第7話

人生は楽しい。幸せ、ハッピーだ。

たとえアカデミーの課題が大変であっても。

未だに家庭教師がやってきてマナーやらダンスやら習わないといけないのが大変であっても。

俺にはリーがいる。本当の夫婦になったリーが。



ある日のこと。

天気がいいから庭で午後のティータイムを楽しんでいたとき。

リーの手が俺の額に伸び、前髪を分けてくれた。


「イデヤ、髪が伸びたね」


「少し整えたほうがいいかな」


リーと結婚してから、俺は髪を伸ばしている。

身分の高い人間は髪を伸ばすものだそうだ。

俺は身分が高いも何もないんだけど、王様の弟のリーと夫婦だから。

だから俺も髪を伸ばしている。


「今度の休み、理髪師を呼ぼうか。どんな髪型が似合うかな」


「俺がカッコよく見えるように頼もう」


リーの指が優しく俺の髪を梳く。


「カッコよくなりたいの?」


「リーと釣り合いが取れるように、少しは見た目も気にしないと」


「そんなこと…。バカだね」


俺をバカと評するリーは、目を細めて俺を優しく撫でてくれた。



ある夜のこと。

うとうとしかかった夜のベッドの中。


「ねえ、明日は何の日か覚えてる?」


ちょっと眠そうな声でリーは俺に尋ねた。


「明日?」


明日ってなんだろう。明日、何かあったかな。

俺が唸っていると、リーが溜め息を吐いた。


「覚えてないのか。なんだ」


体勢をごろり。リーが俺に背中を向けてしまった。

え?拗ねてる?拗ねてるの?リーが拗ねてるの?かわいい。かわいい。かわいい。

…ってそんなことは今考えることじゃない。


「なに。なんだっけ」


頭の中をフル回転。ガンバレ俺の脳みそ。

明日は平日だけど、出かける約束してたかな。うーん、してない。

それともリーの誕生日。…じゃない。

何の日?記念日?


むくりと起き上がり、ベッドの上で正座して考える。

そんな俺に呆れたのか、リーがこっちむいてくれた。


「私たちが初めて会った日だよ。一年前」


ウッ。ヤバい。初めて会った日を記念日とは想定してなかった。

リーは覚えててくれたのか。


「お…。俺、あの頃はカレンダーとは無縁の生活してたから」


冷や汗をかきながら言い訳をすると、リーはまたしても溜め息。


「言い訳はカッコ悪いよ」


「ごめんなさい」


最初から素直に謝ればよかった。しゅんと項垂れていると、リーは俺の手を取って指を一本一本確かめるように撫でさすってくれた。


「冗談だよ。明日は居残りしないで早く帰ってきて。私も早く帰れるように仕事頑張る」


「ん」


そんな会話をして、くっついて眠る。

リーはすべすべであったかくて、俺はいつもくっついていたいと思う。



ある休日のこと。

ふたりで街にお出かけ。リーと腕を組み、王都の皆々様に俺がいかにしあわせなのかを自慢する。そんな気持ち。

だが。

リーと出かけると、周りはハッピーな俺のことはどうでもよくて、リーの美しさに見とれている。


「みんなリーを見てる」


俺がそう呟くと、リーは小首を傾げた。


「そう?イデヤを見てるんじゃない?『なんだアイツは、羨ましい』って」


「そうかもしれないな」


リーがくすっと笑いを漏らす。


「でも…。私がもう少し若かったら、イデヤは周りの人からもっともっと羨ましがられただろうね」


意外だ。リーは年上であることを気にしていたのか?

俺より五つ年上だけど、年齢のことは一切何も気にしたことない。


「年齢なんか関係ないよ。

五年後も十年後も五十年後も、俺はきっと周りに羨ましがられる」


きれいなリー。優しいリー。俺を甘やかしてくれるリー。

人生は長い。俺は死ぬまで周りに羨まれるだろう。

俺は真剣にそう伝えたのだが、リーはキョトンとして、そのあと小さく噴き出した。


「五十年は言い過ぎだよ」


「言い過ぎじゃない。全然言い過ぎじゃない」


ムキになって言い返すと、リーはもう笑ってなかった。いや、笑ってたけど、それは優しい微笑みだった。

リーが俺にしなだれかかる。髪の毛が頬に当たってくすぐったい。いいにおい。

ここは外で、人目があるのを忘れてすりすりしてしまった。

俺はそのうち見知らぬ人から石を投げられるかもしれない。




ある夜の、夕食のテーブルでのこと。


「今日も寝るの遅くなりそうだから。リーは先に寝てて」


「課題?」


アカデミーに入って二年近く経つと、専門的な講義も増えてきた。

それに伴い、レベルの高い課題も出されること多々。

同級生たちは夜遅くまでアカデミーに残って課題に取り組んでる。

俺はリーと一緒に夕食をとりたいので早めに帰宅する分、家で課題に向き合わないといけない。

なのに、リーが俺の理性を試すような発言をする。


「ひとりで寝るのは寂しいな」


ウッ。ううう。

そりゃ俺だって寂しいけど、ここは我慢しなければ。

手を抜こうと思えば手を抜ける。だけども。

いい成績を修め、リーに相応しい相手として周りに認められないといけないのだ。


俺は一体どんな表情になったのか。リーはくすっと笑った。


「冗談だよ。課題がんばって」


「冗談なのか…」


冗談だと言われるとガッカリする。なんだ。寂しいってのは冗談か。


「そんなに落ち込まなくても。本当は冗談なんかじゃないよ」


「どっち?」


「どっちだと思う?」


リーの微笑みは、夕食時に全くふさわしくない妖艶な笑みだった。俺の理性や決意はぐらぐら。崩れそうなジェンガ。

課題のことは忘れてしまいたかったが、忘れてしまってはリーに相応しい男になれないので忘れるわけにはいかぬ。精神力を高めないと。



と、まあ。

こんな感じで俺はしあわせだった。

しあわせだったんだ。

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