本編Ⅱ

第1話 いつもの日常

 ふわりとした風が、私の長い桃色の髪を揺らす。靡く髪を軽く手で押さえ、私は専属侍女の一人であるクレアを連れて、ウィリス王国の東の辺境伯爵家、リスター家のお屋敷のお庭を散歩していた。


「今月も、綺麗に咲いたわね」


 咲き誇る花々に視線を向けながらクレアにそう声をかければ、彼女は大きな橙色の目を細め「シェリル様がお世話をする範囲も、かなり増えましたよね」と返答をしてくれた。だから、私は頷く。


 私の名前はシェリル。落ちぶれた侯爵家と呼ばれていたアシュフィールド家の長女だった。しかし、実家は数ヶ月前に没落した。そのため、元家族は今は平民として暮らしているとかなんとか。私も身分的には平民なのだろうけれど、リスター家の当主であられるギルバート様の婚約者という立場なので、普通の平民とは少し違う……のかも、しれない。


「そうね。庭師の人たちも、私のことを快く受け入れてくれるし……」

「それは、シェリル様が素敵なお方だからですよ!」


 クレアはにこにこと笑いながらそう言ってくれるけれど、私はいまいち自分に自信が持てない。それはきっと、実家で虐げられてきたことが原因だろう。ここにやってきて、私は初めて心の底から愛されるということを知ることが出来た。実家の使用人たちの中には、私の味方をしてくれていた人もいたのだけれど、結局彼らの根本には『同情』があった。それが伝わってくるからこそ、私は使用人たちを信頼しても、あまり心を許すことはしなかった。


「最近では力の方も制御出来ているようですし、寝込むことがなくなったのは本当に喜ばしいです」

「それは、そうね」

「ロザリア様も、シェリル様のことを褒めていらっしゃいましたよ」


 笑いながらそんなことを教えてくれるクレアに、私は心の底からの笑みを向けて「嬉しい」と答える。


 ロザリア様とは、最近ギルバート様に雇われた私の護衛の魔法使いのこと。王国が認めた魔法使いのお一人であり、魔法の名家であるルシエンテス子爵家のご令嬢だとか。そんな彼女は私よりも三つ年上で、私は彼女のことを姉のように慕っていた。


(そう言えば……エリカは、どうしているのかしら)


 姉妹と聞いて思い出すのは、私の異母妹であるエリカのこと。エリカは平民に落ちて、今は王都の街で暮らしていると聞いている。あの子は贅沢が好きだったから、もしかしたら平民としての暮らしには馴染めていないかもしれない。そう思って心配してしまう。……たとえ私のことを見下し、虐げてきた相手だったとしても。エリカは、ある意味の被害者なのだ。今の私は、そう思っている。


(たとえ、私からイライジャ様と魔力を奪っていたとしても。それでも、あの子のことだけは心の底から憎めないのよね……)


 実父や継母は違う。心の底から嫌っているし、堂々とそう言える。でも、エリカは違った。エリカは幼い頃から、歪んだ教育を受けていた。それを、私は知っている。一時期はあの子のことを嫌っていたけれど、冷静になった今ならば分かるのだ。……あの子も、実父と継母の被害者だったのだと。


「シェリル様?」

「……いえ、なんでもない」


 怪訝そうな表情でクレアがそう声をかけてくるので、私は苦笑を浮かべて言葉を返した。エリカのことを考えていたと言うと、クレアはきっと余計な心配をしてしまう。クレアも、もう一人の専属侍女であるマリンも。執事のサイラスさんも、私の婚約者であるギルバート様も。そして、他の使用人たちも。私の元家族のことを嫌っている。だから、エリカのことは話せない。


(あの子が、苦労していないことを願うしかないわ。……あんな教育を受けて、まともに育つわけがなかった。私は、それを理解するべきだった)


 多分、私の元婚約者だったイライジャ様を奪ったのも、あの教育が原因なのだろう。エリカは、両親に認められるために私に勝つ必要があった。私よりも自分が優れていると両親に示す必要があった。


「あっ、そうだわ、クレア。一つだけお願いがあるのよ」


 だけど、今更エリカのことを考えたとしてもどうすることも出来ない。だから、私はとりあえず気持ちを切り替えようとクレアに明るく声をかける。そうすれば、クレアは「どうかなさいましたか?」と問いかけてくる。


「私ね、今度はお花だけじゃなくて、果物の類も育ててみたいの。だから……その」


 少し言いにくそうに視線を逸らせば、クレアは「良いですね!」と賛成してくれた。


「どうせですし、その果物が収穫出来ましたら、旦那様にお菓子にしてお渡ししましょうか!」

「そうね、いい考えだわ」


 クレアの提案に、私はにっこりと笑う。果物は収穫までに時間のかかるものが多い。でも、中には普通のお野菜のような期間で収穫出来る種類もある。それならば、かなり早く収穫が可能なはず。


「では、今度庭師にお話してみますね。きっと、喜んでくださいますよ」

「……迷惑では、ないかしら?」

「全然。シェリル様のお望みならば、私たちはどんなことでも叶えたいと思っておりますから。ただ……」

「……ただ?」


 私がクレアの言葉を復唱すれば、クレアは「旦那様のこと、よろしくお願いしますね」と言ってくれた。それは、お願いしなくてもいいことなのに。私も、ギルバート様とずっと一緒にいたいもの。


「大丈夫。私、ギルバート様のこと大好きだもの」


 視線を少し逸らしながらそう言えば、クレアは「あのお方は、不器用ですけれどね」と苦笑を浮かべながら言う。……確かに、ギルバート様は不器用なお方かもしれない。でも、ううん、そんなところも――。


(私は、好きなの)


 そんなギルバート様のことを、私は好いている。こんなことを言ったら惚気だとか受け取られてしまいそうだから、あまり口には出さないけれど。でも、心の中で零すくらいは、いいわよね。私は、そんなことを思いながらお庭の散歩を再開した。

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