第15話:イジワル

 絶望に満ちた表情で膝から倒れ込んだ堕落嫁。

 一つの手を頭の上に、もう一方は口元に向けてガジガジと噛んでいた。

 彼女の周りには決して近付いてはいけない思えるような陰鬱なオーラを感じてしまう。

 人が変わったとしか言いようがない。


「明日……俺と一緒に離婚届を出しに行くぞ。もうその場で書いて出そう」


「………………ない……」


「あ? 何か言ったか?」


「しないよ……離婚とかぜ、絶対にしない……するわけないじゃん……絶対にそれは」


「お前に拒否権とかないからな。嘘だったら、何でもすると言ったよな?」


 この言葉には分が悪いのだろう。

 流石の堕落嫁もムキッとした表情になるだけで黙り込んでしまった。

 ただ何かしらの糸口が見つかったのか、彼女は僅かに口元を歪めて。


「はい、イジワルしたね」


「イジワル? 何がだ」


「最初から嘘だって分かってたんでしょ。それなのにわざわざ泳がせて……楽しかった? 人の気持ちを弄んで楽しかった? 自分が性格悪いこと気付いたほうがいいよ」


 猛攻は留まることを知らない。

 会話とは、言わば、戦況を掴んだほうが有利。

 一度も相手に喋らせずに、有利な立場へと立つ。

 そんな手法でこの場に勝とうとしているのだろう。


「この写真どうしたの?? 教えて」


「探偵を雇ったんだよ。お前があまりにもおかしかったからな」


「……た、探偵? ありえない……可愛いお嫁さんにそんなことするなんて」


「はぁ? 夫が必死に働いているときに、遊びに出かける妻のほうが百倍悪いわ!」


「息抜きでしょ? それの何がいけないの? 主婦って言うのはねー、あれやこれやと考えることが沢山あるの。役立たずの社畜には分からないかもしれないけど、毎日が忙しいのよ。分からないでしょうね。だって分かろうともしないし」


 一般的な主婦の言い分なら分かる。

 だが、コイツは俺が仕事に出かけたあとは家でのんびり。

 パチンコ店が開くのを見計らって、外へお出かけ。

 ご褒美と称して、俺のランチ代よりも十倍程高い外食も食っているのだ。


 んで、俺が家に帰る前に猫を被って良い子面しているだけなのだ。


「そもそも……探偵を雇うとかどこでそんな悪知恵を付けたの?」


「職場の後輩だよ。俺の相談に真摯に乗ってくれて——」


 まだ俺が喋っているのにも関わらず、堕落嫁は切り出してきた。


「女……?」


「女だが……それが何だ」


「うわぁ……もう浮気じゃん、それ。前から薄々と気付いてたけど、汚らしい女のニオイがプンプンしてたのよねー。スーツには、長い髪の毛もあったし。絶対にこれは怪しいと思ってたけど……やっぱりそうだったんだ」


「あのなぁー。琴美は悪い奴じゃないぞ」


「ああああああ、名前で呼び合う仲なんだー。へぇーよっぽど親しい仲なんだね。俺には仕事、仕事とか言ってたけど、それもどうせはその女に会うために行ってただけなんでしょ。もう裏切り者じゃん……もう裏切ってるじゃん」


 ごちゃごちゃと喚かれるのは耳がキーンとして不快になる。

 これ以上は近所迷惑にもなる。さっさと終わらせよう。


「なら、もう離婚でいいよな?」


「そーいう問題じゃないでしょ。病院行ったほうがいいんじゃないの?」


「はぁ?」


「絶対に頭おかしいって。仕事疲れで頭狂ってると思うんだけど」


「俺は至って正常だぞ」


「口を開けば離婚だの、別れるだの、何、そんなにその女が好きなんだ! わたしよりも!!」


 手に持っていた写真を投げつけ、堕落嫁はキッチンへと向かった。

 ドタドタと騒がしい音を立てながら。

 それから何を思ったのか、彼女は戸棚から包丁を取り出すのであった。

 鋭く尖った刃先。お肉や魚などを調理する際に使うもので、切れ味は抜群だ。


「もう死ぬから!! ここで死んでやる!! そっちがその気ならこっちだって本気だから!!」

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