第7話 浮気疑惑
「クレア。本当に、いいのよ」
私はゆるゆると首を横に振った後、クレアを見つめる。クレアは、その可愛らしい顔を露骨に歪めた。
「旦那様が浮気しているかも、なんて本当に私の想像でしかないの」
「……奥様」
「そ、それにね。浮気しているかもって問い詰めるのも、体力を使うでしょう? 私は、貴女に疲れてほしくないわ」
それっぽい理由を口にして、私はクレアに微笑みかける。……これで、彼女の暴走も止まってくれたらいいのだけれど。
心の中でそう思っていれば、クレアは何故か感動したような目で私を見つめてくる。……え?
「本当に奥様はお心が広いですね。……任せてください! このクレア、旦那様をぼこぼこに……いえ、問い詰めてきますわ!」
「い、いや、だから、大丈夫で――」
私が恐る恐る手を伸ばす。クレアは、今すぐにでも部屋を飛び出しそうだ。さながら、暴走する馬車みたい。……って、こんなこと思っている場合じゃないわ。
(そもそも、旦那様だって私が浮気を疑っていると知れば、ショックを受けてしまわれるわ……!)
それは、浮気していなかった場合、だけれど。
けど、私は旦那様を信じていたい。私だけを愛してくれているって、信じていたいのよ……。
「クレアっ! 待って!」
部屋を飛び出そうとするクレアを、必死に呼び止める。彼女が振り返る。……さぁ、なんて言って止めようか?
(そもそも、こうなったのは私が軽率に浮気なんて口にしたからだわ。……責任は、私にもある)
ぎゅっと手のひらを握って、私はクレアの目をまっすぐに見つめて、言葉を出す。
「――私も、一緒に行きたいわ」
◇
それから、私とクレアは旦那様の執務室に向かうことにした。
サイラスに訳を話せば、彼は快く旦那様が今執務室でお仕事をされていると教えてくれた。……ちなみに、浮気疑惑については言っていない。彼のことだもの。クレアと同じ反応をするのだもの。
(一応、ちょっとお話がしたいから……と言ったけれど、前触れもなく訪れたら、やっぱり怪しまれるかしら?)
私の後ろではクレアが怒りの形相でついてきている。正直、私一人でも全然構わないのだけれど。
(……はぁ、最近横になってばっかりだったから、ちょっと歩くのも辛いかも……)
ふらついてしまいそうになるたびに、クレアに支えてもらう。迷惑ばっかり、かけているのよね……。
「ごめんなさいね、クレア。……まっすぐ、歩けなくて」
「いえ、奥様は悪くありませんわ!」
私の目をしっかりと見つめて、クレアはそう言ってくれる。……その言葉は、本当にうれしい。ちょっと思い込みが激しくて、暴走しちゃうところもあるけれど、クレアは本当にいい侍女なのよね……。
(ううん、違う。このリスター家のお屋敷の使用人は、皆さん本当にいい人ばかりなの)
こんな私にも親切にしてくれるし、優しくしてくれる。その感情は同情からじゃない。……それが、本当にうれしかった。
そんなことを思いつつ歩いていると、旦那様の執務室の前にたどり着く。……ノックしようと手を伸ばして、やっぱり旦那様の元を訪れるのは止めようと思った。
「……ねぇ、クレア」
だから、クレアに視線を向けて「やっぱり、止めましょう」と声を出そうとしたときだった。
「旦那様ー!」
クレアが、遠慮なく旦那様の執務室の扉を開けた。執務室の中には、何か手紙のようなものを真剣に読まれる旦那様がいらっしゃる。
でも、私とクレアが何の前触れもなく訪れたためか、驚いて顔を上げられた。かと思えば、手元の手紙を慌ててしまわれる。
「しぇ、シェリルとクレア……? なにか、あったのか……?」
彼の声は、ほんの少しの焦りを含んでいた。……私に、隠し事をされているのは間違いないということなのだろう。
(信じたいけれど。……やっぱり、浮気されているの?)
もしかして、先ほどのお手紙は浮気相手からのお手紙じゃあ――と、一瞬思ってしまう。けれど、私はその考えを振り払おうとしてぶんぶんと首を横に振る。
「どうした? いきなり、ノックもなしに部屋を開けて。俺しかいなかったからよかったが、来客中だったら――」
「旦那様ー!」
「うわっ」
クレアが旦那様に飛びついていく。それを、旦那様は軽々と受け止められていた。
「浮気なんて、許しませんからね!」
「ちょ、うわ、き……?」
旦那様が、恐る恐ると言った風に私のことを見つめる。……私の頬に伝う、温かい何か。
(やっぱり、体調が悪いと心も不安になってしまうんだわ……)
それを、嫌というほど再認識する。だって、私――これくらいで、泣いてしまうなんて、想像していなかったのだもの。
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