ギスタの女神

戦艦ギスタの後方には小さな展望デッキがある。

イチカはミーティングルームを出て艦内を散策していたがこの展望デッキに落ち着いた。大きな窓からは空を覆うコロニーの壁が人口太陽光に照らされてキラキラとしている。


イチカはポケットからウォークマンを取り出すと有線イヤホンを耳につけ、近くのベンチに座り膝を抱えた。言いようの無い心細さがふわふわと心を支配しているような感覚。新しい環境でまだ自分の居場所が分からない故の不安とでも言おうか。

ペアを組むアキトはこちらを快く思ってはいないようだし、整備士はサイコパスだし。前途多難な気配しかない。


「…まぁ、やるしかないんだけど」


悩んだところで、不安になったところで。自分がパイロットとして生きていくことには変わりないのだ。切り替えていくしかない。イチカは浅く長い息を吐き出した。


しばらく目を瞑っているとウォークマンの1曲目が終わり、数秒の無音。


「あら?新しい方?」


その隙間にちょうどよく柔らかな女性の声が展望デッキの入り口から聞こえてきた。

白いワンピース、ふわふわなブロンドヘアーをなびかせた20代半ばくらいの女性だ。両手にはそれぞれマグカップ。服装と雰囲気からして軍人ではないだろう。だが、先程の発言から元々ギスタに乗っている人物であると推測される。

イチカはイヤホンを外してペコリと頭を下げた。


女性は嬉しそうに微笑みながらイチカに歩み寄る。


「男性ばかりだと思っていたから、女性もいて嬉しいわ。あ、紅茶は飲めるかしら?よければ一緒にいかが?」


女性は手に持っていたカップの一つをイチカ差し出した。断る理由もない。淹れたてなのだろう湯気が立ち昇るそれをイチカ受け取った。


「ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


女性はイチカの隣に座り音もなくカップに口をつけた。優雅とは彼女のことを言うのだろう。所作の一つ一つに品があり美しい。そしてコロンだろうか、ほのかに花のような良い香りがする。

イチカは素敵だなと女性を少し見つめてしまったが、ずっと見ているのも悪い気がして自分も紅茶に口をつけた。少しうつむいて横顔にハラリと髪が落ちる。


「綺麗な黒髪ね」


女性は横顔を隠した髪をすくい上げイチカの耳にかけた。それは母親を感じさせるような温もりのある仕草で、イチカはなぜか目頭が熱くなるのを感じた。


「ハハ…いま優しくされると泣きそう」

「胸、かしましょうか?」

「いえ、さすがに初対面の人の前で泣くのは…やめときます」

「フフ、それもそうね」


女性はカップを置くとヒラリとイチカの前に立ち、胸に手を当ててお辞儀をした。


「エレナ・スミスと申します。貴女に出逢えて本当に嬉しいわ。お名前をうかがっても?」

「イチカ・キリシマです」

「イチカ、素敵な名前ね。教えてくれてありがとう」


エレナはマグカップを再び手に取ると、私たちの出逢いに乾杯と少しカップを持ち上げた。イチカもそれに倣ってカップに口をつけるとエレナは嬉しそうに目を細め、窓辺に腰掛ける。本当にどの佇まいも画になる人だ。まるで絵画のよう。

そこは明日本当に戦場へ向かうのだろうかと思うほど、穏やかで争いのあの字もない空間だった。


「イチカはパイロットなの?」

「一応。まだ出撃したことはないけど」

「そう。無事に戻ってきてね。また一緒にお茶したいもの」


カップの紅茶が半分ほどになった頃、エレナはそろそろ行くわと展望デッキを出ていった。カップは食堂に返しておけばよいとのこと。

またお話しましょうね、と出ていった彼女は最後まで麗しく、それはまるで……。


「ギスタの、女神…」


彼女の加護があれば、戦場を生き抜くことも可能かも……そんなことあるわけないか。だが、そうかもしれないと思わせる神秘的な何かを彼女は持っていた。


イチカは残りの紅茶を飲み干すと、ウォークマンをポケットに突っ込みながら歩き始めた。

そろそろアキトとの約束の時間だ。


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