閑話3 夜の訪問者(ギルバート視点)
◇
アネットが突拍子もなくやってきた。
そんな報告を受けた俺は、仕事もすべて投げ出して彼女の元に駆けた。
アネットは、シェリルに何やら言っている。……肝が冷えたような感覚だった。
もしも、アネットがシェリルに何かを吹き込んだのならば――と思って、二人の間に割り込んだのは記憶に新しい。
(……本当に、全く落ち着きのない日々だな)
王家からの通達に関しても、アネットに関しても。……全く落ち着きがない。次から次へとトラブルが舞い込んで、休む暇もない。
けれど、それは俺だけじゃない。……シェリルも一緒なのだ。
「はぁ……」
執務室で、俺は一人ため息をつく。窓の外を見つめれば、外はすっかりと暗くなっている。……もうじき、深夜と呼ばれる時間になるはずだ。……眠る気は、起きない。
「どうすれば、全部が丸く収まるんだろうな」
アネットのことも、王国の土のことも。何もかもがめちゃくちゃで、俺の思考回路はぐちゃぐちゃで。
俺の最優先事項はシェリルの安全。守りたいし、危険なことなどさせたくないと思っている。……けど、状況がそれを許さない。
(王太子から返事の催促が、来ている。……そろそろ、本気で何とかしなければ)
そう思っても、踏ん切りがつかない。
じぃっと王太子からの催促の手紙を見つめつつ、俺は「はぁ」とまた息を吐いた。
手紙に綴られた文字は、乱雑なものだ。王太子として送ってきている手紙なのに、文章は荒い。これは、旧知の仲だからこそ許されることだろう。なんて、思っていても仕方がないな。
「さて、また仕事に……」
そんな言葉を呟いて、仕事の資料を手繰り寄せたときだった。
ふと、執務室の扉がノックされた。……この時間に訪れる客人など、いただろうか?
(サイラスか?)
奴ならば、急用があれば深夜だろうが早朝だろうが、俺の元を訪れる。もちろん、執務室にいるときだけ、だが。
「いいぞ」
資料に視線を落としながら、俺は端的に返事をする。すると、「失礼いたします」という声が聞こえてきた。
……これは、サイラスのものじゃない。
(というか、この声は……)
扉が開く音に合わせて、ハッと顔を上げる。そうすれば、そこには寝間着に身を包んだシェリルがいた。
彼女は執務室にゆっくりと入ってくると、俺の目をまっすぐに見つめる。
「……夜遅くに、申し訳ございません」
「い、や」
シェリルが頭を下げてそう言ってくる。……何だろうか。何処となく、よそよそしい。
「少し、旦那様とお話ししたくなりました」
「そう、か。じゃあ、そこに座ってくれ」
執務室にある応接用のソファーを指さして、俺はそう言う。シェリルは、何も言わずにそこに腰を下ろした。
「こんな夜遅くまで、ご苦労様です」
シェリルが俺のことを見て、そう言う。
「きっと、とても大変なのですよね」
……違う。今やっている仕事は、納期なんてずっと先だ。……ただ。
「……眠れないんだ」
俺の口から出たその言葉は、自分でも驚くほどに弱々しかった。
シェリルが、目を見開いたのがわかる。
「どうにも、最近不眠が続いていてな」
「そうなの、ですか」
「あぁ。……やっぱり、不安なことが多いと、な」
苦笑を浮かべてシェリルを見つめる。……彼女は、何とも言えない表情を浮かべていた。
「ところで、今日のこと、なんだが」
「……はい」
「アネットの言ったことは、気にしないでくれ」
とりあえず、これだけは伝えておかなくては。その一心で、俺はそんな言葉を口に出す。
「シェリルが財産目当てだとか。そんなことを思っているのは、あいつだけだ。使用人たちも、シェリルの味方だ」
「……はい」
「俺は、そんなこと真に受けないから」
シェリルの隣に腰を下ろして、俺がそう言う。……その瞬間、シェリルの目から水滴が落ちてきた。
……え。
「……こんなこと、問いかけては迷惑だとわかっているのです」
戸惑う俺を他所に、シェリルが俺の顔を見つめる。……じぃっと見つめられると、その目の美しさに吸い込まれてしまいそうだった。
「アネット様は、旦那様と連絡を取り合っていると、おっしゃっておりました」
「……それは、嘘だ」
「えぇ、私もそう思っております」
何だろうか。シェリルが普段よりもずっと――儚く見えてしまう。それは、どうしてなのか。
「……私、一つ知りたいことがあるのです」
まっすぐに俺の目を見つめて、シェリルがきれいな唇を開いた。
「アネット様と旦那様は、どうしてお別れしたのですか? 簡単には聞いておりますが、詳しくは聞いておりませんので」
シェリルが、俺にそう問いかけてくる。
(そういえば、アネットとのことについては、詳しく話していなかったな……)
そのことを思い出して、俺は眉をひそめた。……アネットとのことは、あまりいい思い出じゃない。むしろ――。
(思い出したくも、ない)
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