第2話 十五歳年上の旦那様は可愛らしい
そんなことを思っていれば、不意に部屋の扉がノックされた。
「……だれ、かしら?」
きょとんとしてそう声を上げれば、サイラスはやれやれとばかりに肩をすくめていた。どうやら、彼にはやってきた人の正体がわかっているらしかった。
「……どうぞ」
私がいつまで経っても返事をしないためか、サイラスがそう声を発する。そうすれば、部屋の扉がゆっくりと開き――私の夫であるギルバート様、もとい旦那様が顔を見せてくださった。
「旦那、さま?」
「……あぁ、シェリル」
本日はお忙しいと聞いていたのだけれど……。
心の中でそう思っていれば、彼は頭を掻いていらっしゃった。
「いや、たまにはダンスの練習に付き合ってやれと、サイラスに無茶ぶりを……」
旦那様がそうおっしゃると、不意にサイラスが肘を旦那様のお腹に打ち込む。とても、痛そうだった。
「無茶ぶりも何もありませんよ。奥様がこんなにも頑張っていらっしゃるのに、旦那様ときたら……」
「お、俺だって、仕事はきちんと――」
「仕事ばっかりされていても、夫婦関係は良好にはなりませんよ」
……彼のいうことは、正しいのかもしれない。
けれど、私と旦那様の今の夫婦関係はお世辞抜きに良好だと思うし、そこまで無理に時間を作る必要はないと思ってしまった。
「……あの、旦那様、お忙しいのであれば、無理はなさらないでください」
「……いや、その」
少しだけ小首をかしげてそう声をかければ、旦那様が狼狽えてしまわれる。
……結婚してしばらく経ったけれど、このお方は私を直視されないことがある。その頬が真っ赤に染まっているのを見ると、嫌われていないというのはわかるのだけれど。
「私は旦那様と一緒に暮らせるだけで、幸せですから。……なので、ご無理はされないでくださいませ」
自分の気持ちを素直にそう伝えれば、クレアとマリンが私の後ろでひそひそと会話を始めていた。
「旦那様ったら、奥様のお気持ちを無視されるつもりなんですねぇ」
「なんて最低なのかしらー」
「本当に、ヘタレが治ったかと思えば今度は最低な人なんて……」
「いつか奥様に愛想を尽かされても知りませんわー」
……わざとらしい言葉だった。ついでに言うと、しっかりと聞こえるように割と大きめの声で会話をする二人。
なんというか、旦那様が可哀想になってしまう。
「……おい、クレア、マリン」
「わぁ、私たちに矛先が向きましたよ!」
「怖いですー」
クレアとマリンはそう言ったかと思うと、サイラスの後ろにわざとらしく隠れた。
……完全に、旦那様は二人に遊ばれている。まぁ、主で遊べるということは、それほどまでにいい職場環境ということなのだろうけれど。
「……で、どうなさるんですか、旦那様?」
クレアとマリンを後ろに従えながら、サイラスがそう言う。
そうすれば、旦那様は頭をガシガシと掻かれる。
「あぁ、もうっ! わかった、わかった! シェリルのダンスのレッスンに付き合うから……!」
「……ですが」
何となく旦那様が不憫に見えてしまったので、私はそう声をかけた。すると、マリンが私の側に早足で寄ってくる。
「旦那様、照れていらっしゃるんですよ」
「え、そうなの……?」
「はい。素直に奥様と一緒に居たいとおっしゃればいいんですけれどねぇ~!」
マリンの視線がちらりと旦那様に向けられる。……なんだ、私とのダンスのレッスンが嫌なわけじゃないんだ。
(……良かった)
そう思ったら、無意識のうちに胸をなでおろしていた。
もしも、旦那様に嫌われてしまったら――なんて、想像をするとひやりとしてしまうのだ。
それほどまでに、私はこのお方に惚れこんでいる。十五歳も年上のお方だけれど、私にとってはかけがえのない、唯一無二の王子様なのだ。
(なんて、そんなことをお伝えしたら旦那様はとても慌てふためかれるわ。……これは、胸の中に秘めておくべきなのよ)
サイラスに肘を打たれたかと思えば、クレアとマリンに言葉の攻撃を受けていらっしゃる旦那様。
普通の貴族ならば、こういうことをされれば使用人を解雇するのかもしれない。
「ったく、本当にお前らは……!」
けれど、そんな言葉だけを呟かれた旦那様は――何処となく、笑っていらっしゃった。
あぁ、このお方のこういうところ、私は――好きだな。
私はそう強く、実感するのだった。
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