寝苦しい夜は

もうそろそろ日付も変わろうとする頃。

ユーゴはテーブルに突っ伏すジェンに冷たい視線を送り、イチカは苦笑していた。


ここはハンスのいるダイニングバー。

3人はバーカウンターから少し離れたテーブル席に通された。しばらくすると噂のハンスがオーダーをとりに来る。なるほど、物腰の柔らかいスラっとしたハンサムボーイだ。ブランドの髪を後ろで1つに束ねているが、無造作にたれるおくれ毛がまた色気を醸し出している。


ジェンは分かりやすくハンスに会えたことが嬉しいようで、ニコニコと上機嫌にハンスに話しかけ、ハンスも穏やかにそれに応えていた。

しかし、オーダーをとりおえると、ハンスはすぐにカウンターに呼ばれ戻って行ってしまう。


周りをよく見ると、ジェン以外にもハンスに熱い視線を送っている人間が3〜4人ほどいるようだ。

ハンスは事あるごとに彼ら彼女らに話しかけられるが、誰にでも同じように微笑み、ジェンを含め羨望の眼差しを向ける誰にも、特別な顔を見せることは無かった。

イチカから見ても、誰一人相手にされていないことは明らかだ。


ジェンはハンスから本気にされない寂しさを紛らわすように明るく振る舞いながら酒を煽る。

しばらくして目がトロンとしてきたところでイチカが水を勧めるが、グラスが届く前にジェンは机に突っ伏して眠ってしまった。


「ったく。飲み過ぎだ」


ユーゴは冷ややかにジェンを見やる。察するに、こういうことはよくあるのだろう。

イチカは苦笑しながらジェンをどうするか考えていると、ユーゴは行こうと席を立つ。


「置いてって平気なの?」

「ヘーキ。むしろ、また起きて飲み出して長くなるから、逃げるなら今のうち。マスターが面倒見てくれる」


ユーゴはマスターに声をかけ会計を済ますと、イチカを連れて店を後にした。


2人で夜の街を歩く。

灯りのある店の中からは楽しそうな笑い声や、何かで盛り上がっている歓声が聞こえてくる。

ふと、ユーゴが口を開いた


「マーサのところに泊まるんだっけ?」

「うん。一部屋空いててよかった」


マーサとは大衆食堂のおかみさんの名だ。建物の3階が宿になっているらしく、泊まる場所を探しているといえば、ちょうど一部屋空いていると抑えてくれたのだ。


すると、ユーゴはこっちが近いとイチカの腕を引いて道を抜ける。

大通りから逸れ、寝静まった住宅街を2人はただ歩いた。ユーゴ自身、口数が多い方ではないらしい。3人でいるときもジェンとイチカが主に話して、時折ユーゴも入ってくるといった流れが多かった。


しばらく歩いてマーサの食堂に着くが、すでに店の明かりは消えていた。ユーゴに案内され、裏口から外階段を上がり、宿泊予定の部屋に着く。事前に渡されていた鍵で部屋を開けた。

イチカは後ろを振り向き、ユーゴに向き直る。


「今日はありがとう。久々に大学生みたいな時間過ごせて楽しかった」


夜遅くまで飲み歩き、友人の恋バナを聞いて、くだらないことで笑い合う。軍人の身分で深酒はできないが、それでも楽しい時間だった。


「それじゃ、おやす---」

「それ、ずっと気になってたんだけど」


ユーゴが指さすのはイチカの首に巻かれた包帯。


「今日の様子だと大きな怪我してるわけでもないみたいだし......シェグでもやってる?」

「恐ろしい冗談言うね」


イチカは苦虫を噛んだように顔をしかめ、肩をすくめた。


「あー......束縛強いヤツに跡つけられてさ。見苦しいから隠してるの」


嘘は言っていない。

すると、今度はユーゴが顔をしかめる。その顔があまりに軽蔑の色をはらんでいて、イチカも流石に訂正せねばという気持ちになる。


「ごめん、冗談。でも見苦しい状態を隠してるのは本当」

「教えてくれない?」

「うーん、隠すほどのことでもないけどーーー」


首を締められた跡なら、何があったかも話さなければならないだろう。軍の心証を損なう話をするのはあまり好ましくない。


どうしたものかとイチカが悩んでいると、ふと、隣の部屋から男女が営んでいる声が微かに漏れ聞こえた。おそらくユーゴの耳にも届いている。


ここは観光産業が盛んなコロニー、それに時間も時間だ。皆、開放的になるのも当然と言えば当然。しかし、いかんせんタイミングが悪い。気まずいことこの上ない。


「......まあ、とりあえず入りなよ」


このまま立ち話をしていてもいたたまれない。

イチカはユーゴを部屋へ招き入れた。


部屋の中はベッドと小さな冷蔵庫、テレビ。1人用のソファの前にはローテーブル、その上に少女からもらった花が瓶に生けてある。おかみさんが部屋に置いてくれたのだろう。


イチカは隣の声が聞こえないようテレビをつけ、ソファにユーゴを座らせた。冷蔵庫を開けば、中は缶ビールとプラスチックボトルに入った水。

イチカはビールを2本取り出し、ひとつをユーゴに渡すと、自分はベッドに座ってプルタブを開けた。


「亜熱帯の夜に。乾杯」


イチカは缶ビールを少し持ち上げると、一気に1/3ほど飲み干した。やはり部屋で飲む酒は美味い。外では最低限気を張っているため、飲んでも飲んだ気がしないのだ。合わせてユーゴもグビリと喉を鳴らす。イチカはぷはっと息を吐いた。


とりあえずユーゴを部屋に入れたものの、正直この後どうするかは考えていなかった。完全にノープランだ。

言葉を発しない2人の間、深夜の通販番組特有のハイテンションな声だけが通り抜ける。


「......見てみる?見て面白いもんでもないけど」


沈黙の間に、イチカは頭をフル回転させてこの場をどう切り抜けようか考えた。

素直に跡を見せて、でもその理由は軍人のプライドとでも言って口を閉ざせば良いだろう。ユーゴもある程度満足するだろうし、最短でこの気まずさを切り抜けられる気がする。


イチカの問いかけに、ユーゴは一瞬戸惑った様子を見せたが、あんたが良いならと返答した。


イチカは缶ビールをテーブルに置き、包帯を止めている金具を探り当てプチリと外した。くるくると包帯を外していく中で、首の皮膚が久々に外気に触れていくのが清々しい。

その間、ユーゴは片手にビールを持ったまま、自分の腿に腕を乗せる形で座りながら、まっすぐイチカを見つめていた。

普段、こんなまっすぐに凝視されることはそうそうない。イチカはストリップダンサーにでもなった気分だった。


はらりと最後の一巻きが肩に落ちた。1日経ち、絞められた跡は赤いものから所々紫のような色を変わっている。アザ系の怪我は治りかけが1番色がグロテスクだ。


ユーゴは5秒ほどそのまま見つめると口を開く。


「縄じゃなくて、手?」

「そうだね」

「意外とマゾ?」

「ハハ、プレイじゃないよ。殺されかけた」


イチカはユーゴの様子を伺う。なにやら考えている様子のユーゴだったが、静かに立ち上がるとテーブルにビールを置き、イチカの前に膝をついた。そのまま静かにイチカの首に手が伸びる。害を加えてくる気配はなかったため、イチカはそのまま成り行きを見守った。ユーゴが跡に合わせるように両手で首に触る。力を入れればすぐに締められる状態だ。


「......相手は近しい人間?」


なるほど、なかなか勘が鋭い。

イチカは内心関心しながらも、事前に準備していた言葉を紡ぐ。


「その辺りはノーコメント。私にも軍人としてのプライドがあるからね。自分の失態を話す気にはならないよ」

「嘘つき......まあいいけど」


ユーゴはイチカの首から手を放すと、今度はイチカの肩口をトンと押した。押されるがままイチカはベッドに仰向けに沈む。ユーゴが片膝をベッドにつけたためギシリとベッドがきしみ、それに合わせてイチカの体の片側も沈んだ。見上げたユーゴの顔を窓からの月明かりが照らす。


「......無防備すぎ」

「ユーゴは私にひどいことしないでしょ?」

「まぁね。でも......逃げないってことは期待して良い?」


ユーゴがイチカに覆い被さるように手をベッドについた。至近距離で視線が絡む。何を、とは言わないが、状況的に何を指しているのかは明白だ。ユーゴの赤い瞳が妖しげに揺れている。

包帯を外していた時から若干こういう流れになる気配を感じてはいたが、いざ現実になると少しこそばゆい。


「......あんまり上手くないよ、私」

「少しは苦手なことあってくれた方が嬉しい」

「あと、シャワー浴びさせて?さすがに今日は暑くて...っ!?」


ユーゴは最後まで聞かずにイチカの首筋に顔を埋めると、首の跡にそって舌を這わせた。


「ちょ、まって!汗、かいてたからっ」


焦るイチカにユーゴはクツクツと笑う。


「初めてだね。アンタが余裕ないの」


ユーゴはイチカの頬を優しく撫でた。甘やかされているようでイチカは少しこそばゆくなる。


「うん、可愛くなった」


目を細めるユーゴにイチカの心臓が跳ね、女のスイッチが入るのが自分でも分かった。

かわいげのある年下の男の子だと思っていたがとんでもない。この男、猫のふりをした虎だ。


イチカの心情を察したのか、ユーゴはそのまま主導権を握ってコトを進めていく。互いに体が熱を帯びていく中、イチカは一抹の理性でどうしてもシャワーを浴びたいと譲らない。そんなイチカにユーゴはまたクツクツと笑うと、おおせのままにとイチカを横抱きにしてシャワールームへと向かった。

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