第19話:選択肢

「連帯保証人? そんなものになったつもりはないよ」


「そうだよねー。だって、わたしが勝手に書いちゃったし」


「なら、そんなもんは無効だろ」


 勝手に名前を使われて、その借金を払え??


 寝言は寝て言え。そんなふざけた話があるか。

 

「残念ながらそんなことにはならないんですよ、旦那さん」


 男二人組が契約書を差し出してきた。


「ここに名前がある以上は、アンタを見逃すわけにはいかないんです」


 サングラス奥に薄らと映る瞳から睨まれると、思わず全身が強張ってしまう。


「そうそう。海斗くんは逃げられないだよ。運命共同体なんだからさ」


 堕落嫁。

 ニコニコ笑ってるけど……お前だって逃げられないんだぞ。


 もう少し深く考えてみろ。


 俺の収入で返せる金額じゃないんだぜ。



「もしも、俺が逃げたらどうなるんですか?」


 この場から消えて、全く異なる場所でやり直せるとしたら。


 仕事も何もかも辞めて、新しい生活を始めるとしたら。


「逃げても無駄ですよ。絶対に見つけて、次は……」


 敢えて、彼等は何も言わなかった。

 ただ何を言いたのかだけは十分に伝わってきた。

 生死に関することに巻き込まれてしまうのだろうと。


◇◆◇◆◇◆


「一体どうするんだ、こんな借金ッ!? 返せないだろうが!」


「海斗くんが一生懸命死ぬまで働けば返せると思うよ!」


 男二人組は通帳と印鑑を持って帰った。

 次来るときにお金の準備がされていなければ、俺と堕落嫁の命は無いと思えだと。

 とりあえず一時帰宅してもらったので良かったけれど。



「一生働いても無理だっつの。家のローンだってあるんだぞ」



 俺と堕落嫁の言い争いは終わりを迎えることがなかった。



「大丈夫だよ。毎日24時間働けば30年後には十分返せる額じゃん」


「勝手に人を24時間働かせる計算をするな!」


「なら、ダブルワークで40年働ければ十分返せるね!」


「黙れ。ていうか……俺は一銭も払わないからな」


「ふーん。でも無駄だよ。海斗くんは連帯保証人なんだから」


 何を偉そうに語ってやがるんだ、このゴミ女は。


「悪いが、俺はもうこの家から出るから。もうお前ともお別れだ」


 この家から出る支度をしなければならない。


 連帯保証人??


 そんなの知ったこっちゃない。

 逃げたらタダじゃおかないらしいが、このままジッとしてても結果は同じだ。

 それならいっそ逃げ出したほうが遥かに良いだろう。


 自室へと向かおうとする俺を、堕落嫁が後ろから追いかけてきた。


「ちょっと!! ちょっと待って!! ちょっと待ってよっ!」


 と言われるものの、完全無視だ。


 待つ時間が惜しい。ここから出来るだけ早めに出たほうがいいし。


 ズルズルと引きずられる形で堕落嫁が付いてきたが、邪魔だったので振り解いた。


「う……一生幸せにするって言ったのにー!! うそつきうそつきうそつき!」


 罵倒されるものの、俺は無視して階段を上がり、自分の部屋へと向かった。


「よしっ。これだけあれば十分だろ……」


 スーツケースに必要最低限な持ち物だけを詰め込んだ。

 お金は殆ど持ち合わせていない。

 財布の中と何かがあったときに使う用を合わせても10万円足らずだ。


 階段を降りると、玄関が見えた。


 そこには堕落嫁が突っ立っていた。

 目を真っ赤にし、手元にはお得意の包丁を握りしめている。


「どうせ……本気で死ぬ気もないくせにそんなものを持つんじゃねぇーよ」


「うん。わたしは死ぬ気なんてさらさらないよ」


 堕落嫁は常軌を逸した瞳を向けてきて。


「だって、ここで死ぬのは海斗くんだもん」


「俺を殺しても無意味だろ。お前一人で借金地獄に堕ちろ」


「こんなこともあろうかと保険に入ってたの。パートナーが死んだらいっぱいもらえるの」


 もしかして……こ、この女っ!?


 働かせるだけ人を働かせて。

 使えなくなったら……殺して保険金を手に入れようとしてたんじゃないか?


「というわけで、わたしのために生きるか。それとも死ぬか。選んでいいよ」


 どちらを選んでも……堕落嫁を救うことになるのか。


「悪いが、俺は自分の人生を切り開くよ。邪魔だ、退けよ」


「許さないからッ!! そ、そんなの絶対に許さないから!」


「こっちのセリフだよ。お前のせいで……俺の人生はボロボロだ」


「逃げるとか最低ッ!? ロクでなしッ!? お嫁さん一人に借金を擦り付けて、そのまま逃げるとか男として恥ずかしくないの? 子供も孕ませるだけ孕ませてッ!? 詐欺じゃんッ! もうこれ完全にアウトじゃん。ヤリ捨てとか最低ッ!? 女性は男性の道具じゃないんだよッ! これは遊びだったんだねっ!」


「借金を擦り付けた? ふざけるのもいいかげんにしろよ。お前が勝手に作ったんだろうが!」


「逆ギレしないでよ。逃げてるだけじゃん。ていうか、知らないの??」


 堕落嫁は包丁をギラリと光らせて。


「わたしの借金は海斗くんのもの。海斗くんの貯金はわたしのものなんだよ!」


 殺意を向けて駆け出してくるものの、俺は動揺することはなかった。


「もう死ねッ!? わたしの言うことを聞かない、海斗くんは要らないー!」


「残念だが、俺はお前の奴隷じゃない」


 ただ冷静に呼吸をし、腰を屈めて、思い切りスーツケースで殴ってやった。


 吹っ飛んだ堕落嫁は頭を抱えて倒れ込んでいる。

 その隙に俺は靴を履いて、家を出る準備を完了させた。


 それから丁度俺が玄関のドアへと手を伸ばしたときだ。


 後方で物音がした。

 振り向くと、堕落嫁が立ち上がって敵意の眼差しを向けていた。


「……い、痛いっ!! DVじゃん!! DVじゃんッ! 慰謝料払えっ!」


「払うわけないだろ? お前はバカか??」


 話は終わりだと思い、俺がドアを開くと同時だ。


 堕落嫁が俺の足を掴んでいた。


「お願いします……わたしをひ、一人にしないでぇ」


「はぁ?」


「お願いします……わ、わたしも連れていってください」


「無理に決まってんだろ」


「一人だけ幸せになろうだなんてズルいッ!! そんなの許されない!」


 堕落嫁は泣いていた。

 まるで、小さな子供のように。

 ボロボロと涙を溢して、けれど怒りを露わにして。


「わたし、もう家族にも見放されて、友達にも見放されて……も、もう……頼れる人が誰もいないんだよ……も、もう……海斗くんしか居ないの……だ、だから……た、助けて……これから先はちゃんと頑張るから。ちゃんと……反省して……やり直すから。お、お願いします、最後のチャンスを」


「…………………………」


「可哀想でしょ? 可哀想だよね? 本当に海斗くんしか頼れる人が居ないんだよ。もう海斗くんにも見放されたら……わ、わたし……も、もう……誰も頼れる人が居なくなっちゃう。一人ぼっちになっちゃう。で、でも……そ、そんなの無理だよ……わ、わたしは海斗くんが居ないと生きられないんだよおお」


「……………………」


「ごめんなさい。今まで束縛してたのも、ずっとダメな女の子を演じてたのも……ダメな女の子だからこそ、ちゃんと自分が守ってあげなきゃと思わせたかっただけなの。海斗くんが居ないと、何もできないダメダメな女の子だって……教えたかったの。ずっとずっと海斗くんの隣に居たかったら、ただそれだけで」


 本心なのか。

 それとも嘘なのか。

 今まで騙され続けてきたので判断が付かない。


 ただ心の奥底に残る楓への想いが本物だと改めて分かった。


「堕ちるなら一緒に堕ちよう。もう最後の最後まで。俺たちは一心同体だ」


 俺は楓を抱きしめていた。

 それから彼女への忠誠を誓うように、口付けを交わしていた。


 三年前の結婚式と同じように。

 永遠の愛を誓ったあの感情は決して嘘ではなかったのだ。


「ど、どうして……? た、助けてくれるの……? こ、こんな、わ、わたしを」


 大きな涙の粒を瞳に浮かべて、楓は震える声で訊ねてきた。


「決まってんだろ。俺がお前を一生幸せにすると誓ったからだよ」


***


 俺と堕落嫁はこの状況を打破する方法を考えてみた。

 だが、これと言った策を見つけることはできなかった。

 両親に頭を下げてお金を貸して貰おうとしたけれど、無理だった。


 でも必ずお金を取りに来る。

 それも近いうちに。


 どうにかしなければ。

 どうにかして、堕落嫁だけでも救う術を見つけ出すしか。


「先輩……最近調子がおかしいですよ。絶望に満ちた表情をして」


 琴美が話しかけてきた。

 もうこの際だ。所構って居られない。


「もしもの話だよ。自分が大好きな人が多額の借金を抱えた場合、どうすればいいと思う??」


 事情を細かく。

 かと言って、現実で起きた話ではないことを誇張して伝えてみた。

 だが、琴美の目を誤魔化すことは無理だった。


「それって、奥さんのことですよね?」


「うっ……だ、だからこれはあくまでももしもの話で」


「大丈夫ですよ。誰にも言いませんから」


 正直に事情を打ち明けてみることにした。

 琴美は全く驚きの顔を見せず、ただひたすらに頷いていた。


「なるほど……お金に困っているわけですね」


「あーつまりはそーいうことだ。一端のサラリーマンでは払える額じゃない」


 堕落嫁が借りた金額は大したものではなかった。

 だが、闇金業者から借りたらしく、ネズミ式に増えていったのだ。


 弁護士を雇って戦えば勝てる可能性もあるかもしれないが……。


 これから先、闇金業者に目を付けられる人生はごめんだ。


 腕を組んで悩む俺に対して、琴美はどこまでも淡々と訊ねてきた。


「わたしが代わりに払ってあげましょうか?」


「何を言ってるんだ。第一、琴美ちゃんでは……」


「忘れたんですか? わたしの実家はお金持ちですよ」


「だ、だが……琴美ちゃんの力を借りるわけには……」


「でもこのままじゃあ、奥さん……壊れちゃいますよ」


 楓は可愛い。

 お金を払えないとなれば、その美貌を生かして無理矢理AV出演。

 知らない男達に……楓の身体を弄ばられるのだけは絶対に嫌だ。

 使い物にならなければ……そのまま捨てられるかもしれないし。


 近い将来、そんな未来が待っているだろう。


 ダメだ……そ、そんなの絶対にダメだ。


 俺は楓を誰にも取られたくないのだ。


「わたしなら借金を一括で返済できますよ」


 琴美は至って真面目な表情で続けて。


「ただし、少しだけ条件がありますがね」


「条件??」


「はい。残りの一生をわたしに全部捧げてくれませんか?」


「どんな意味だ?」


「わたし、先輩のこと大好きなんです。先輩の子供を生みたいんです」


 仲が良い後輩だと思っていたのに、こんなふうに思われていたなんて。


「借金を全部返済してあげます。その代わりにわたしに先輩の人生をください」


「ご、ごめん……お、俺には……か、楓が……楓が……」


「このままじゃあ、奥さん不幸になりますよ、確実に。それでもいいんですか?」


 知らない男に。

 顔も名前も知らない奴等に。

 俺の嫁が……俺の楓が……汚される。


 そ、それだけは……ぜ、絶対に嫌だ……嫌だ、嫌だ。


「なら、どうするんですか?」


 琴美は迫ってきた。

 強要するかのような言い方だった。

 最初から俺がどんな選択を取るのか分かり切っているかのように。

 さっさと望みの答えを吐けと訴えかけてくるように。


「選んでください、先輩。わたし幸せか。それとも奥さん不幸か」


————————


 次回『エピローグ』で終了予定。

 最終話とエピローグ合わせて投稿しようとしてたけど、文字数が多くなったので、とりあえず分けました。

 元々20話完結がいいよねーと言ってたので、丁度良かった。

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