍は、おおくの人々をひきつれて、反対から都にのぼっておった。
この龍と龍は、都のまんなかで、しばしにらみおうていたかと思うと、砂ぼこりをまきあげて浮かびあがったのじゃ。もう、このころには、まぎれもない龍になっておった。この龍たちは、しっぽとしっぽをぶつけては、からまり、しめつけ……だれも止めることのできないほどの、激しいけんかをはじめよった。
都のたてものは、しっぽがあちらこちらにあたりよるものじゃから、次々にこわれて、かまどの火が燃えうつり、真っ赤な炎が、見わたすかぎりにまきあがったのじゃった。人々は都から逃げようと思うたのじゃが、ほこりまみれになった門をでようとしたところで、龍のしっぽにすいこまれてしもうた。
このひとっこひとり生きられないような都で、龍はまたひとつ、またひとつ、またひとつと、大きくなっていったのじゃった。
――――――
みなさん、この、りほうさんというひとのお話はうそだと思うでしょう。
でも、ためしに、いま外にでて空を見てみてください。そこに、龍がいるかもしれませんよ。もし、みなさんの目に龍の姿がうつったのだとしたら、すなおにおびえていいんです。地面に手をついてしまいましょう。
決して、しっぽになろうとしないでくださいね。
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