第8話 晴れる疑惑
「おい、何を言って――」
旦那様が狼狽えられているのが、よくわかった。
その所為で、私は顔を両手で覆ってしまった。今の私は、とてもひどい顔をしているだろうから。
女々しいかもしれない。いや、間違いなく女々しい。でも、一度心の中にこみあげた不安は消えてくれない。
「奥様の体調が悪いときに浮気するなんて、何されているんですか!」
クレアの怒鳴るような声が聞こえてくる。開け放たれた扉の外では、使用人たちが集まり始めていた。
きっと、何事だと思っているのだろう。心配は、かけちゃだめなのに。
「おい、何を勘違いしているんだ……!」
旦那様が、震えるような声音でそうおっしゃる。私は、何の感情も抱けなかった。
「俺は、浮気なんてしていない!」
「じゃあ、どうして隠し事をされるんですか!?」
「……それ、は」
クレアの言葉に、旦那様が返答を困ってしまわれる。恐る恐る顔を上げれば、旦那様は視線を逸らされていた。……わざとらしい、態度だった。
「とにかく、シェリルに言えることじゃないんだ」
ゆるゆると首を横に振りながら、旦那様がそうちょっと厳しい声音で告げてこられた。
……突き放された、のよね。
(……私、どうすればいいの?)
一抹の不安が、私の胸の中で芽生えて消えてくれない。旦那様のことを信じたい。なのに、信じられない。そんな自分が、弱く感じてしまって、自己嫌悪に陥る。
それからしばらく旦那様とクレアの言い争いを聞いていると、不意に「何をしているんですか」と背後から声が聞こえてきた。
この声は、サイラスだ。
「あっ、サイラスさん! 実は、旦那様が浮気されていて……」
「していないって言ってるだろ!」
「……話を聞きましょうか」
サイラスが一瞬にして真面目な表情になる。その眉間には確かにしわが寄っており、何となく怒っているのは伝わってきた。
しかも、その声は地を這うように低い。……サイラスも、怒ってくれているのだ。
「で、浮気相手はどちら様ですか?」
「だからなぁ……」
もう、旦那様は呆れてしまわれたらしい。執務用の椅子に腰を下ろされると、額を押さえてしまわれた。
「俺は、神に誓って浮気なんてしていない。……俺が愛するのはシェリルだけだ。……これでも、信じてもらえないのか?」
「大体、口では何とでも言えますからね」
「サイラス。せめて、お前くらいは俺の味方をしてくれ……」
疲れ果てたような旦那様は、ある意味哀れだ。……それに、こんなにも否定されるということは、多分私の思い違い……だと、思いたい。バレるのが怖くて否定されているのならば、クレアが許さないだろうし……。
「……とまぁ、茶番は置いておきましょうか。クレア、旦那様は浮気なんてされていませんよ」
それからしばらくして、ふとサイラスがそう声を発する。それに驚いて私が顔を上げれば、サイラスは笑っていた。優しそうに、ふんわりと。
「……えぇっ!」
「ちょっと領地のことで、奥様に隠し事をされていたのは、認めましょう。ですが、今の旦那様に浮気するような時間はありませんから」
「……そう、なの?」
そう声を上げたのは、私だった。
目をぱちぱちと瞬かせてそう問いかければ、サイラスはこくんと首を縦に振る。……信じても、いいのよね?
「でも、領地のことだったら、私も――」
私の口は、自然とそんな言葉を発してしまった。領地のことだったら、私も力になりたい。私は、心の底からそう思っている。だけど、サイラスはゆるゆると首を横に振るだけだった。
「今の奥様に、余計な心配はかけられません。なので、今はお教え出来ません」
「……それ、は」
「今の奥様は、いわば病弱な状態です。こんなときに余計な心配など、かけられませんから」
肩をすくめてそういうサイラスは、何となく温かいような目をしていた。……私とクレアが、浮気を疑ったことを責めてもいないような目にも、見えてしまう。
「しかしまぁ、旦那様が言葉足らずだったのも、認めましょう。浮気を疑われても、仕方がありませんねぇ、これじゃあ」
「……おい」
「ですが、クレア。考えてもみてください。旦那様に浮気をするような度胸がおありとお思いで?」
「あ、ないですね」
「……お前たち」
クレアがあっけらかんとサイラスの言葉に返答すれば、旦那様が執務机に突っ伏してしまわれた。
もしかしたら、度胸がないと言われたことにショックを受けられたのかもしれない。
そう思うからこそ、私は旦那様の方に近づいていく。
「申し訳ございません、浮気なんて、疑ってしまって……」
眉を下げて、頭を下げて。私ははっきりと謝罪の言葉を口にする。
すると、旦那様はゆっくりと顔を上げられた。その目の下には、はっきりとした隈がある。……お仕事が忙しいのね。
「いや、俺も言葉足らずだったな。……シェリルを不安にさせてしまったこと、反省する」
「……そんな」
「思えば、俺は浮気を疑われてもおかしくないような行動をしてしまっていた。……本当に、悪かった」
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