初、1 on 1

ナナミの騒動の翌日、イチカはヘンドリックス艦長の部屋に呼び出された。

当初から予定されていた上官との定期的な1 on 1だが、昨日の事情聴取も兼ねているだろう。正直、まだヘンドリックス艦長の人となりを掴みきっていないため、イチカは上官と2人きりの状態に緊張を隠しきれない。


艦長室は大きめのデスクと、応接間によくおかれるような厚みのあるソファがテーブルを挟んで2つ並んでいる。イチカはその片方に座り、ヘンドリックス艦長はデスク横の棚からロックグラスを2つ取り出し、それぞれに大きめの氷を入れた。


「貴女、アルコールは?」

「嗜む程度には」

「そう。なら良いのがある」


ヘンドリックス艦長は高級そうな飾りガラスの瓶を取り出すと、琥珀色の液体をグラスに注ぐ。ひとつのグラスがイチカの前に置かれた。


「スワンウィングの18年」

「そんな良いウィスキー......頂いても良いのでしょうか?」

「あら、これの価値が分かるなんて。隅に置けないわね」


ヘンドリックス艦長が対面に座る。グラスを片手に足を組む姿は女からみても惚れるほど様になっていた。

イチカは目の前に置かれたグラスを手に取り、いただきますと口をつける。度数の高いアルコールが喉を熱くするが、なるほど、程よいピートが効いていて上等な味だ。


「口に合った?」

「本当に美味しいです。舌が肥えてしまって困りますね」

「良いのよ。どんどん本物を知ると良い。上等を知るほど人は磨かれていくものよ」


この酒に似合う女になりなさい、とヘンドリックス艦長は目を細める。

この人は振る舞いだけでなくその価値観も素晴らしい。真があり、自分があり、強く、美しい。イチカは脆弱な自分とは遠い存在に思えるヘンドリックス艦長に畏敬の念を抱いた。

イチカは腿においていた手をぎゅっと拳を握りしめて口を開く。


「あの、質問をしても良いでしょうか?」

「どうぞ」

「人を殺すことにためらわなくなるには、どうしたら良いでしょうか?」


ヘンドリックス艦長は改めてイチカの目を真っ直ぐに見つめる。その意図が読めずに若干怯むが、イチカは視線を逸らさなかった。

2秒の沈黙の後、ヘンドリックス艦長が口を開く。


「その問いに応える回答が私の中にはいくつかある。ただ、どれも貴女には適さない」


どういうことかわからずイチカが眉をひそめると、ヘンドリックス艦長はグラスを少し傾けた。カランと氷がガラスにぶつかる音がする。


「貴女はいま形式的な正解を求めている。苦しいから、辛いから。他人から提示された模範解答をそのまま正解だと受け入れてしまう。まるで神からの信託のようにね。例えそれが貴女の本質でなかったとしても」


イチカはヒュッと息を呑んだ。自分でも自覚していなかった逃げの姿勢を詳らかに言語化されたような気がしたからだ。自分がわかりやすいのか、それともヘンドリックス艦長の観察力が鋭いのか。


「だから答えられない。ごめんなさいね」

「いえ、その通りなので」

「そういえば、貴女から昨日のナナミ整備士との話を聞かなければいけないのよ。もうナナミ整備士本人とクドウ整備リーダー、クラウン少佐から話は聞いていて、大きな齟齬もないからこのまま処分を決めたいところだけれど。貴女からも一応話は聞いておかないと。いいかしら?」

「はい」


イチカは昨日の出来事を覚えている範囲で説明した。少し拙い部分もあったかもしれないが、ヘンドリックス艦長は遮ることなくうなずきながら話を聞いてくれた。

すべてを話し終えたイチカは、一度ウィスキーを飲む。氷が溶けてアルコールの角がとれ、少し飲みやすくなっていた。


「あの、艦長」


ヘンドリックス艦長は何も言わずイチカの言葉を待った。


「ナナミの処罰はどうなるんでしょう?」


ヘンドリックス艦長はまた独特の間を開けてから口を開く。


「私の匙加減ね。ギスタでの問題は私の独断で決める」

「なら、ヨンゴの整備士を継続させられませんか?」


ヘンドリックス艦長の片眉が僅かに上がる。


「......その理由は?」

「彼の腕は確かです。ヨンゴのパフォーマンスはナナミとクラウン少佐がいてこそ成り立っています」

「それを加味してもナナミ整備士の所属を継続させるメリットとリスクを考えた時、明らかにリスクの方が高い」

「では、処罰を決める前に私と彼で話をさせてください。その内容でリスクが下がると判断されるようであれば所属継続を検討いただきたい」

「貴女がナナミ整備士に首輪をつけると?」

「首輪をつけられるなら良いですが、ナナミはそこまで大人しくはないでしょう。ただ、契約を結ぶくらいならできるかと」


イチカ自身、ナナミが担当整備士を継続することに恐怖がないわけではない。ナナミにはこちらの常識が通用しない。何をしでかすか分からない恐さは残る。

だが、悪人ではない。根拠はないが、悪意から行動をしているわけではないことだけは直感的に分かっている。

だから何かしら、ナナミとうまく共存できる方法がまだあるという予感をイチカは持っていた。具体的な案があるわけではないが、根拠のない自信がわずかに心の底で居座っている。


ヘンドリックス艦長はソファの肘掛けで頬付けをつきながら、そうねぇ、と何やら考えている。視点はイチカに向いているのだが、目が合っている気がしない。ヘンドリックス艦長は10秒ほど思案した後、持っていたグラスを煽った。


「良いでしょう。やってごらんなさい」


イチカはほっと胸をなでおろし、深くヘンドリックス艦長に頭を下げた。


「ただし、貴女とナナミ整備士が話すのは3日後。ナナミ整備士が落ち着いてから」

「分かりました」

「その間、貴女には休暇を与えるわ。今日から2日、ナリバ基地近くにある住居エリアに行ってらっしゃい」


急な話の方向にイチカは一瞬内容の理解が遅れた。


「いつもと違う環境で、いつもと違うものを嗅いで、触れて、感じてごらんなさい。いまの貴女に必要なことだから」


幸いにも先の防衛戦で付近の王国軍部隊は粗方片付いており、束の間の平和な時間が流れている。早々に敵の襲撃はないと見越してのことだろう。


まだヘンドリック艦長がなぜ休暇を言い渡したのかその真意はわからないし、今の状態で休暇をもらっても正直何をして良いのか分からないのだが、占い師の如きヘンドリック艦長の言うことだ、素直に聞いておいた方が得策だろう。


イチカは残りのウイスキーを飲み干した。

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