閑話1 要望書(ギルバート視点)
◇
「作物が上手く育たない、か……」
俺、ギルバート・リスターは目の前にある大量の要望書と格闘している。
要望書とは、領民から領主へと向けたお願いを書いたものだ。リスター伯爵家では代々こうやって領民の願いを叶えてきた。そういうこともあり、俺もこの要望書に書いてあることは出来ることならば叶えたいと思っている。
……だが、上手くいかないことも多い。
そもそも、領民みなの願いを叶えることなど無理に等しいのだ。
しかし、領主である以上無視をすることは好ましくない。領主とは、領民のおかげで存在しているといっても過言ではないのだから。
「旦那様。今回の要望書は、どうでしょうか?」
「あぁ、サイラス。……中身は相変わらずだ。俺一人じゃ、どうにもできそうにないことが多い」
ふぅと息を吐きながら、俺は目の前の執事サイラスを見据える。
そうすれば、サイラスは要望書の一つを手に取った。
「作物の件、でございますか」
「そうだな。今回は八割ほどそれだ」
俺の妻であるシェリルのおかげで、土の魔力が枯渇していることはわかった。そのための肥料だって手配した。
……だが、やはりと言っていいのかそれでは所詮一時しのぎにしかならないらしい。
「王家の方には、報告されましたか?」
「……一応、昨日報告の手紙を送っている。もっと早く送ろうかと思ったんだが……」
サイラスからそっと視線を逸らす。……もしも、こうなっているのがリスター伯爵領だけならば、まだいい。が、もしもほかの領地でも似たようなことが起こっているのならば、王国だって無視はできない。
その場合……。
「シェリルが、どうなるかわからないだろ」
『土の豊穣の巫女』であるシェリルは、土に魔力を送ることが出来る。つまり、土を根本から改善することが可能なのだ。
けれど、その場合は……シェリルに多大なる負荷がかかってしまう。さらにいえば、現状この王国に存在する『土の豊穣の巫女』はシェリルだけなのだ。
「たった一人で、王国の土をなんとか出来るわけがない。……いや、出来たとしても」
「……最悪の場合は、死に至りますからね」
俺が口に出さなかったことを、サイラスはあっさりと口に出した。
それに若干腹が立ったが、実際それは間違いではないのだ。……負荷がかかりすぎれば、『豊穣の巫女』は亡くなってしまう。そんなこと、あってはならないのに。
「それが名誉の死だとしても、俺はシェリルを失いたくないんだ」
それは、間違いない心からの気持ち。ようやく出会えた最愛の女性。彼女を失うくらいならば……俺はこの財を切る方がいい。自分の財を削ってでも、一時しのぎの肥料を手配する方がいい。
「けれどな、領主としてそれは失格なんだよな」
「……旦那様」
「いや、忘れてくれ」
自分の感情と、王国の未来。どちらが大切なのかは、手に取るようにわかる。
「あいつなら、そんな無茶はしてこないだろう。……だが、どうしても、な」
現在の王太子と俺は、いわば旧友、悪友だ。俺が一時期王都に滞在していたときに知り合って、あれ以来手紙のやり取りをしている。あいつは口は悪いがしっかりと民たちのことを見ている。……口は、とんでもなく悪いけれどな。
「……旦那様」
「どうした」
不意にサイラスが真面目な声音で声をかけてくる。そのため、俺はそちらに視線を向ける。すると、サイラスはこほんと咳払いをした。
「旦那様の感情も、分からなくはありません」
「……あぁ」
「領主としての使命との板挟みになる気持ちも、分かります」
……一体、何が言いたいんだ?
心の中でそう思っていれば、サイラスは真剣な視線で俺を見つめてきた。
「でしたら、その双方を守る方法を、考えればよろしいのでは?」
「……はぁ?」
「王国の土を改善し、かつ奥様の命を守る方法。それを、考えればよろしいのでは?」
「それが出来ていたら、とっくの昔に……!」
そうだ。それが出来ているのならば、俺はとっくの昔に行動している。出来ていないから、今に至っているわけであって……。
「旦那様。……お言葉ですが、貴方様は周囲を頼ることをなさっていませんよね?」
「……はぁ?」
何が、言いたいんだ。
「その道にはその道のプロがいます。なので、ほかの方に知識を教えていただくのも、大切かと思いますよ」
サイラスは、何のためらいもなくそう言い切った。
……ほかの人に知識を、か。
(……そうだ。あいつ、だったら)
俺には多方面にたくさんの知り合いがいる。その中で、現在役に立ちそうな知り合いと言えば――『研究オタク』のあいつしかいない。
(ついでにいえば、あいつは現在『豊穣の巫女』の研究にハマっていると言っていたな。……だったら)
思い立ったが吉日だ。
その気持ちで、俺は執務机から便せんを取り出し、文字を綴っていく。
(北の辺境に届くのは、かなり先になるだろうな。……だが、どうか頼む)
心の中でそう思いつつ、俺は一心不乱に文字を綴った。どんな手段でもいい。
――シェリルに、負荷をかけたくないんだ。
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