ブッ飛んだ整備士

駆動音だけが響くワンボックスモーターカー内。私服のイチカは窓から眼下に広がる空中港を眺めながら、自分が乗るであろう母艦はどれかとぼんやり眺めていた。大小様々な飛行戦艦が飛び交い、誘導灯を持ったスタッフがパズルを動かすかのように上手く着港させている。


「…おもちゃみたいだ」


ここから見るとジオラマにしか見えない。死んだって誰の世界にも影響を与えないという部分では私もおもちゃのような軽い存在か。寂しいものだなぁ…。まあ、いいけど。


そんなこんなで過ごしているとモーターカーのドアが開いた。目的地についたらしい。


荷物を肩にかけ港に降りると、目の前には配属先の母艦・ギスタ。前線にも出る想定で作られているため母艦という括りの中では小さいはずなのだが、それでも近くで見ると想像以上に大きい。トリニティ2機の他、通常の飛行機型戦闘機が5機入るのは伊達ではない。ギスタを操る操縦士はなかなかの腕が必要だろう。自分だったら絶対にあちらこちらをぶつけるに違いない。


積荷搬入を指示している男に声をかけ乗船口を案内してもらい、事前に指定されていた自室へと向かう。トリニティのパイロットとオペレーターの階級は少佐からスタートするため、初めから個室が割り当てられる。広くはないが、ベッドとデスク、小型の冷蔵庫が完備されており、窓のないリーズナブルなビジネスホテルとでも言おうか。相部屋が基本の環境の中、なかなかの贅沢をさせてもらっている。


イチカは多くない荷物の荷解きをサッサと済ませると、軍服に身を包み鏡に向かう。襟元に支給された少佐階級バッジを取り付け、最後に自分の顔を確認する。

そこにはいつもと変わらない、どこか空っぽな自分の顔があった。


「どうも、イチカ『少佐』」


階級にそこまで興味はないが、いざという時は存分に利用させてもらおう。クレバあたりに聞けば、上手い利用の仕方を教えてくれそうだ。


集合時間までまだ余裕があったため、機体格納庫へ。そこにはトリニティが2体、いくつもの作業用タラップに囲まれながらそびえ立っていた。まだ出撃したことのないそれらは傷一つなく、ピカピカに輝いている。


一つは白地に青のパーツカラーが施されているA-032、通称ザニ。もう一つが緋色をベースにグレーのパーツカラーが施されたA-045、通称ヨンゴ。イチカは自分の機体となるヨンゴのコックピットへのタラップを上がると中をのぞき込んだ。真新しい革の匂いがする。今日からこれが自分の機体になるのか…。真っさらな半紙に一筆目を入れるときのような緊張の匂いをイチカは感じていた。


「まだ乗れねぇぞ。調整中だ」


ザラつきのあるぶっきらぼうの声に振り返ると、そこには30代後半くらいの男。日焼けした肌に無精髭、作業服越しにも分かるガッシリとした体つき。そして先程の言葉から機体の整備士なのだろう。いかにも職人という風貌だ。


「イチカ・キリシマです。本日より配属になりました。よろしくお願いします」


イチカは敬礼をしながら背筋を伸ばした。

ここに来て初めて出会う軍所属の人間だ。失礼がないよう礼節はわきまえなければ。


「どーも。クドウだ。トリニティ整備リーダーをやってる。こいつらは午後からのテスト駆動までには乗れるようにしといてやるから安心しろ。あと固っ苦しいのはナシだ。そういうのはお偉方にとっておけ」


クドウはイチカの頭をポンポンと撫でた。初対面にしては距離感が近いが悪い気はしない。


「ちょうどいい、アイツも紹介しておくか」


クドウは振り向き2階程下にある別タラップ向かって声を張り上げた。


「ナナミ!手が空いてたらこっち来い!」


その声に反応した人影が軽やかな身のこなしでタラップを駆け上がってくる。ベレー帽と少しオーバーサイズの作業服、その人物の身のこなしは、一整備士というよりもサーカスに就職してもよいだろうと思ってしまった。

目の前に来た人物は小柄で、13歳程の少年に見える。イチカを見る大きな目は興味津々という色を隠さずに真っ直ぐイチカを見上げていた。


「コイツはナナミ。オレの一番弟子だ。ヨンゴのメイン整備士をやってる。なりはガキだが腕は確かだ」

「君がイチカ?よろしくね!」


声変わりをまだしていない少年ナナミはイチカの手を取るとブンブンと振り、あ!そうだ!と何かを思いつくと、イチカの手をそのまま引きコックピットを指差す。


「ちょうどいいから操作パーツの調整させて!アカデミーのデータから実装してるけど、実際の感覚とズレてたらヤだし。はい、座って座って!」


ナナミはイチカをコックピットシートに座らせると、自身はコックピットの縁に腰掛けバインダーを取り出す。


「じゃあ、シートベルト締めて。まずコア駆動アクセルからね。アソビはどうかな?」

「……違和感ないよ。大丈夫」

「OK。じゃあ次は手腕スイッチ。どう?」

「少し私には硬いかな。使っていけば摩耗して馴染みそうではあるけど」

「分かった、午後までに調整しとく」


ナナミはその後も細かいチェックを行い、最後にバインダーになぐり書きをすると終わり!とハイタッチを求めてきた。

少年のノリに微笑みながらハイタッチに応え、イチカもシートベルトを外そうとバックルに手をかけるが、同時にコックピットハッチが閉まる音がして視界があっという間に暗くなった。イチカは何も操作をしていない。操作パネルの光る文字だけが薄暗いコックピットの中に浮かび上がっている。


「けっこうスキだらけだね」


その声にイチカが視線を上げると、ナナミがシートに座るイチカを捕らえるように覆い被さり、至近距離でイチカを凝視していた。

操作パネルの微量な光に照らされているその瞳は暗く冷たく不気味さ帯びている。イチカは反射的に息を呑んだ。これが殺気というものなのだろう。

急な展開に驚きつつも、イチカはどこか冷静に思考を巡らせており、結論、体勢的に圧倒的不利な状況で暴れても無駄だと抵抗は諦め、せめて落ち着こうと体の力を抜き、ため息にも似たひと呼吸を吐く。


「…他の人には聞かれたくない内緒話でもしたいの?」


イチカは問いかけるが、ナナミはまばたきもせず射抜くような視線をイチカに注いでいた。サイコパスとはこういう人間を言うのだろう。


「ナナミはガキだからさ。自分が認めたヤツ以外をヨンゴに乗せたくないんだよね」


1人称が自分の名前なんて珍しい。そんなことを思いながらイチカはナナミの言葉の続きを待った。


「こんなスキだらけで本当に軍人?イチカって人殺したことないでしょ。それでヨンゴのパイロットなんてできるの?」


射殺して来そうな視線はぶれずにイチカを見つめ続けている。

正直、ナナミが求めているだろう問いに対する答えをイチカは持ち合わせていない。間違った答えを言えばこの場で喉元を掻っ切られるかもしれないが、イチカは飾ることなくありのままを答えることにした。


「どうだろう?自分でも戦場に出ないと分からない。ナナミのお眼鏡に適うかどうかはしばらく見て判断してもらうしかないかな」


イチカの回答にナナミはふーん…としばらく思考を巡らせているようだ。その間にも視線はイチカの心を見透かすように真っ直ぐ注がれている。しばしの沈黙の後、ナナミはまぁいいかと視線の圧を弱めた。


「弱いんだか強いんだかまだ判断できないや。しばらく様子見」

「そりゃあどうも」

「ナナミが乗せたくないと思ったら整備不良が起きるかもよ。頑張ってね」

「……聞かなかったことにするわ」


冗談か本気か分からないことを言うナナミは、そのまま向かい合うようにイチカの脚に座った。見下されていたのが、同じ高さの目線になる。少年といえど体格はイチカとそこまで変わらないためそこそこ重い。


「…そういうナナミはありそうだね」

「なにが?」

「人を殺したこと」


軍人の端くれとして体術訓練を受けていれば分かる。ナナミの身のこなしは芸術的というよりは効率的に何かを行うための動きだ。

そして彼から発せられる躊躇いのない殺気。きっとすでに何人か手にかけているのだろう。

ナナミは静かに目を細めた。


「イチカってバカではないんだね」

「どうも。少しは整備不良事故の可能性がさがってくれてることを祈るわ」

「うん。ナナミ、イチカに興味が出てきたよ」


ナナミはお気に入りのおもちゃを愛でるようにイチカの頭を撫でると立ち上がり、コックピットのハッチを開けた。

やれやれ、どうなることかと思ったがなんとか外に出られそうだ。


イチカは今度こそシートベルトを外し、ヨンゴの電源を落としていく。ナナミは一足先にコックピットから出る間際、くるりと振り返りイチカと呼びかけた。


「初出撃の後、パイロットは英雄になるか使い物にならなくなるかのどちらかになるんだ。イチカはどっち?」


楽しみにしてるね。

ナナミはそれだけ言うと、軽快に姿を消した。


ナナミが去り一人残された空間、イチカは身動きがとれずにいた。今更ながらナナミに対する恐怖や不気味さがじわじわと押し寄せてきたのだ。


初対面であんなこと言ってくるか?普通。

しかも並々ならぬ殺気とけして外れない視線。言葉のチョイスを間違えれば確実に殺されるシチュエーションだった。

整備士ってクドウみたいなタイプばかりだと思っていたけど、ナメていた。化物がいた。

というか、本当に整備士なのか?シリアルキラーと言われた方が納得できる。

初日から強烈な同僚に出会ってしまった。


「やってけるかな…」


イチカは初日から不安に苛まれていった。

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