第49話 別れの日

「ねぇ、エリカ。本当に大丈夫?」

「もう、お義姉様ったら心配性ね。私は大丈夫よ」


 それから十日後。エリカがリスター家のお屋敷を出て行くことになった。


 エリカはここを出てからはアスキスの街に住むらしい。アパートもすでに借りる手続きをしているらしく、仕事も見つけたということだ。仕事はなんてことないカフェのウェイトレスだとか、なんとか。老夫婦の経営するこじんまりとした店だとエリカは言っていた。


「……本当に、迷惑をかけてしまったわ。ごめんなさい」


 最後にエリカが深々と頭を下げてそう言葉をくれる。


 だからこそ、私は「謝らないで」と言って彼女の肩を軽くたたいた。


「私、エリカに頼られて嬉しかったわ」

「……お義姉様」

「それに、またこうやってお話が出来るようになったこと、とても嬉しいの」


 出来る限りにっこりと笑ってそう言えば、エリカはくすっと声を上げて笑ってくれた。


 その笑みを見ていると、いろいろと心がほぐれていく。


「お父様やお母様に見つからないように、頑張るわ」


 その後、彼女は少し困ったような笑みを浮かべてそう言う。


 確かにお父様やお義母様に見つかったら面倒なことになるのは目に見えている。未だに私の元にお金の無心の手紙が届いているというし、彼らに羞恥心などはないのだろうか。厚顔無恥という言葉が似合いそう。


 そんなことを考えていれば、エリカの視線がマリンに注がれる。


 そして、エリカは「……貴女にも、本当にお世話になったわ」と言って軽く頭を下げる。


「いえ……そんな」

「マリンがいてくれたから、私は本当にここで楽しく過ごせたわ」


 マリンにそう声をかけつつ、エリカはきれいな笑みを浮かべていた。


 その笑みがとても可愛らしくて、彼女にも本当に幸せになってほしいと思ってしまう。今まで振り回されてきた分、幸せにならないとダメだと思ってしまうのだ。


「ロザリア様も、ありがとうございました。私の愚痴を延々と聞いてくださって……」

「いえいえ、私も楽しかったですよ。……また女子会、しましょうね」

「……えぇ」


 ロザリア様のそのお言葉に、エリカが苦笑を浮かべる。


 最後とばかりにエリカはギルバート様に視線を向けた。ギルバート様はエリカのことを凝視しつつも、何もおっしゃらない。


 そんな彼に向かってエリカは「本当に、お世話になりました」と言っていた。


「私が、ここに来ること、きっと貴方様からすれば気のいいことではなかったと思います。でも、置いてくださった」

「……シェリルの頼みだからだ」

「それでも、です。……問答無用で追い出してもおかしくなことを、今までの私はしてきたのですから」


 そっと目を伏せてエリカがそう言う。


 その言葉にギルバート様は何もおっしゃらない。ただ、懐から何かを取り出されるとそれをエリカに握らせる。


「……これは?」

「ちょっとした餞別だ。ほんの少しだけだが、金が入っている」


 ギルバート様は淡々とそうおっしゃるけれど、エリカは目を大きく見開いていた。


「使用人の仕事を手伝ってくれたと聞いているからな。……その給金だ」

「で、ですが、私はもうすでに……」

「いや、受け取ってくれ。……今は物入りだろう」


 ゆるゆると首を横に振りながらギルバート様はそうおっしゃった。その言葉を聞いても、エリカは渋る。


 そのため、私はエリカに「じゃあ、貸しということにしましょう」と言ってにっこりと笑いかけた。


「これは貴女に投資をしたということ……じゃないかしら。いつか貴女の稼ぎが安定したら、返してくれればいいのよ」


 私がそう言えば、エリカは少しだけ躊躇ったのち「……そういうことに、するわ」と言って目を閉じる。


「……私も、エリカに何かをあげられたらいいのだけれど」


 次に私がそう言って眉を下げれば、エリカは「もう必要ないわよ」と言いながらやれやれと言った表情を浮かべる。


「お義姉様にはたくさんもらったわ。……それに、ワンピースもたくさんもらったもの」

「……そう」


 そう言って私がしゅんとしてしまえば、エリカは「本当に、お義姉様は世話好きね」と言いながら肩をすくめていた。


「お義姉様のことだし、きっと立派な母親になるわ」

「……エリカ?」


 正直なところ、エリカのその言葉には戸惑ってしまう。いきなり母親になるなんて言われても……困るというか、照れるというか。


「いずれ、甥か姪に会わせてね。……きっと、お義姉様にそっくりな可愛らしい子だから」

「……エリカったら」


 もうなんと返せばいいかがわからなくて、照れ隠しのようにそう告げる。


 不意にギルバート様の横顔を見上げれば、彼は顔を真っ赤にされていた。……私よりも、照れていないかしら?


「じゃあ、行くわね」


 エリカがそう言って馬車に乗り込もうとする。


 そんな彼女の様子を見つつ、私は彼女に渡さなければならないものを思い出す。……ギルバート様が渡してくださるというから、任せていたのに。彼は一向に渡す素振りを見せてくださらない。


「……ギルバート様」


 彼にそっと耳打ちをすれば、ギルバート様はハッとして「エリカ嬢」とエリカの名前を呼ばれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る