嘘が本当になる前に
自分以外の誰かが身じろぐ気配で、ユーゴは目を覚ました。
目を開ければもうすぐ夜明けになろうとする空がカーテンの隙間から見え、少し視線を落とすと昨夜抱いた女の黒髪があった。イチカはこちらに背を向けており、ブランケットからのぞく素肌肩が呼吸に合わせてゆったりと上下している。ユーゴはその肩に触れたくなる気持ちを抑え上半身を起こすと、そのままベッドの縁に腰掛けた。
自分は何をすべきなのか、自分とはなんなのか。
ここ数日、何気ない瞬間が訪れる毎にそんなことばかり考えていて頭が重い。......いや、嘘だ。本当はやるべきことは決まっている。あとは自分が覚悟を決めるかどうかだけ。それだけだ。
「ずいぶん深刻そうだね」
後ろから声がして振り返れば、イチカが体の向きをこちらに変えていて「おはよ」と声をかけてきた。
「起こした?」
「うん。でも気にしないで。元々自分の部屋以外では眠りが浅いから」
きっと軍人としての性なのだろう。出逢って間もない人間に警戒を解くことができないのだ。昨夜も眠る前にさりげなく通信端末を自分の枕下にしまい、睡眠中も常に手に触れるようにしていた。寝ている間に盗まれるのを防ぐためだ。軍の行動規範はきちんと守る人間、根は真面目らしい。ナリバ基地周辺ではズボラな軍関係者も多々見かけるため、よりしっかり者に見える。
「アンタはなんで軍人やってんの?」
ユーゴの口から出たのは単純な疑問だった。昨夜の会話から、真面目ではあるが正義感や愛国心あふれるといったタイプでもなさそうで、復讐に燃えている影もなければ、世襲というわけでもない。かといって全て割り切っているドライなタイプでもなさそうだ。もっと人に寄り添うような、他の生き方をしていても良いのではないかと思える。
「......もう戻れないから、かな」
イチカははだけていたブランケットを肩まで掛け直す。
「一度手を染めたらもうあとには引けない。戦って、戦って、戦って......ただそれだけ。どこまでいけば良いのか、自分でもよくわからないんだ」
イチカは寂しそうに笑うと鼻元までブランケットでおおい目を伏せた。まるで、何かから自身を守るかように。
ユーゴはこの時、自分が何故イチカに興味を持ったのか、理由がわかった気がした。彼女は、自分に似ているのだ。
ユーゴは再びベッドに戻ると、ブランケットの中でイチカを抱きしめた。このまま2人溶け合えたらいいのに。そうすれば、自分たちが抱える寂しさやもどかしさも誤魔化せるのに。
イチカも遠からず似たことを感じたのだろう。何も言わずにただただ肌を寄せ合う。
どのくらいそうしていたかは分からない。2人の世界を現実に引き戻したのは、イチカの通信端末から響いた通知音だった。
イチカは内容を確認すると「行かなきゃ」と手早く身支度を整える。そして、部屋に飾られていた一輪の花を持つと、最後にユーゴに向き直った。
「色々ありがとう。チェックアウトは任せるね。ジェンにもよろしくって伝えて」
イチカは握手をしようと手を差し伸べる。呆気ない別れに少しの不満を覚え、ユーゴはイチカの手を取るとそのまま引き込み、イチカに触れるだけのキスをした。予想外のことにイチカの目が驚きで見開かれる。そんなイチカの様子にユーゴはイタズラが成功したかのような満足感を覚えた。
「簡単に死ぬなよ」
ユーゴの言葉にイチカは困ったように一度笑って、静かに「うん」と一言だけ頷き、そのまま部屋を出て行った。
1人残された部屋、ユーゴは窓の外を見る。いつのまにか陽はすっかり顔を出していた。
「もう戻れないから、か......」
イチカの言葉がまるで自分のことのように脳の奥へ落ちていく。
ユーゴは一度閉じた目をゆっくりと開けた。その瞳にはある種の覚悟が宿っていた。
戦場のイチカ 翠川 閏 / ミドリカワ ジュン @green-river
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