展望台の静寂

多少のイレギュラーはあったものの、ギスタはコロニーを発ち、ナリバ基地に向かって宇宙空間を進んでいた。ターミナルやアカデミーの復興についてはギスタの能力的に適さない。焦げた残骸たちに後ろ髪を引かれながらも、ギスタは予定通りナリバ基地の応援に向かうことになった。


現在時刻は23時。先の戦闘から半日が経過し、イチカは展望デッキにいた。

ギスタ後方にあるこの展望デッキは主要施設が近くにないからか人がほとんど来ない。薄暗い無重力空間でイチカはウォークマンの音楽を耳に流しこむ。窓辺に立つと、ピカピカに磨かれた窓には有線イヤホンをつけた半透明な自分が写り、その奥には彼方の果まで続いているだろう宇宙空間が広がっている。イヤホンから流れる曲は、イチカが高校に通っていた頃リリースされた曲だ。青春に別れを告げ、友と道を違えども不安と共に進もうとする唄。


イチカはその唄が自分の眼球に涙をまとわせ始めたのを感じていた。初陣前の過去の自分と決別をしなければならない寂しさを助長させるのだ。もう自分は他人を手にかけてしまった。子どものように、何も知らずに笑うことはもう二度とないだろう。


涙がこぼれそうになるが、イチカはそれを許さないかのように上を向き目を閉じた。人を殺しておいて泣くなんて自分勝手なような気がしたのだ。自分の意志で、やると決めて、手にかけた。それなのに後悔するように涙を流すなんて、なんて自分勝手なのだろう。嗚咽まで漏れそうになる口にもグッと力を込める。

自分の覚悟の甘さに、弱さに、情けなさに、自己嫌悪が止まらない。


時間にして5分ほどだろうか。鼻の奥まで迫ってきた波をやり過ごし感情が落ち着いたところで、イチカは再び目を開けた。視界の端に誰かの気配を捉えて見ると、少し離れた場所で浮遊しながら同じく窓の外を眺めるエレナがいた。あまりに突然現れた彼女にイチカの心臓は飛び跳ねる。いつの間に入ってきていたのだろう。なんとか平然を装いながらイヤホンを外しつつ、どの言葉でエレナに声をかけようか迷っていると、先にエレナから声をかけてきた。


「ひとりでいたかったなら、ごめんなさい」


まるで子どもを寝かしつける時のような、やわらかく静かな声だ。飛び跳ねていた心臓が少し落ち着き始める。


「いえ、大丈夫…です」


イチカもつられて声が小さくなるが、エレナにはきちんと届いたようで、ありがとうというように微笑まれた。

それからはしばらく互いに無言が続いた。だが、変な緊張は無い。窓の外にある途方も無い闇と無数の星の煌めきをただただ見つめていた。


10分ほど経過しただろう頃、先に静寂を破ったのはエレナだった。


「あなたの目にはこの景色がどう映る?」


イチカが問いの意味が理解できず答えられずにいると、エレナは窓ガラスに手を伸ばしながらその先、遥か彼方を見やる。


「私はその時々で変わるわ。宇宙の闇にそのまま飲み込まれそうになることもあれば、輝く星々に希望を感じたり」

「......いまはどっちなんですか?」

「ふふ、内緒」


エレナはいたずらっこのように目を細めると、壁を押しのけてイチカの方へ流れるように浮遊してきた。

思いの外勢いがったのだろう、少し慌てたエレナの手をイチカが反射的にとる。

ありがとう、とエレナは照れくさそうに笑って態勢を立て直した。


至近距離で見る彼女は少女のようにも大人にも見える。

年上なのか年下なのかもわからない、不思議な魅力がエレナにはあった。


同じ高さにあるエレナの目が、真っ直ぐにでも穏やかに、イチカを見つめている。


「おかえりなさい、イチカ。帰ってきてくれて嬉しいわ」

「っ......!」


......すべてを肯定くれるような気がした。

弱い自分も、やってしまったこともなにもかも許してくれているような、愛にも似た包容力がそこにはあった。


イチカは思わずそこに縋り付きそうになる。

このまま、なにも考えず、感情のままに目の前の女神にしがみつきながら泣き出したい衝動。エレナなら受け入れてくれる、きっと抱きしめ返してくれる......。


イチカの指がピクリと動くが、それは誰も気づかないほど一瞬のことだった。


......ここで縋ってはいけない。

この最後の一線を超えてしまっては、私はもうおしまいだ。

ここで泣き縋り許しを乞おうとすれば、崩れてしまう。この先の人生、パイロットとして生きることもできず、人を殺してしまった後悔をずっと抱えたまま生きていくだろう。贖罪する方法も分からず、かといって自分で死ぬ勇気もなく、ただ可哀想な自分を責つづけるだけになってしまう。


イチカは精一杯の笑みを作った。それはとてもぎこちないものだったかもしれない。


「ありがとう。ただいま」


今にも泣き出しそうに、けれど精一杯の仮面をつけるイチカに、エレナは一瞬驚いたように目を見開いた。

イチカはその様子に首をかしげるが、エレナはすぐにいつもの柔和な表情に戻る。

これ以上の詮索は無粋な気がして、イチカはそのままエレナと別れ自室へと戻った。

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