第9話 絶対的な味方

 そうおっしゃった旦那様は、頭を下げてこられた。


 ……そんな。私が一方的に不安を抱いて、私が一方的に詰め寄ったに等しいのに。


 だから、旦那様が謝る必要なんて――ないのに。


「そ、その……旦那様が、謝らないでくださいませ」


 手をぶんぶんと横に振ってそう言うと、旦那様はゆっくりと顔を上げられた。その目の奥には、確かな不安が宿っているように見える。


 それに、きっと私も似たような目をしているのだろうな、なんて思った。


「……いや、謝らせてくれ。それに、シェリルの方が謝る必要はない。俺の勝手な行動の所為で傷ついたんだからな……」


 完全に項垂れてしまわれた旦那様を見つめつつ、私は俯く。


 それから、数分が経って。不意に聞こえてきたのは、「こほん」という咳払い。


「旦那様、奥様。謝罪をされるのはよろしいですが、もうお互い引きましょう」


 そして、続けられたそんな言葉。その言葉を発したのは、間違いなくサイラスだった。


「誤解も解けたことですし、今回はこれにて一件落着……ということで」


 サイラスのその言葉を聞いて、私と旦那様は思わず顔を見合わせて……どちらともなく笑い合った。


「そもそもです。今回の原因は、お互いを想い合うからこその行動ですので……」

「……そう、なの?」

「えぇ、そうでございますよ」


 私の問いかけに、サイラスがはっきりと言葉をくれた。……そっか。


「奥様は旦那様を想われるからこそ、浮気を疑われました。旦那様は、奥様を想うからこそ隠し事をされました。……結局、お二人ともお互いが好きということですよ」


 そんなサイラスの言葉に、私は柄にもなく照れてしまった。熱くなった頬を隠すように手で押さえ、ちらりと旦那様を見つめる。


 ……彼も、お顔を真っ赤にされていた。なんだか、面白い。


「そ、その、旦那、さま……?」

「ど、どうした……?」


 旦那様に声をかけると、彼は狼狽えていた。……改めて第三者に指摘されると、なんだか照れくさいものね。


「隠し事、いつか、教えてくださいませ」


 でも、これだけはしっかりと伝えなくちゃ。


 その一心で私がはっきりと旦那様にそう告げると、彼は一瞬だけ視線を私から逸らされる。


 けれど、すぐに私の方を見てくださった。力強い、眼差しだった。


「あぁ、約束する。……いつになるかは、分からないが」

「……そうなの、ですか?」

「まぁ、そこは……勘弁してくれ」


 何処となく弱々しい旦那様は、何となく可愛らしい。


 十五歳も年上の男性に「可愛らしい」という言葉を使うのは、ちょっと違うかもしれない。


(だけど、可愛らしいものは可愛らしいものね)


 まぁ、この気持ちを言葉にすることはないけれど。だって、言葉にしたら――絶対に、否定されるもの。


 もしくは、私の方が可愛いって言われてしまう。……以前、そんな押し問答があったもの。


「では、一件落着ということで。奥様、お部屋に戻りましょうか~」

「……えぇ」


 クレアに促され、私は旦那様の執務室を出ていくことにする。


 旦那様がクレアを見て「……お前の所為だろ」とボソッとつぶやかれたのは、耳に入らなかったことにする。


 だって、クレアは私のためを思ってしてくれたわけだし。……私が責めるのは、お門違いだわ。


「……よかったですね」


 執務室を出ると、クレアがそう声をかけてくれる。なので、私は何のためらいもなく頷いた。


 先ほどまでの暗い気持ちは、驚くほど飛んでいる。今はとっても清々しい。


「えぇ、とても。……旦那様が浮気されていたら、どうしようかと思っていたもの」


 肩をすくめながらそう言えば、クレアは「そりゃそうですよ!」と力いっぱい言葉をくれる。


「こんなにも素敵な奥様を迎えておきながら浮気するようでしたら、サイラスさんに言いつけてやりますから!」

「……頼もしいわ」


 クレアの言葉に、そんな言葉を返す。その後、私は笑った。


「やっぱり、奥様は笑われたお顔が一番素敵です!」

「……そう?」

「えぇ、もしも奥様の笑顔を穢す輩がいたら、私たちが全力で追い払いますので!」

「……ふふっ、そんな日が、来ないことを祈っておくわ」


 廊下を歩きながら、クレアと軽口をたたき合う。


 でも、このときの私は知らなかった。


 ――もうすぐ、私の笑顔を壊す人が現れてしまうなんて。


 夢にも、思わなかった。

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