第4話 気遣いが、辛いときだってある

 その後、ゆっくりと重たい瞼を開ける。


 一番に視界に入ったのは、見慣れた天井。……夫婦の寝室だ。


 どうやら、私は意識を失ってしまっていたらしい。


 そっと隣を見ても、誰もいない。部屋のカーテンは閉まっているけれど、光が入ってこないことから今は夜なのだろう。


 ……こんな時間に誰かを呼ぶのは、気が引ける。


(……もう一度、眠ろうかな)


 起きたことを知らせるのが一番いいのかも。だけど、夜に使用人を呼ぶのは憚られてしまった。だって、彼らにも休息はあるもの。


 もう一度瞼を閉じるとほぼ同時に、寝室の扉が開いた音がした。


 ……誰か、来たのかな。


「奥様~、入りますよ~」


 私が眠っていると思っているのか、差し足忍び足で近づいてくる誰か。……声からして、クレアだろうか。


 彼女の気配を感じて、私はもう一度瞼を開ける。身体を起こそうとするものの、やたらと身体が重苦しくてうまく起き上がれない。


「あっ、奥様!」

「……クレア」


 クレアが私の目覚めに気が付いて、慌ててこちらにやってきてくれる。


 彼女は私が起き上がろうとしているのを見て、顔を青くして止めてきた。


「ダメでございますよ。……まだ、本調子ではないのですから」

「……でも」

「侍医の見立てによれば、やはり魔力不足が原因だそうなので……」


 眉を下げてクレアがそういう。


 それすなわち、普通の病気ではないということ。


(……やっぱり)


 何となく予想はしていた。普通の風邪などだったら、私の体調不良はここまで長引かないだろうから。


「旦那様は、本日は私室で眠られるそうです。……奥様にはゆっくりとされてほしいと」

「……ごめんなさい」


 クレアの言葉に、私は思わず謝罪の言葉を口にしてしまった。


 そっと視線を逸らして謝罪をすると、クレアはぶんぶんと首を横に振っているらしかった。


「いえ、奥様が悪いわけではありません。……あぁ、そうです。夕食を持ってきました。いかがなさいますか?」

「……少しだけ」


 折角の好意なのだから、断るのも忍びなかった。


 そのため私がそう返事をすれば、クレアは寝室の入り口の方へと戻っていく。


 それから、彼女はワゴンを押してきた。


「どうぞ、奥様」

「……ありがとう」


 ワゴンの上に載っているのは、がっつりとした夕食ではない。あっさりとした胃に優しそうなメニューだった。


「料理人にも、気を遣わせてしまったのね……」


 自然と口からそんな言葉が零れた。


 体調が弱っていると、どうしても弱気になってしまうものだ。普段よりも数段沈んだ声でそうぼやくと、クレアは痛々しいとばかりの視線を向けてきた。……何も言葉を発さないのは、彼女なりの優しさだろう。


 とりあえずとばかりに、野菜のスープに手を付ける。普段よりも少し味が薄いような気がするのは、気のせいではないだろう。大方、私が食べやすいようにと本当に気を遣ってくれたのだ。


(……本当に、ありがたいわ)


 そう思う半面、どうしても迷惑をかけてしまっているという気持ちが先行してしまう。


 私がこんな風に体調を崩さなければ、このお屋敷のみんなは平穏に暮らせるというのに……。


「奥様」


 そう思っていると、不意にクレアが声をかけてくる。驚いて彼女に視線を向ければ、彼女はとても真剣な表情をしていた。


「奥様。私たちは、奥様のお世話が出来てとても嬉しゅうございますよ」

「……クレア」

「なので、そんな気を遣わせてしまったとか、迷惑をかけてしまったなんて、思わないでください」


 クレアが、私の手を自身の手で包み込んでそう言ってくれる。


 ……そうだ。このお屋敷の人たちは、誰よりも温かいのだ。私がどれだけ迷惑をかけたとしても、笑って許してくれるような人たちなのだ。


「……えぇ、ありがとう」


 それに気が付いたからなのか、私の口からは自然とそんなお礼の言葉が零れていた。


 謝罪の言葉じゃない、お礼の言葉。きっと、聞く方からしても「ごめんなさい」よりも「ありがとう」の方がいいのだろうな。


「というわけで、奥様。たっぷりと栄養を摂って、回復しましょうね」

「……そうね」


 本当のところ、私は知っている。……栄養を摂ったくらいじゃ、これは完全には回復しきらないということを。


 しかし、今はそう信じたかった……の、かもしれない。


(いつか、きちんと治ってくれたらいいのだけれど……)


 そう思っても、それがなかなか難しいことはわかっている。


 ……だけど、願うくらいは良いじゃない。前を向くくらいは、いいじゃない。


 自分自身に、私はそう言い聞かせた。

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