第44話 暴走寸前
「な、なにをするのですか! 放してくださいっ!」
イライジャ様の下で必死にもがく私だけれど、男女の力の差は歴然過ぎて。私の抵抗など、イライジャ様からすれば幼児が駄々をこねているレベルにしか感じられなかったのだろう。ただし、私の抵抗を煩わしいと思っていらっしゃるのか、露骨に舌打ちをされてきた。……それが、まるでトリガーとなったかのように、私の身体の奥から何かがまたふつふつと湧き上がってくる。……今度は、それをうまく抑え込めずに、頭の中が真っ白になっていく。……明らかに「暴走の前触れ」だった。
(ダメよ。ダメなの。暴走だけは……させちゃいけないのよ……!)
必死に下唇をかみしめ、私が目を瞑って耐えていれば、イライジャ様は「……まだ、暴走させないのか」なんておっしゃった。このお方は、私が魔力を暴走させてリスター家を滅茶苦茶にすることを待っていらっしゃるのだろう。そういう目を、していらっしゃるから。そして、それでもダメだった時の場合も考えて、私のことを傷物にしようとされている。……こんな人、ずっとエリカに夢中だったらよかったのに……! 私のことなんて、気にも留めないままでよかったのに……!
(違う。このお方が夢中だったのは……エリカじゃなくて、『豊穣の巫女』なのよ。だから、私のことを好いているわけでもないし、寄りを本気で戻したいわけでもない)
そう思い直して、私は体内から湧き上がる魔力をぐっとこらえようとする。この量は、間違いなく私が昔持っていた魔力とほぼ同じ量。多分、エリカに奪われていた魔力がすべて戻ってきてしまった。もちろん、土の魔力のこともあるから少しは少ないだろう。……けど、最悪のタイミングだった。
「シェリルが暴走するところを、俺はぜひとも見たい。そのために、わざわざエリカを説得したのだからな」
「私に、魔力を返すように、ですか?」
「あぁ、何があってもエリカのことは捨てないと言っておけば、あいつは何でもやってくれる」
「……最低、ですね」
エリカも、悪い男に惚れたものだ。そんなことを思いながら私が深呼吸をして魔力の暴走を抑え込もうとしていれば、イライジャ様は私の口を手でふさがれた。その所為で、深呼吸のリズムが乱れて、私の暴走がまた激しくなろうとする。……ダメよ、ダメ。絶対に――ダメなのにっ!
「本当にシェリルは強情だな。……ならば、最終手段に移るか」
イライジャ様はそうおっしゃると、懐から短剣を取り出されると、私の首筋に押し当ててきた。その際に、少しだけ皮膚が切れたのか、私の身体に小さな痛みが走った。それが原因で私が顔を歪めれば、イライジャ様は「……命の危機を感じれば、暴走しやすいらしい」なんてけらけらと笑いながらおっしゃる。……何よ、それ。本当に――ありえないっ!
「……私、貴方の思い通りになんて、なりませんから。今が幸せ。その幸せを――自ら壊すようなこと、しませんからっ!」
本当は、今すぐにでも暴走してしまいそうだった。だって、誰も助けてくれないから。使用人たちもお屋敷の中で気絶している可能性がある。……クレアのことも、早く手当てをしなくちゃいけないのに。そう思えば思うほど、焦って、焦って。息が上手く吸えなくて、視界が歪んでいく。
「……リスター辺境伯も、執事もいない今、誰がお前を助けてくれるんだ? あぁ、そうだ。お前にはこっちの方が効果的だったか」
「――何をっ!」
イライジャ様は、私の上から退かれると、クレアの方に近づいていく。まさか、クレアを傷つけようというの? ……そんなの、許せるわけがない。
「お前は懐に入れた人間にはとても甘い。……ならば、そこの侍女を傷つけようとすれば……冷静さなど保っていられないだろう」
「やめてっ!」
クレアは、何も悪くないじゃない。傷つけるのならば、私にしてくれればいいのに……! そんなことを思えば思うほど、どんどん自分の中で何かが制御できなくなる。あぁ、どうしよう。どうしよう――助けて、助けてっ!
「――ギルバート様、助けてっ!」
小さな声で、そうつぶやく。このままだと、私はすべてを壊してしまう。そうすれば、クレアや使用人たちもただでは済まない。そんなの、嫌なの。嫌なのにっ!
身体の奥が熱くて、燃えるようで。私は自分の中の限界が近づいていることに気が付いた。……このままだと、本当に――暴走、させてしまう。
「いや、いや!」
必死にこらえても、私の身体は制御が利かなくて。あぁ、ギルバート様、ごめんなさい。心の中でそう謝って、意識を失ってしまいそうになった時だった。
「シェリル様っ!」
誰かが、私の名を呼んで私の身体を支えてくれた。その声は、確かに聞き覚えがある声で。――誰? 違う。この声の主を、私は知っている。
「……サイラス、さん?」
何故、ここにいるの? そう問いかけたくても、もう口からは言葉が出てこない。そして……。
「イライジャ・マッケラン。……シェリル嬢を傷つけるなんて、許せるわけないだろう」
イライジャ様の手首を、ギルバート様が掴んでいらっしゃった。……どうして、お二人ともここにいらっしゃるの? その疑問は、口から出ることはなかった。
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