噴水広場の喧嘩

イチカは気温34℃、香辛料の香り漂う露店街を歩いていた。Tシャツにジョガーパンツ、持ち物は通信機器と財布と身分証のみ。首は痕を隠すために包帯が巻かれているが、これが肌に張り付いて些か不快だ。


ナリバ基地の居住区は元々基地に勤める軍人やその家族が暮らしていたらしいが、今では人口1万人程の大きな町となっている。


コロニーではあるものの、地球でいう古の東南アジアの気候と文化を再現しており、建物は高くても3階まで、壁は土壁か昔ながらのコンクリート。多くのコロニーが無機質なビル群を並べる中、抜きん出て観光産業が盛んな場所だ。


道の左右に並ぶ露店はそれぞれに多種多様な物を売っており、飲食はもちろん、宝石、衣服、本、工芸品、占いなど。新しい店の前を通るたび、店員が安いよ!見てって!と声をかけてくる。

イチカは慣れない暑さに若干の疲れを感じていたが、ここ数年触れていなかった活気ある祭りのような雰囲気に、自然とワクワクとした気持ちが芽生え始めていた。


とはいうものの、これまでの罪悪感からまだテンション高くこの町を探索するまでには至らず、とりあえずイチカはとある露店で瓶ビールを買い、座るのにちょうど良さそうな崩れかけのブロック塀を見つけ腰掛けた。灼熱の中でビールが喉を流れ通る快感は、およそ4年ぶりだ。一口飲めば思わずくぅと声が漏れる。


目を閉じれば賑やかな町の喧騒と美味しそうなにおい。照りつける太陽が瞼の裏を赤く照らす。正確にいえば自然ではないのだが、普段は気にも留めない自然を五感が敏感に拾っていた。


「おねえさん、くび大丈夫?」


幼い声に視線を下げると、褐色の肌におさげ髪、7歳くらいの女の子がイチカを見上げていた。


「大丈夫。もう治りかけだから」

「そっか。おみまいにこれあげる」


女の子は持っていたカゴから一本の花をイチカに渡した。小さな蕾のような白い花が沢山ついている。


「コブリスズっていうの。おみまいによく使われてて、浄化って花言葉なんだって」

「もらっちゃっていいの?」

「うん、さっき秘密基地でたくさんつんできたから」


ありがとうとイチカが受け取ると、女の子は嬉しそうに路地裏へと駆けていった。


イチカはもらった花を眺めながら瓶ビールを飲み干すと、近くにあった水道で瓶の中身を洗い流し、少しばかり水を入れ花をさした。これならこの暑さでもしばらく枯れることはないだろう。


再び露天通りを歩く。しばらくすると噴水のある広場に出た。噴水では子どもたちがびしょ濡れで遊んでおり、パラソルで日陰ができているベンチテープでは大人たちが酒を飲んだりボードゲームをしたりと好きなように過ごしていた。


イチカはケバブサンドのようなご当地フードと2本目の瓶ビールを買うと、空いていたベンチテーブルを拝借した。ご当地サンドは甘辛い肉とあっさりしたパンがとても美味しい。


半分ほど食した頃、何やら広場の一角がざわつき始めた。見れば2人の男が胸ぐらを掴み合い一触即発の雰囲気だ。6秒ほど互いにメンチを切り合っていた2人だが、とうとう殴り合いが始まってしまった。周りの人間は2人を止めることなく、むしろやれー!と煽る始末だ。この町の人間は血気盛んらしい。


イチカは自分から少し距離があるため遠巻きに彼らを見ていた。2人とも20歳前後。片方は黒髪に褐色の肌、瞳は赤い。もう片方は茶髪に白い肌、茶色の瞳。出生が異なりそうな2人だが、腕につけているバックルは揃いのものだ。おそらく同じ組織に属しているのだろう。仲間同士のちょっとした喧嘩といったところか。


イチカは2人の動きを見ながらブツブツと呟く。


「右フック...避けて足払い...次は左ボディ...違ったか、アッパーね。それもあり」


2人の闘いは互角。このままだと両成敗で終わるかもしれない。

遠巻きに見ていたイチカだったが、取っ組み合っている2人がもつれながら徐々に近づいてきたかと思うと、茶髪の男が投げ飛ばされイチカのテーブルに降ってきた。ガシャン!と音を立てテーブルが壊れたと同時、少女からもらった花も飛ばされ瓶が割れる。


力なく地面に投げ出された花を見た瞬間、イチカの中でプツリと何かが切れた。


たかが名も知らない少女から気まぐれにもらった野草だ。だが、いまこの時間のイチカにとっては紛れもなく大切な花だった。


テーブルを壊した茶髪の男は既に立ち上がり黒髪の男に掴み掛かっている。


イチカは静かに立ち上がると一度大きく伸びをして軽くその場でジャンプした。これでいまの自分の体がどこまで動くか大体把握した。


イチカは焦ることなくまず茶髪の男に近づく。2人が距離をとった一瞬、イチカは茶髪の男の肩を持ち振り向かせると懐に入り込みその顎に掌底をくらわせた。見かけは地味だが脳震盪が起きた男はそのまま意識を失い倒れ込む。

イチカは次に慌てている黒髪の男に向かって駆け出し、助走をつけて飛び上がった。顔を両手で庇う黒髪の男の隙を見つけ、そこに回し蹴りを差し込む。防ぎきれなかった黒髪の男はそのまま地面に倒れ込んだ。


広場は一瞬の静寂。イチカはハッと我に帰った。

やってしまった。一般人相手に。


周りを見るとなんだこの女はとでも言いたそうな住民たちの視線が四方八方から刺さっている。


「えーっと...どなたかバケツ持ってますか?あと彼らを手当できる人います?」


アハハとごまかし笑いをしているイチカだったが、次の瞬間、大喝采が巻き起こる。


「すげぇな、姉ちゃん!」

「まったく、止めてくれて助かったよ」

「この賭けは次に持ち越しだなぁ」

「ねえちゃんすげー!おれにもさっきのキック教えて!!!」


予想外の反応にイチカが驚いていると、若い女性がバケツを持ってきてくれた。とりあえず彼らの目を覚まさねばと噴水の水を汲み、彼らの顔にバシャンとかける。そしてそれぞれの体を少し揺さぶると、2人はぼんやりと目を覚ました。2人の男は状況を理解してない様子で周りを見ている。


「手足は動く?気持ち悪いとかない?」

「いや、ねぇけど......」

「......アンタの蹴り重すぎだろ」


黒髪の男から睨まれ、イチカはごめんと眉を下げた。


「なーにやってんだ、このバカ共!」


しゃがれた声にイチカが振り向くと、恰幅の良い中年の女性が腰に手を当てながらイチカと男2人に近づいてきた。


「いい歳してつまらないことで喧嘩してんじゃないよ!ほれ、手当てしてやるからサッサと歩きな!!!」


中年女性に頭を叩かれた男2人は気だるそうに立ち上がると、気まずそうに中年女性の後をついていく。


「ほら、そこのアンタも!」

「え?」


さて、自分もそろそろ別の場所に移動しようかと腰を上げたイチカだったが、自分にも声がかかり思わず間抜けな声が出てしまった。


「バカどもが迷惑かけたね。食事中だったんだろ?お詫びに美味いものご馳走するからついてきな」


ノーとは言えなそうな雰囲気だったため、イチカは戸惑いながらも3人の後について行くことにした。

行きすがら、少女から貰った花を回収するのを忘れずに。

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