第13話
「ただいまもどりました」
夜中だというのに、意気揚々と屋敷に帰ってきた俺。
出迎えてくれた使用人にテンション高く尋ねる。
「リーは部屋に?」
使用人は一瞬口ごもった。
俺がリーのことを明るく聞いたのは久しぶりだから驚いたのだろうか。
「あの、リードゥレント様はもうお休みになられています」
寝ちゃったのか。
まあ、でも、起こしてでも。俺って自己中。明日にしようかな。
明日でもいいんだけど、でもせっかく今ここにあるんだから。
ポケットの中に手を入れ、指輪の入った小さな箱に触れる。
それは希望がぎっちり詰まっていてあたたかくて重かった。
一歩が大きい。すたすた歩いてリーの部屋の前。
ノックをしようかと手を上げて、また下げる。寝てるとこ起こすのは悪いって分かってるし、寝ぼけてるかもしれないときに言うべきでもない。
本当に結婚してください、と。
それはやっぱりしっかりと準備した上で、プロポーズすべきだよな。
ふう、と息を一つ吐く。やっぱり明日にしよう。
少し冷静になり、自分の部屋で今日はゆっくり休もうとリーの部屋の前から立ち去ろうとすると。
がちゃり。
リーの部屋のドアが開いた。俺は反射的に音の方向を見る。
リー、起きてたんだ。
心が跳ね、にかーっとなる俺の顔。
が。次の瞬間。
リーの部屋から出てきたのは、女の人だった。やたら色っぽい女の人。
なんでリーの部屋から女の人が…?
俺がぽかんとなっていると、女の人が気まずそうに会釈。
そして、その後ろからリーが出てきた。
夜着を着ているリー。来訪客をおもてなしするような服じゃない。
俺が女の人とリーを交互に見ていると、リーは眉間に皺を寄せた。
「なに?イデヤも交ざりたかった?」
俺はピンときてしまった。ピンとこなくていいことを。
リーは言ってた。俺がこの屋敷にいた当初に。
性欲持て余したら、呼ぶって。口の堅い、そういう仕事の人を。
「…いや、なんでもない」
背を向けて自分の部屋に足早に駆け込む。
ドアを閉めて、そのままずずっとへたり込んだ。
俺の心臓、動いてる?
確かめたくて胸に手を当てる。ちゃんと動いてた。ショックでは死なないものだな。
だけど足に力が入らない。手が冷たい。ゾワゾワ寒い。
ポケットの中の小さな箱。俺の夢と希望とリーとの明るい未来が詰まってた箱。
まるでブラックホールのように真っ暗で、ものすごい重力で。
全部の光を飲み込んでしまった。
根本的に、俺たちは違うんだ。
俺はリーが好き、でもリーは俺のことが好きじゃない。
それから数日。
なんとか頑張って朝起きて、なんとかアカデミーに行って、屋敷に帰って頑張って寝る日々。
同級生は俺に何も聞かなかった。俺の茫然自失とした姿を見て察してくれたのだろう。
せっかくいい店を紹介してくれたのに、いい指輪も作ってもらったのに。
日の目を見ることなく、俺の机の引き出し奥深くに眠っている。
俺は寝つきが悪くなり、眠りも浅くなった。
リーのこと、自分のことを考えてしまう。
ある夜中、『異世界からの使者』は心穏やかに過ごさないといけないんじゃなかったっけ、と、ふと思い出した。
今の俺は全然心穏やかではない。
だけど、この国に天変地異も異常気象も起きない。
『異世界からの使者』の話って、単なる言い伝えなのか。俺の存在、特に意味ないのか。
俺に何の役割もないなら、リーが可哀想だ。
俺と結婚させられたリー。いつか本当に好きな人ができたとしても、その人と結婚できないんだ。
ぼやーっとしているうちに、アカデミーの最上級学年になっていた。
この時期は課題もないので早く帰ればいいものを、俺は帰るのが嫌で無意味に研究室に居残り。
そこに、例の同級生もいた。
「イデヤ、進路はどうするつもり?」
俺の進路?進路ってなんだっけ。
「進路…進路ね」
『異世界からの使者』の役割も特にないようだし、俺にできることといったら。それは。それは。
ぼやーっとしてた頭が突然ハッキリしてきた。
「役人になりたいな。国のため、というか、市井の人たちの役に立つ仕事をしたい」
俺にできることが残っているとしたら。
それは、王弟リードゥレント殿下の伴侶として立派になることだ。リーに恥ずかしい思いをさせないことだ。
リーへの愛やら恋やらは跡形もなく壊れてしまって、俺の心にはその残骸が瓦礫の山になっているけど、生きてる以上は前を向かねば。
そんな風に少し元気を取り戻した俺だけど、都合よく人生が好転するわけではない。
ある朝、朝食の席にリーがいた。
すれ違い始めてからめったに食事を共にしなくなっていたので、俺はどきまぎ。
なんだかんだ言って、俺はリーのことを嫌いにはなれない。というか、バカかもしれないけど未だに好きなんだ。
緊張しながらパンをちぎってると、リーが口を開いた。
「一年ほど、辺境地へ派遣されることになった」
パンをちぎる手が止まり、リーの顔を見つめる。
「辺境地?危ないところ?」
リーは首を横に振る。
「いや、危なくはない。問題が多くて、王都からでは監視が行き届かないだけだ」
リーが一年もどこか遠いところへ行ってしまう。
それは寂しいことだ。こんな状況でも、寂しい。
「そう…。気を付けて」
寂しいけど、引き留めることはできない。
リーにはリーの仕事があるんだ。
ぐっとこらえてパンを口に運ぶと、リーが席を立った。
「アカデミー、卒業できるように頑張って」
そう言い残し、リーは食堂から出て行った。
リーから久々にあたたかい言葉をもらって、俺の元気メーターが上昇する。
俺はやる。首席、とは言わないけど、卒業もするし希望の職にも就いてみせる。
そうやって、やる気を出し過ぎたのが悪かったのか。
ううん、違う。俺が自分の健康管理を疎かにしていたからだ。
リーが辺境地へ赴き、一か月が経った頃。
「げほっごほっ」
数日前から調子悪かったのだが、咳が出るようになってしまった。
隣に座っていた同級生にじろっと睨まれる。
「風邪引いたのか?早退したほうがいいんじゃないか?顔色も悪い」
「んー。もうちょっと。キリのいいところまで…っ、ごほっ」
咳が気になり出すと、そういえばなんだか熱があるような気もしてきた。
あー、これはいかん。
「キリのいいところまでなんて言ってないで、やっぱ帰るわ。集中できそうもない。
寝たら治るだろうし」
「ん。気を付けて」
体が重い。
病気なんてめったにしないから油断してた。息をするのも苦しく、途中途中で立ち止まってようやく屋敷に到着。
「風邪を引いたみたいなので、今日はもう休みます」
早く帰って来た俺に使用人は心配そうに手を貸してくれた。
ベッドに入って寝ようとするが、頭が痛くて眠れない。
息をしようとすると、それより先に咳が出る。
「…ごほっ、ごほっ」
寝てれば治るなんて、軽く考えてただろうか。
あつい、頭が重い。胸も気持ち悪い。助けてくれ。
リー。
リーにあいたい。
朦朧とする意識の中、リーの笑顔だけが瞼にくっきりと浮かんだ。
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