開幕

第1話 隣の席のあの子は吸血鬼。僕は眷属

 7月下旬。

 セミが盛んに鳴いて、短い命を懸命に生きているころ。


 高校は、この間新学期が始まったばかりだというのに、もう夏休みを迎えていた。

 僕は高校2年生の中弛みの時期をどう謳歌しているかといえば、教室で、好きな人の隣に座って……。


 じゅー……。

 黙って紙パックのお茶を飲み干すことだった。


 きまっずい!!

 なにこれ、しゃべっていいの?ねぇ!


 ずごご……っ。吸いすぎた紙パックが、食べ終わったリンゴの芯のように凹んだ。


 みーん、みんみん、みーんっ。

 窓が開いているために、セミの鳴き声が僕と桜木さんの沈黙を塗りつぶしていく。


「……ぷはっ。それじゃあ、カナタくん。定例会を始めるわ」


 抹茶オレの紙パックに刺さったストローから、口を離した桜木さんが、いや、ミュナが沈黙を絶った。


「あ、ああ。うん……。そうだね桜木さん」

「ミュナ」

「え、や、……」

「ミュナでいいよカナタくん」


 あどけなく不満を表情に現した桜木……いや、ミュナが顔をずいっと近づけてくるので僕は椅子ごと一歩後退した。

 わ、わかったよ!呼ぶよ、呼びます、呼ばせていただきます!


「……じゃあ、ミュナ……」


「はい、よくできました!」


 口ごもりながら、彼女の名前を呼ぶ。ミュナはえへへ、と子供っぽく笑った。


「お喋りはこの辺にして、どう?私の眷属になって、一ヶ月くらい経った感想は?」


 あどけなく笑ったと思えば、今度は夏の暑さにバテるように机に気怠げに頬杖をついて、妖艶に微笑む。


 心臓に悪いからやめて欲しいのだが、ミュナ自身に自覚はないのだろう。


「……そう、だね……。あんまり変わった気はしないけど……」


 変化といえば、犬歯が多少鋭くなったような気がする。


「ふっ……ふふっ。何それ。それは、元々じゃないの?ふふふっ」


 犬歯の話を聞いたミュナはコロコロと鈴の音のように笑った。


 あの日——六月の下旬の雨の日、僕はミュナの眷属になった。


 桜木琴音というのは、普通の女子高校生活を望む彼女が、世間に潜る為の仮名らしい。本名は長いのでミュナでいいと少女は言った。


 眷属なんだから、本当の名前で呼んでね?と言われてしまい、二人きりでいる時は、ミュナと呼ぶことになった。


 名前のことはさておき、とにかくあの雨の日から僕の眷属生活が始まったのだった。

 夏休みに入った今も、こうしてちょくちょく教室に集まっては定例会を行っている。


「そうだ!カナタくん。ちゃんと腕の証はいつも隠してる?」

「え!あ、あー……うわ!ちょ!!」


 言葉を濁したのがいけなかった。察したミュナが、僕の腕を掴んで夏服制服の半袖Tシャツをめくった。


 ミュナの眉間に皺が寄った。

 口がキュッと硬く結ばれる。

 ああ、まずい。

 今日は急いで出てきたのがいけなかった。


 僕の腕には包帯も巻かれていない。

 剥き出しの状態で、王冠の中に12という数字が入ったマークが刻まれていた。


 

 それは、吸血鬼と眷属の契約が誓いが行われた証。

 眷属になると、体のどこかにランダムで現れるらしい。そして、ミュナ曰く、その吸血鬼の王位継承権が、王冠の中に刻まれるとのことだ。


 僕の腕には12とある。ミュナの継承権は12番目。

 王位継承権を持った吸血鬼の兄弟も全部で12人いるそうだから、ミュナは末番ということか。

 た、たしかに。ミュナは姉属性というより妹属性だと思う。


 僕が思い返している間に、ミュナが、僕のシャツを不安げに握りしめた。


「……私、眷属の証は普段隠しておくように言ったわ……。戦いはいつ起こるか分からないから、いつも二人でいれない私たちは危ないんだって……」


「っ……わるい……」


 少しくらい僕はおどけて見せようと思った。

 けれど、ミュナの顔がいつになく真剣で。


「……次から気をつけて……。まぁ、こんなことだろうと思って!包帯は常備するようにしてるの。役に立ってよかった♪」


 ミュナはゴソゴソと自分の鞄を漁りはじめた。


 いや、包帯があるならよくないかな!?このまま帰ることにはならないんだし……。


 そこまで思った僕は、赤い色の証をじっと眺めた。これをつけている限り、いつ戦闘が起こってもおかしくない。主人がいない眷属など、格好の餌食だと、ミュナは言いたいのだろう。


 戦いの怖さは、6月の雨の日に味わっている。

 うん、今度からは急いでいてもちゃんと包帯を巻こう。


 僕達はあれから、まだ一度も戦闘が起こっていない。ミュナが敏感になって気を張っているのかもしれなかった。


 本人は今、僕の腕を白魚のような手で触り、純白の包帯を巻いてくれている。

 もしかして、僕は彼女に、余計な心労をかけてしまったかもしれないと少し反省した。


 少女は、戦いを望んではいなかった。普通の女子高生の生活を謳歌していたはずだった。僕は、吸血鬼達の争いに巻き込まれる形で眷属になったけれど、その実、戦いを避けることを望んでいた少女を僕は巻き込んだのだった。自分から巻き込まれに行って、そして少女を巻き込んでいる。


 そう、今も。


 どごおおおおおおん!


 教室のドアが勢いよく蹴破られ、衝撃によってへこんだドアは、窓ガラスを割ってベランダの外にまで吹っ飛んだ。


 大剣を持った青年が、ふぅ……と気怠げにため息をついて教室へと侵入する。

 乱れた長い白金の髪を、黒い手袋を外して口に咥えながら結び直すと、狼のような青年は僕達を見た。


「おお、本当だ。あの、ミュナに眷属ができたのは、まっことじゃったか」


 ミュナは青年を見て、嫌々そうな苦い顔をする。


「おにいさま……」


「久しいのお。ミュナ。200年ぶりくらいか?いやぁ、そなたの眷属らしき人物を街で見かけてな?なんとなーくゆったりと追ってきたのだが……」


 青年の言葉に、ミュナがぎろりと横目で僕を睨む。

 すみません。ほんと。


「それで?どうする。ミュナ。また、逃げるのかのお?悪いが眷属を得たのなら、正式に争いに参加したとして、見逃してはやれないぞ」


「っ………。に、逃げない、わ……」


 ミュナが僕の腕を掴む。腕に刻まれたミュナとの証が熱を帯びた。


「「《開戦》!!」」


 その言葉を合図に、僕はミュナの眷属として、武器へと変わった。

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