ありがとう

長くバイトをしていると慣れて来るもんである。それは単純作業の連続で、レジ打ち、品出し、値引き、掃除。やろうと思えばいくらでも手を抜けるし、文句を言われても揺るがない鉛のような鈍いメンタル(少なくとも仕事中は)になってもくる。しかしそれだけ大人になったってことかと、素直に受け入れる私ではない。「初心忘れるべからず」という言葉からしてみれば腐ったもんである。だから満足はしていない。


私は今でも14分早めに打刻する習慣がある。小売(少なくとも自分の所属するところ)では15分おきの打刻の丸めが常識で14分は切り捨てである。別に切り捨てが法律的に云々のお話ではない。お金が欲しければ15分前に打刻すれば良くて、それでも良いと社員さんにもご理解頂いている。私のバイトはお金が欲しくてやっているものではない。


ボランティアかというとそうでもない。学生アルバイトの本分は、働いた対価つまりお金を使うまでが勉強である。だから最初の14分は私から自発的にゴミ捨てをする。その場を提供していただいている感謝を込めたものである。


これが初心だった。


最初は厳しく指導されたものである。あなたの給料は元はといえばお客様から頂いたお金である。だからお客様にありがとうございますと言うんだ、と。社会経験豊富な大人にいわれたら、最初はこれだけで納得する。


ただし、客の立場で考えてみれば以前から私は街にいてそんなことを意識したことがない。別のお店で昼飯を買ったときに、私があそこの店員を養っているなんていちいち思わない。表示された金額に納得して欲しいモノを得る。それだけのことである。寧ろ歩いて行けるところに店があるだけありがたい。今度からは「ありがとう」を伝えたい。


そんな消費者だった店員としての私は慣れてきたことで鈍くなっている。14 分の早出勤もいつの間にか「やってあげている」と恩着せがましく、やりたくもない仕事を進んで引き受けている心持ちになってきた。


そんな私にもたまには「ありがとう」と伝えてくださる人もいる。その時だけふと思い出す。私の初心は「ありがとう」を求めたものだった。お金はモノやサービスと交換できて初めて価値を持つ。しかし「ありがとう」にはその言葉自体に価値がある。


私は初心を忘れないために私生活でも「ありがとう」を伝え続けたい。

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