セイシュン

 お姉ちゃんのおなかにある、きずあと。

 ぼくのせいでできてしまった、きずあと。



 あの夏の日、ぼくは橋の上から川に飛びこまないといけなかった。

 ぼくはみんなに、「あんなところを飛ぶのなんて、こわくないよ」と言ってしまったのだ。ほんとうに飛べると思っていたから。

 でもぼくは、なかなか飛べなかった。

 その日は、川の水がいつもより少なかった。みなそこの石にからだをぶつけてしまったらと思うと、とてもとても、こわかった。痛いおもいをしたくなかった。

 みんなが「飛べないんだろ!」と言って、ぼくをわらった。わらわれたことで、カッとなってしまった。ぼくは、あとのことは考えずに、飛びこんだ。

 なんとか、ちょっと石にふれただけですんだ。けど、小さいぼくのからだは、どんどん川に流されていった。水が少ないとはいえ、ぼくを連れさっていくのはかんたんなくらいの勢いがあったのだ。そして、川をくだっていけばいくほど、どんどん水は深くなっていった。

 さっきまでわらっていたみんなが、急にあわてはじめて、いろいろ大きな声をだしあっていた。

 ぼくは、もがいてもがいて、もがいた。けど、川に流され続けるまま。「助けて!」とさけぼうにも、口に水がはいってきて、できない。


 もう、しんでしまうんだ。


 そうあきらめたときに、「ざぶんっ」という音がして、だれかがぼくをめがけて泳いできた。それは、お姉ちゃんだった。

 泳ぎの得意なお姉ちゃん。でも、そんなお姉ちゃんだって、ぼくをつれて岸へともどることはできなかった。

 そこへ、おとなのひとがかけつけてくれた。

 今度は「ざっぶうんっ」という音がして、ようやく、ぼくたちは救われた。

 けど、お姉ちゃんを見ると、おなかから血がでていた。とびこんだときに、角がとがった捨てられたゴミで、おなかを切ってしまったのだ。



「お母さん、ばんそうこうをちょうだい」

 きずあとを隠すために、大きなばんそうこうを三つはったお姉ちゃんは、着がえるときに、みんなから、くすくすとわらわれたらしい。それからは、みんながいないところで、体操着をきるようになったと言っていた。

 それが、いやでいやで、お姉ちゃんは体育がだいっきらいになってしまった。

 毎年楽しみにしていた海水浴にも、いきたくないと言うようになったし、旅行にでかけても、温泉には入らなくて、部屋のお風呂ですませるようになった。

 好きなことができなくなったお姉ちゃんは、夏が近づいてくると、どんどんふさぎこんでしまった。だからといって、冬を好きになることもなかった。

 ぼくもあれから、どんどん無口になって、お姉ちゃんをまっすぐ見ることができなくなってしまった。

 あれだけ仲がよかったのに、お姉ちゃんのおなかにきずあとができてからは、言葉をかわすことは少なくなった。おたがい遠りょをするようになってしまった。



 お姉ちゃんが、高校生になった年の梅雨のこと。

 お姉ちゃんはぼくの前で、「夏が楽しみだなあ」と、ぼそっと言った。ぼくはドキリとした。「なんで?」なんて、こわくて聞くことができなかった。

 それからお姉ちゃんは、明るくなっていった。ぼくをからかってわらったりするようになった。ごはんをたくさん食べて、毎朝はやく、「部活に行ってくるね!」と大きな声で言って、駅までかけていった。

 それでもぼくは、いつまでも、いままでのぼくのままだった。ぼくまで明るくなることは、決してなかった。そんなことをしたら、自分を自分で許せない気がしたのだ。

 ぼくはお母さんに、こそっと聞いてみた。

「お姉ちゃん、なんであんなに楽しそうなの?」

 するとお母さんは、にんじんの皮を包丁でむきながら、「なんでだろうね」と言って、なにもかもを分かっているような顔をして、わらった。



「セイシュン」というこころのくすりがあるらしい。その「セイシュン」というくすりにはたくさんの種類があって、そのなかに、お姉ちゃんにぴったりのものがあったのだという。

 もし時間が、一本の木のみきのようにのびていくものだとしたら、「セイシュン」はきっと、枝をはやすところのことを言うのだろう。

 ぼくもいずれ、「セイシュン」というこころのくすりを飲むことができるのかもしれない。でもぼくにぴったりのものがあるかどうかは、まだわからない。

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