第22話 リー視点

「明日は家庭教師が来る日だね」


「そうなんだよ。出掛けられなくて残念だな」


私室でソファに並んで座る。

夕食後の、のんびりしたひと時。

一般常識の分野は終了したが、マナーやダンスなどの家庭教師には今も来てもらっている。

イデヤは家庭教師を不要だと言わず、素直に教えを受けていた。


「リー、ダンスの練習、また付き合ってくれる?」


「いいよ。足、踏まないでね」


そう言うと、イデヤは苦笑いして私の腰に腕を回した。


「うーん。頑張る」


『本当の夫婦』になって変わったこと。

イデヤは思ったより甘えただった。人前では適切な振る舞いをしていても、ふたりきりの空間ではぺたぺたくっつくことが多かった。


役割としての夫婦から、お互いの心が通じ合って本当の夫婦へ。

そう思ってるのはイデヤだけだ。

私は最初から今も、そして年老いて一生を終えるまで、役割としての夫婦を全うするだけ。


そう、そうなんだ。そのはずなのに。



兄上に報告に上がった日のこと。


「出会ってそろそろ一年も経つが、順調か?」


「はい。順調です。すっかり『夫婦』として生活していますよ」


「それならば結構。これからも頼むぞ」


兄上は満足そうだった。

任務は間違いなく順調だ。ただ…。


心に引っ掛かるもの。その正体。


屋敷に帰ったあとで執事に昨年のスケジュールを確認させると、イデヤと最初に会った日は一年前の明日だった。

果たしてイデヤは覚えているのだろうかと、聞いてみた。

明日は何の日か覚えているか、と。


イデヤは思い出せずに首を傾げていた。

その様子に、私の心にもやが生まれる。


任務なのだから、どうでもいいことなのに。出会った日など。

たとえ任務でなくても、記念日を並べ連ねてああだこうだ言われるのは、面倒くさいことだと頭で理解しているのに。


イデヤは答えが出てこないようなので、教えてあげた。

私たちが初めて会った日だよ、と。


するとイデヤは焦りに焦った様子で言い訳を並べた。

私に嫌われたくないんだなと思うと、心のもやは消えるし、イデヤが可愛く見えるから不思議だ。




髪を伸ばしたイデヤは、私と同様に毎朝使用人に髪を結わせる。

ある朝のこと。

先に支度を終えた私がイデヤの部屋に入ると、使用人がイデヤの髪をとかしながら親し気に話をしていた。


「イデヤ、たまには私が髪を結ってあげようか?」


「リー、できるの?器用だね」


たまに。使用人がイデヤに触るのがイヤなときがあった。

それは体を重ねた翌日だったり、イデヤが使用人に笑いかけてるときだったり。


「なんでもできるよ、私は」


「リーはすごいな」


イデヤの髪は真っ黒で少し硬め。きちんと手入れはしているのでツヤはある。

なんでもできると自分で言いつつ本当は最低限のスタンダードな結い方しかできないが、イデヤは満足そうにニコニコ笑う。


「起きたばかりだけど、眠くなってきた。

リーの手は気持ちいいね。ずっと触っててほしいな」


イデヤがそう言うから。

流行の結い方も練習する気になってしまった。



ある夜のこと。

夕食のあと、部屋に戻るときにイデヤの耳元で囁いた。


「今夜は?」


私からの夜の誘いに、いつもイデヤはもじもじする。

今回ももじもじして何秒か考え込んでいた。

きっと今夜はアカデミーの課題か何かがあるのだろう。

私と寝ることと、課題と、イデヤは天秤にかけている。

それが手に取るように分かってしまう。


「あ、あの。課題があるから…」


「そう。じゃあ今夜は別々に寝ようか。課題頑張って」


イデヤは名残惜しそうな顔して自分の部屋に戻っていったが、肉欲に負けない強い心を持っているということで。また今度褒めてあげよう。


私は私で読書をし、いくつか書き物をしたところでベッドに入った。

今夜は抱かれるつもりだったので、消化不良な気分だ。


イデヤに抱かれるのは、嫌悪感はない。

むしろ…。


「バカバカしい」


ミイラ取りがミイラになる。まさか、私が本気でイデヤを好きになったと?


「それを認めれば、楽なのか」


心のもや。

イデヤが傍にいないときに感じるもの。誰かに笑いかけているときに感じるもの。


人を好きになるということ。

任務には、必要のないこと。

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