ブラッド・ロワイヤル
夏沢とも
隣の席のあの子
*
*
6月下旬。
梅雨の時期が長引いて、朝から天気が悪い。
天気予報は昼から雨なのだが、朝日が雲に覆い隠され、朝を迎えたというのに、新しい日が来たようには感じられなかった。
こんな日には皆、寝坊するだろうなぁなんてことを教室に誰よりも早く登校した僕は机に伏せながら思った。
なにを隠そう、今の僕は教室に一番乗りを果たした人物である。
まあ、誰もいない静かな教室がなんとなく好きっていうのと、高校入学当初から1年間毎日続けたおかげで2年生になった今では習慣化されていたからなんだけど。
だから、言い換えるなら。そう、僕は二年間ほぼ教室に一番のりをする男子高校生なのだ。
今日も今日とて、教室の窓を開けて心地のいい風を感じながら、僕は窓際の席で、腕を枕に二度寝をしようと試みる。空は曇天だけど、湿気を含んだ空気にはちょうどいい冷たさの風だった。
「ふわあ……」
もう少しで二度寝になりそうな頃合いを邪魔するかのように、ガラリと教室のドアが開いて、少女が登校してきた。絹糸のように細くて滑らかな銀髪、新鮮な蜂蜜のような琥珀眼、大人っぽい顔立ちであるのに、華奢で小さな体は、なんだかちぐはぐだが、愛らしさと妖艶さが共存していた。つまるところ、美少女だ。
少女は、眠たそうな顔で僕の隣の席に座った。ぼーっとして、慌てて家を出てきたのか寝癖が治っていない。
いつもなら二度寝をするところだが、なんだか眠れない。少し、緊張してしまって、心がそわそわと忙しない。時折チラリと少女を盗み見た。
少女の名前は桜木琴音。
僕の。
ガン!!!
「……あぅ。い、痛い……」
何事かと思えば、桜木さんが机に額をぶつけた音だった。うつらうつらとしていて、頭が下がってしまったのだろう。
僕は、大きな音に、思わず体を揺らしてしまった。
「………」
桜木さんが、ガタリと椅子を立って、僕の机の前にしゃがんだ。腕の隙間から僕と桜木さんの目が合った。やばいっ。慌てて目を閉じたがもう遅い。
「……君、起きてるね?」
桜木さんの琥珀色の瞳がギラリと光った。笑顔なのに、笑っていない。だが、耳まで赤くなっているところを見ると、恥ずかしいところを見てしまったらしい。
僕はむくりと起き上がって、しどろもどろに口を開いた。
「ご、ごめん……。えっと、見るつもりはなくてさ。今日は偶々、寝付けなくて……」
「本当かなー?今までも狸寝入りしていたりしてー?」
桜木さんが僕をジトリと見つめてくる。穴が開くほど、じーっと。口を窄めてむぅと唸る様子はあどけなくて、可愛らしい。
た、たまになら?すみません。
いや、でも、誓っていけないものを見たことはない。とは言えず。僕は笑顔を引き攣らせ「そ、そんなわけないよ…あはは」と誤魔化す。
朝、こうして話すのは、はじめてだった。
桜木さんとはあまり話したことがない。
2年生になってから初めて同じクラスになった人だった。
僕と同じように朝早く学校に来て、席に座っている人。最初はほんの少しの興味だった。
だが、僕は狸寝入りか二度寝を。桜木さんは読書か二度寝を。そんな二人きりだけの朝の時間は新学期が始まってからの三ヶ月、ずっと続いている。
どうして彼女が朝早く来ているのかはわからないが、僕はこの会話を交わさない静かな時間が特別な気がして。
「ふーーん。まぁ、いいわ。で、でも誰にも言わないでね?寝ぼけておでこをぶつけた……なんて!」
桜木さんが、唇を尖らせた後、恥ずかしそうに笑って、しーっと口元に人差し指を立てた。
そのはにかんだ顔を見た僕の体温が上昇してしまう。熱くなった頬を隠すように僕は腕を上げて、席をガタリと立った。
きょ、距離が近い!
「い、言わない!言わないよ!」
桜木さんは、僕を、キョトンした顔で見ると、安心したように微笑んだ。
「よかった!」
桜木さんは、僕の隣の席のあの子。
僕の気になっている人だった。
空模様はあいにくの曇り空。
だけど、今日は何かいい日なのかもしれない。
そう思っていた。
雨が降る。
雨雲から雫がこぼれ落ちてくる。
なんで。なんでこんなことが起こってるんだ!?
困惑して、混乱して、僕は濡れた地面に尻もちをついている。
「にげ……て……」
かひゅっと苦しげに声を出す少女。
その首には、人の手が。
細い首を男の手が強く握りしめている。
逃げる??誰が?僕が??
雨の音がうるさい。
か細い少女の声を、聞きそびれてしまいそうだ。
「ふん、お前、見る目がないな。眷属を選んだと思えば、あんなのとはな」
男が少女の首を握る力を強めた。
「ぅあ……。ちが……」
「うん?ああ、なんだ。そうなのか。とんだはやとちりをしてしまった」
少女が、ジタバタと苦しみながら、男の手を振り払おうと、もがいた。
「ふん。大人しくしていたらいいものを。そうか、ならばお前があの男を金輪際見ないようにしてやろう。この戦いから降りるがいい」
男が、少女を投げ捨てた。少女は地面に転がり、頬に血が伝った。
男の真っ黒な瞳が僕を捉えた。
だめだ。動かない。怖い。
「ぁう!げて……逃げて!!!!」
僕は走る。少女の声に弾かれたように。
体を打ちつける雨が痛い。
いたい。いたい。
「っ……!!!」
脳裏に苦しそうな少女の顔が浮かんだ。
無理だ!!このまま逃げるなんて!!
駆け出した。少女の元へと。
踵を返して、雨の中、僕は走った。
「なんで!なんで……!戻ってきて……。君を巻き込みたくなんかなかったのに…!」
そうして、僕は一人の少女の。吸血鬼の、眷属になった。
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