初めての人殺し

エンジンペダルを8分目まで押し込み加速を続けると、徐々に裏切り戦艦達に近づいてきた。マップにはN-50、N-31と戦艦のコードがそれぞれ表示されている。30秒も経たないうちに、とうとう彼らの横に位置取るまでに近づくことができた。

イチカはパブリック通信を開き、彼らとの会話を試みる。


「こちらトリニティパイロット、イチカ・キリシマ。戦艦N-50、N-31、応答せよ」


……しかし、彼らからの応答はない。彼らが裏切っていない可能性も10%ほどは残っている。その一部の望みをイチカはまだ捨てたくはなかった。できれば彼らを攻撃したくはない。会話で解決できるものならそれで終わらせたい。

イチカが今一度会話を試みようと口を開いた瞬間、近くにいたN-50の側面の銃塔が動き出し、ヨンゴに標準を合わせる。


「ったく!少しはおしゃべりしろってのっ!」


イチカが操縦桿を目一杯傾けた瞬間、銃弾の雨がヨンゴに襲いかかる。イチカはヨンゴをロールさせながら銃弾を避け一度彼らと距離をとった。

これで彼らの裏切りは本当に確定した。そして、戦うしかなくなってしまったことも。もう沈めるしかない……。


イチカはギリッと奥歯を鳴らして再びN-50に接近する。対戦艦戦闘でのセオリーはブリッジの破壊。弾幕を避けながらヨンゴは難なくブリッジの前に躍り出た。そしてビームガンをブリッジに向かい構える。


覚悟を決めて引き金を引くその刹那。イチカはブリッジにいた乗組員が慌てふためきながら奥に逃げていくのを窓越しに見てしまった。自分はいまから本当に人を殺してしまう。反射的に躊躇おうとしたが、すでに遅い。銃口から放たれたビームがブリッジを貫き、中で大きな爆発が起こる。


「っ!!!」


爆発に巻き込まれないよう、素早くその場から離脱。操縦者を失ったN-50は眼下の海に向かって落ちていき、大きな水しぶきを上げながら水面に激突。直後に一際大きな爆発を起こした。


呆然とその風景を見下ろしていたイチカの頭には、ブリッジにビームを放った光景がリフレインしていた。銃口からビームが放たれる瞬間、ビームがブリッジを貫き乗組員の身体を焼いた瞬間、半分灰となった人が倒れる瞬間、爆発に吹き飛ばされる複数の人影……。


言葉にならない感情がイチカを飲み込んでいくが、コックピットに鳴り響いたアラート音にハッと思考を呼び戻される。マップを見ると、新たに戦闘機が2機、こちらに迫ってきていた。


やらなければ、やられる。


「チッ……!」


イチカはチタン短刀と盾をヨンゴに握らせ、戦闘機に対し一直線に向かっていく。ある程度まで近づくと、相手から弾幕が放たれる。ヨンゴはそれを避けることなく盾で受け続け、すれ違いざまにチタン短刀を振りかぶり戦闘機の上から一思いに突き刺した。戦闘機が1機、大きな音を立てて爆発し破片が海にパラパラと落ちていった。


1機撃墜したが、息つく間はない。

残る1機が畳み掛けるようにヨンゴへと攻撃をしかけ、その数発がヨンゴの背に命中した。


「ッつ……!」


致命傷ではないものの、大きな衝撃がコックピットまで伝わりイチカは思わずうめき声をあげる。


『背部損傷、ダメージ30%。第三回路を遮断、その他動作に問題なし。戦闘継続可能』


アキトのオペレーション、戦闘継可能というフレーズに反応するかのように、イチカは敵機を睨みながら態勢を立て直す。ビームガンを構え、こちらに背を向けている敵機に標準を合わせた。

射撃の精度が悪いことは重々承知。だが、そんなこと知ったことか。当てられるかという話ではなく……


「当てんのよ!!!」


放たれたビームは敵機を捉え、それは先程のものと同様海に残骸を撒き散らした。


ヨンゴのコックピットではイチカが肩で息をしていた。極限集中の中での命の取り合いと、大きなGがかかる中でのトリニティの操縦はパイロットの気力と体力をこれでもかと奪っていく。初陣ならばなおさらだ。


残るは戦艦N-31のみ。

イチカは息が整うのを待つことなくN-31に向き直り、攻撃を仕掛けようと操縦桿を握る手に力を込めたが、視界の端、陸地の部分で大きな爆発が起こりそちらを見やる。爆発があった場所は……


「アカデミー!?」


しかもよく見るとトリニティの格納庫で爆発があったようだ。爆発の12秒後、5機の訓練用トリニティが上空に向かって飛行するのを目視する。その先にはどこから湧いてきたのか敵の小型戦艦が浮かんでいた。


『N-50たちも囮か』


アキトの言葉から察するに、すでに敵はアカデミーに潜入しており、難なくトリニティを奪取したというわけだ。


『キリシマ少佐。トリニティの撃墜を最優先にする』

「異議なしっ!」


トリニティが奪われ、その技術が敵国に渡り類似品が開発されれば、こちらの戦力優位性が喪われてしまう。何がなんでも奪われることがあってはならないのだ。


イチカはフルスロットルで訓練用トリニティたちに向かう。幸いにも、パイロットの操作がおぼつかないのか、敵戦艦に向かう彼らはノロノロとよろついており、間に合うには十分だった。


ヨンゴはビームサーベルを引き抜き、飛ぶ勢いはそのままに、まず1番先に進んでいた訓練用トリニティの胴体を真っ二つに斬り落とす。次いで2番目、3番目と斬り進めた。


反撃をしようにもできない彼らは格好の的。4機目も撃墜し、最後の1機に斬りかかろうとした瞬間、


『ま、待って!!!殺さないでぇえ!!!』


突然その相手から女の声で通信が入ってきたのだ。思わずイチカの手も止まる。


『わ、わ私、パイロットコースの1ねぇん!銃突きつけられて乗せられて…トリニティ動かせって……じゃないと家族を殺すって!!!写真を見せつけられてぇええっ!!!』


パニックになっているのか、もはや叫んでいる女の声は聞いている方の胸を締めつけるようなものだった。モニターに映る女の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。


『まだ入学したばかりでぇえぇ!!!と、飛ぶのが精一杯なのに!助け……ギャアァアァアア!!!!』


耳をつんざくような悲鳴にイチカは思わず顔をしかめた。モニターには首を懸命に引っ掻くような仕草を見せる女の姿。よく見るとその首には何か首輪のような装置がつけられていた。どうやらそれが女に痛みを与えているらしい。女は3秒ほどのけ反っていたが、痛みがなくなったのか力尽きたようにシートに沈んだ。自動ホバリングモードにしているのか、パイロットが苦痛で悶ている中でも訓練用トリニティは無機質に飛び続けている。


『いたぃ…どして…わた…なにもしてなぃのに……』


か細い女の声にイチカの感情がかき乱される。


「待って、いま助け−−−」

『無理だ』


イチカの声をアキトが遮る。


『首に青い発疹……シェグだ。もう助からない』

「そんな……」


シェグ。普段無意識に8割ほどに抑えられている肉体運動量を限界まで(時には限界以上に)引き出さことができる禁止ドラッグ。たがその副作用は大きく、一定期間の活動時間を終えると身体が限界に達し死に至る。致死率は100%。


『し、しししにたく、ないよぉお……』


消え入りそうな声がイチカの耳に届く。

イチカは思考を巡らせた。どうにかして助けられないか。10通りほど自問自答してみるが、そのどれもが助けることはできないという結論に達してしまう。


イチカは血が滲むほどに唇を噛んだ。

せめて、苦しまないように……


「あなた、名前は?」

『べ、ベニ…ベニ・う、ウェン……』

「ベニ。怖かったね。私はイチカ。いま助けるから。落ち着こう、目をつむって、深呼吸して」


助けるなんて、よくそんな嘘がつけたものだ。自分の汚さに吐き気がする。それなのに、ベニは安心したかのように目をつむった。通常なら目を瞑るなんて自殺行為をするわけはないが、強い苦痛と恐怖からようやく開放されるという思いが勝ったのだろう。


イチカの目からは頬を伝って涙が流れ、操縦桿を握る手は力を入れ過ぎるあまりに震えている。だが、その目は瞬くことなく訓練用トリニティを捉えていた。


一瞬の静寂の後、ヨンゴが加速し、ベニのコックピットめがけてビームサーベルを突き刺す。


同時に、ベニとの通信が強制的に切断された。


0.03秒後、ベニの乗っていたトリニティは大きく爆発し、側にいたヨンゴは爆風に吹き飛ばされた。

しばらくされるがままに落下していたヨンゴだったが、イチカは口を一文字に結び直すとヨンゴの態勢を立て直した。


キッと睨みつける先には敵戦艦。


「落とすっ……!!!」


イチカはエンジンペダルをフルスロットルまで踏み込み、敵戦艦に突っ込んでいった。

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