第47話 『友人』だったら

「……っつ、エリカっ!」

「名前を呼ばないで。虫唾が走るわ」


 そんな声が聞こえてくる。思わず息を呑んでいれば、エリカは何でもない風に「それだけよ」と言っていた。


 そして、私たちのいる方向に歩いてくる。……その姿を見ると、私はハッとして隠れてしまった。


(今は、出て行くべきじゃないわ)


 そう思い物陰に隠れていれば、エヴェラルド様がエリカの手を思いきり掴む。


「エリカっ! どうして、急にそんなことを……キミだって、僕に気があるだろう?」


 どうして、彼はそこまでエリカに愛されていると自信を持てるのだろうか。そう思う私を他所に、エリカはエヴェラルド様の手を振り払う。それから、「ふざけないでっ!」と言っていた。


「あんな狂気的なラブレターをもらって、気があるとかふざけているの!? 私は……私は、怖かったのにっ!」


 エリカの声は、露骨に震えていた。今すぐにでも飛び出して抱きしめてあげたいと思うけれど、それは許されない。今は、彼女のことを見守ることしか出来ない。


(私が行っては、逆効果になるものね……)


 ぐっと手のひらを握りしめて、私はエリカとエヴェラルド様の様子を窺う。


「……え、り――」


 エヴェラルド様がエリカに手を伸ばそうとしたとき、不意にエリカは――その手で、エヴェラルド様の頬をぶった。


「……最低。あんた、本当に最低っ!」


 涙をぽろぽろとこぼしながら、エリカはそういう。その言葉と様子を見て、私は勢いよく飛び出してしまいそうになった。けれど、マリンに引き留められた。彼女の方に視線を向ければ、彼女はゆるゆると首を横に振る。それから、口パクで「まだ、ダメです」と伝えてくる。


「えり、か。……ぼくは、キミのことを、思って……」

「私のことを思うのならば、放っておいてほしかったわ」


 涙の混じった声で、エリカがそう言う。その声に胸を打たれてしまうような感覚だった。


「私、お義姉様に迷惑なんてかけたくなかったのよ。……なのに、あんたがそんな行動をするから、突拍子もなくこっちに来てしまったわ」


 小さな声で、でも、はっきりとした声音で。エリカはそう言い始めた。


「私がお義姉様に頼るなんて、絶対に許されることじゃないわ。……でも、そうするほかなかった」


 彼女が手のひらを握っているのがよく分かる。だけど、エリカは何のためらいもなくエヴェラルド様を見据ええて、言葉を続けた。


「……エリカ」

「けれど、貴方に感謝もしているのよ。……お義姉様にもう一度会えて、私、幸せだったわ」


 その言葉に私の心が打たれてしまう。それと同時に、あの子にも幸せになってほしいと思ってしまった。


 お父様やお義母様に振り回された今までを、すべて覆すほど幸せになってほしいと。


「……ねぇ、エヴェラルド様」

「……あぁ」

「私、一生結婚する気はないわ。お義姉様の幸せを崩そうとした私に、幸せになる権利などないもの」

「え、りか」

「でも、一つだけ言っておいてあげるわ」


 ――もう一度、貴方と『友人』としてならば、付き合ってあげてもいいわよ、って。


 そう言ったエリカの声は、とても清々しいような。憑き物がおちたようなほどにきれいな声だった。


 多分、彼女は今笑っている。……それがわかるからこそ、出て行かなくてよかったと思う。……あの場で出て行ったら、エリカは自分の気持ちを伝えることは出来なかっただろうから。


「……エリカ様」


 マリンがそんな風に声を零した。それとほぼ同時に、エリカの視線がこちらに注がれる。……そして、私とばっちりと目が合ってしまった。


「……お義姉様」


 見つかった。そう思って逃げようかと思ったけれど、逃げることもできずに私はそっと視線を逸らす。


「どうして、ここにいらっしゃるの……?」


 エリカがゆっくりとこちらに近づいてきて、そう問いかけてくる。なので、私は視線を逸らしながら「……貴女のことを、捜していたの」ということしか出来なくて。


「貴女が、何か一人で突っ走ろうとしているんじゃないかって思って、気が気じゃなくて……」


 目を瞑って白状するようにそう言えば、エリカは「……お義姉様」と私のことを呼ぶ。その声は、何となく呆れたような声だった。


「あのね、お義姉様」

「……エリカ」

「私、お義姉様に勇気をもらったわ」


 凛としたような声で、エリカがそう告げてくる。それに驚いて目を見開けば、彼女は「お義姉様が、あの時エヴェラルド様にはっきりとおっしゃってくれたから。……私、彼と向き合う決意が出来た」と続ける。


「お義姉様。……私、お義姉様のこと……その」

「……うん」

「お義姉様のこと……大好き、なの。私が言うことが許されることなのかはわからない。……でも、大好きよ、それだけ、伝えたい」


 にっこりと笑って、エリカが私にそう告げてくれる。なので、私は彼女に近づいて――その華奢な身体を、抱きしめていた。


「エリカ」

「……うん」

「私も、貴女のことを大切に、思っているわ」


 たったそれだけ。しっかりと伝えたくて、私はそう告げる。


 そうすれば……エリカは「……ありがとう」と静かな声で言ってくれた。

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