第一話

 ありふれた光景なのに、ひどく印象に残っていること。これは結構馴染みのある話だろう。例えば、いつも見慣れた駅前の風景が、地元を離れる日に見たせいか、寂しく思えたり、何気ない彼女の笑顔が、特別なことは何もなかったはずの笑顔が、とても愛おしく、懐かしく、心憎いのもきっとその一つだ。


 あの日、俺は、彼女と出会った。

 歴代最速の梅雨入りを迎え、その日も当然の如く、雨が降っていた。まず真っ先に思い出せるのが、雨に濡れてピタリと張りついた制服。こう言っては彼女に失礼かもしれないが、凹凸の少ない身体だったので、色気みたいな何かは感じられなかった。そしてまさしく濡れる長い黒髪。顔が雨空そらを向いていなければ、絶対に表情は見えなかっただろう。まさしく濡羽色の美しい黒。そして、何よりも印象に残っているもの、明らかに雨粒とは違う、頬を伝う一雫の涙。

 あまりにも、物語じみた、まるで誰かに脚色されたかのような出会いだったから。それはそれは、一生で一度のものかもしれないことに一瞬で気がついた。

 何故だろうか、スポーツをやっていたお陰か、度胸と根性だけは身についていたようで、それとも、かつての俺の姿と重ねていたのかもしれないが……。

「なんで、傘もささずに突っ立ってんだよ?そのままだと当分の間は風邪ひいて高熱で寝込むことになるよと通りすがりの男は忠告しておく。」

 すると意外なことに彼女は会話に応じてくれた。いや、これを会話と呼んでいいのかは微妙なところかもしれないが。

「ねぇ、どうして雨は冷たいのかしら?どうして貴方はこんなにも暖かいのかしら?」

 そんな返答を聞いて、俺は、彼女の肩に手を置いていたことに気づき、咄嗟に手を離す。

「知らねぇよ、そんなこと。なんの了承もなく方に手を置いてたことは謝る。すまん。」

 口元を手で押さえて彼女はクスッと笑った。口元を覆い隠す手のせいで表情をはっきりと捉えることができなかったが、きっとそれは、とても可愛らしいものだったはずだ。

「貴方って、面白い人ね。誰も嫌だとも謝れとも言ってないのに。」

「それにしてもなんでこんなところに?」

「帰り道の途中に急に雨が降ってきて、それで……。」

「傘を持っていなかった、と? それならそれで、走って帰るなり、傘を探すなりすればいいだろ?」

「私、雨を見ると嗜虐心が煽られてしまう性分たちだから。」

「雨程度で、どうやって煽られるんだよ?」

「う〜んと、貴方、世界が滅べばいいって思ったことない?」

「何を突然、厨二病?」

「そんなわけないじゃない。あくまで、私怨でとか、相当な世界に対する憎悪とか。ないの?もしくは単に生きるのに疲れてとか。」

「そう考える人は相当な変わり者だよ。普通の人は、そのレベルで世界を恨んだりしない。大抵は親とか友人とか学校に向くもんさ。大きくても国レベルの規模だろうな。あ、もちろん地球環境の専門家とかはの世界レベルで考えてたりするのかもだけど。」

「やっぱり、貴方って面白い。今さっきあったばかりの人を変わり者だなんて決めつけて。それなら雨の降っている日に傘もささずに突っ立ってる私に声をかけた貴方、も相当な変人でしょうね?。」

「悪かったな、元よりそういう性分なんだよ。」

 自分でもまったく、自分が変人的なことをしていることに気づかなかった。いくら同じ学校の生徒とはいえ、雨の日に傘を差していないというだけで、声をかけたのはいささか早計だったかもしれない。

「ところで、名前は?」

「俺は水沢、水沢漣みずさわ れん。」

「名前のイメージと実態が全然噛み合ってないわね。ちなみに私は滝野清乃たきの きよの。クラスメイトは「きよのん」って呼ぶのだけれど、あまり気に入っていないから呼ばないでね。」

 パッと見、冷たそうに見えた彼女が、クラスメイトにあだ名で呼ばれていることが意外だった。

「なあ、きよの、n…。」

言いそうになった時、思い切り足を踏まれた。

「だから、ついさっき、あまり気に入っていないって言ってるでしょう? しかも初対面で早速ニックネームって貴方、馬鹿なの?」

「じゃあわかったよ、たきのん。」

「響きがよくないから、タキオンにしましょう?」

 苗字はOKなのかよ。あだ名自体は問題ではなかったみたいだ。

「タキオンって何だ、確か超光速で動く粒子じゃなかったっけ?全然別物になっちまうじゃねぇか。」

「貴方、意外と賢いのね。そう、だったら普通に滝野さんなり、滝野さまなり、ご主人様なんてのもいいかしらね。私としては後者2つが推奨。」

「誰が呼ぶか、まあ最初の滝野さんでもいいが、堅苦しいのも気に入らないし。滝野、でいいか?」

「よろしくね、水沢くん。」

 なんだかんだで、彼女との関係がここで終わらなかったことに気づくのは自宅に帰ってからで、その時、自分程度の奴がなんであんな綺麗な女性に声を掛けることができたのかただひたすらに不思議だった。

 一風変わったこの邂逅が、俺の人生を大きく狂わせるなんて考えもしていなかったのに……。

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雨空 久瑠井 塵 @haten-manimani

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