極細光

中年女性に連れられたのは、彼女が営む大衆食堂だった。イチカはキッチンからほど近いテーブル席に通される。


「苦手なものはあるかい?」

「特にないです。強いていうなら甘いものとか」

「アタシと同じだ、いい女だね。待ってな」


中年女性はウィンクをイチカに投げると、キッチン奥にいる旦那らしき中年男性に聴き馴染みのない料理名を伝える。すると今度は喧嘩をしていた2人をカウンターにそれぞれ座らせた。


2人は3人分ほど間を空けてそれぞれ座る。中年女性は救急箱を持ってくると、まず茶髪の男の手当てを始めた。その手際は良く、今回のような喧嘩は日常茶飯事なのだろう。


「はいよ!サティだ」


しばらくすると、キッチンにいた中年男性がイチカの前に串焼き料理を置いた。


「酒は飲めるかい?」

「人並みには」

「一杯奢ろう。これにはビールじゃねぇとな」


この街の人たちはサービス精神が旺盛なようだ。当たり前のようにご馳走してくれる。

中年男性と入れ替わりに、今度は手当てを終えた茶髪の男が近づいてきた。バツが悪そうに眉を下げている。


「あー、さっきはごめん。周り見えてなくて。テーブルの破片で怪我してない?」

「あ、大丈夫、大丈夫。私は怪我してない。こっちこそ手荒なことしちゃって......ホントに体調悪くない?」

「へーきへーき、慣れてっから」


横から先ほどの中年男性がビールと新しく大皿料理を置いていった。この量の料理、ご馳走してくれるのはありがたいが食べ切れる自信がない。


「あの、よかったら一緒に食べてくれる?食べ切れる自信がなくて」


イチカの誘いに茶髪の男はパッと表情を明るくした。犬だったら下がっていた尻尾がピンと上がったことだろう。


「やった!オレ、オネーサンに聞きたいことあったんだ。あの技さ、どうやったの?あ、おやっさん!俺もビール!」


茶髪の男はイチカの左隣に座ると、テーブルに乗り出しながらワクワクを隠しきれない様子だ。

イチカがどこから解説しようか一瞬考えていると、手当てを終えた黒髪の男がイチカの右隣にするりと座った。


「オレも知りたい。あの蹴り、素人じゃないだろ」


茶髪の男が犬なら、黒髪の男は猫だろうか。愛想があるわけではないが可愛げは残る、独特な雰囲気を持っている。


個性は違うが、2人とも人に好かれるタイプの人間だろう。


イチカは久しぶりに軍関係以外の若者と話す新鮮さを感じていた。


「あくまで私のやり方だけど、相手の動きを利用するんだ。例えば---」




それから、3人は色んな話をした。

イチカは自分の身柄について、詳細は伏せながら先のナリバ基地防衛戦にも参加していた軍人だということだけ明かした。

一方、茶髪の男はジェン、黒髪の男はユーゴ。共に19歳くらい。正確な年齢は本人たちも知らないらしい。

会話の内容は、初めはイチカの格闘術についてだったが、酒が進むにつれて2人が街の自警団に所属していること、戦争孤児だった2人をここのおかみさんが育ててくれたこと、ジェンがダイニングバーで店子をしているハンスに片思いをしているが、いつも軽くあしらわれていることなど、他愛もない話をした。


2時間ほど大衆食堂で飲んでいたが、ジェンとユーゴが街を案内してくれるというので3人は外へ出た。見上げた橙と赤紫が混ざる夕焼け空が妙に綺麗に見える。


2人がまず案内してくれたのは公園だった。子どもたちがキャッキャとはしゃいで追いかけっこをしている。そんな様子を愛おしそうに見つめていたジェンがおもむろに口を開いた。


「オレさ、こうやって子どもが何の心配もなく遊んでるのとか、街の皆んなが元気に店やってくれてるのとか見ると、自警団やっててよかったなって思うんだ」


その横顔からは誇りとでも言おうか、端正さと凛々しさを感じることができる。

しかし、ジェンはすぐにくしゃっとしたいつもの笑顔に戻って頬をかいた。


「まあ、最前線に行って命かけてるイチカと比べたら大したことじゃないけどさ」


イチカはジェンの言葉にすかさず、そんなことないと返した。


「そんな......思うほど立派なものじゃないよ」


やってることなんて、ただの人殺しなんだから。

イチカは最後と言葉をぐっと飲み込んだ。軍の信用を著しく損ねることは地域的にも言わない方が無難だ。


「でもさ、この間の戦闘でイチカたちが戦ってくれなかったら、王国軍が侵略してきてオレたちの日常は壊れてたんだぜ?イチカのおかげで今日もオレたちはオレたちでいれたんだ。戦ってくれてありがとう」


ジェンはニコッとイチカに微笑みかけた。

ジェンはイチカを慰めるために言ったわけではない。数時間話しただけだが、ジェンはいつでも自分の思ったことを純粋に言葉にする青年だ。混じり気なく、ただイチカが戦ってきたことに感謝する言葉だ。

イチカは眉間に皺を寄せながら目を閉じて空を仰いだ。目を開けば群青色になってきた空の中に、星がいくつか煌めき出している。


正直、まだ戦うことに恐怖は残る。断末魔は忘れることはないだろうし、迷いを断ち切ったわけではない。

それでも、自分が戦うことで守れるものがある。少なくとも、いま酒を酌み交わした青年たちと、公園で遊ぶ子どもたち、人情味溢れるこの街を守ることはできたのだ。

これまで暗闇しか無かった脳内に、本当にわずかだが、ペン先程度の光を感じることができる。


「......やっぱり、預言者かなんかだよなぁ」


ヘンドリックス艦長はこれに気づかせるために休暇を出したのだろうか。であれば、相当な人間観察力と未来推測力を持っている。敵には回さないようにしなければ。


イチカの呟きに、ジェンは気づかなかったが、ユーゴの耳は反応した。どうやら、ユーゴは物理的にも精神的にも鋭いアンテナを張れるタイプのようだ。


「預言者?」

「ある人がね、この街で良い経験ができるよって言ってたの。その通りだったなって。ジェンとユーゴに会えて、色んなことに気づけた」

「大したこと話してないけど」

「それが良かったんだよ」


ユーゴはまだよく分からないと首を傾げるが、イチカはこれ以上は言うまいと微笑むだけだ。


「イチカ!次はどこ行きたい?」

「ジェンとユーゴがオススメな所ならどこでも......あ、ハンスのお店行ってみたいな」

「うわ!イチカはオレの心をよめるのか?」

「お前が分かりやすすぎるんだよ」


3人は夜の街へと繰り出していった。

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