第42話 嵐の訪れ

「シェリル様。こちらの肥料はどうされますか?」

「そうね。……それは今は使わないから、そこに置いて頂戴。また後でチェックするわね」

「かしこまりました」


 ギルバート様が領地の見回りに旅立たれた日。私はリスター家の庭の調整をしていた。私の魔力が土とリンクしているということやら、私が『豊穣の巫女』である可能性があるということから、ギルバート様は私が管理する庭の土地をつい先日増やしてくださった。だから、私は庭をきれいに保つことを楽しみながら学んでいる。庭師の人たちとも仲良くやれていると思うし、比較的平和に過ごせているのではないかな。


「シェリル様は。土に好かれておりますね。いや~、羨ましい限りですよ」

「……そう、かしら?」

「えぇ、まぁ魔力がリンクしているということは、それだけ大変なことも多いのでしょうが」


 年配の庭師がそう言いながら、私に新しい作業を教えてくれる。元々私はガーデニングぐらいしかしたことがない。それも、このリスター家にやってきてから始めた趣味。経験も知識も浅い。特に、庭の管理とガーデニングは全くの別物に近く、私は庭師の人たちに教えを乞うていた。そうすれば、彼らは喜んで私に知識を教えてくれる。……どうやら、娘のように思われているようだ。


「どうせですし、旦那様が帰っていらっしゃったら、驚くぐらい綺麗にしてやりましょうか」

「……そうね。賛成だわ」

「では、そうと決まったら道具をとってきますね」


 庭師が悪戯っ子のような笑みを浮かべてそういうので、私はそれに賛同した。ギルバート様を驚かせるぐらい、綺麗にするのは楽しそうだもの。


 それから、庭の管理にはさまざまな道具を使う。もちろん、枝切りばさみなど危険なものには触らせてもらえない。庭師たち曰く「旦那様に触らせないように指示を受けている」ということらしい。……ギルバート様も、結構過保護よね。


 庭師が道具を取りに倉庫に向かっている間、私は呆然と自分で育てているウィリスローズに視線を向けた。……ウィリスローズは、上手に育てることが出来ればかなりの額で売れたりする。そのため、一獲千金を狙って育てる人もいるらしい。まぁ、私はお金にならなくてもいいと思っているのだけれど。この庭を彩ってくれたら、それで十分。そのためには、綺麗に育て上げなくてはならないのだけれど。


「シェリル様。私は、少しシェリル様の洗濯物を片付けてきますね。クレアが残りますので、何かあれば遠慮なく申し上げてください」

「わかったわ。行ってらっしゃい、マリン」

「はい」


 ウィリスローズを見つめていれば、マリンが後ろからそう声をかけてくる。私の洗濯物全般……というか、衣装の管理はクレアとマリンの仕事。そのため、ほかの侍女は手を付けない。ほかの侍女に任せてもいいと思うのだけれど、二人はその仕事を譲ろうとはしないのだ。


 マリンがお部屋に戻ったのを確認して、私が少し視線を移せばそこではクレアが雑草を抜いてくれていた。ちなみに、今日は曇っているので日傘は差していない。本当は差した方がいいのだろうけれど、私が嫌がったので帽子をかぶるだけにとどめている。だって、日傘を差していると作業がしにくいもの。


「綺麗に、咲いてね」


 手でウィリスローズの花弁を軽くなでながら、私はそんなことをぼやく。つぼみの外側の色は赤紫。花弁の形は……今の段階だとよくわからないけれど、ハート型にも見える。……もしかして、私のギルバート様への想いがお花に伝わったのかな、なんて。


「あとで、肥料もあげなくちゃ。どういうものがぴったり――」

「――シェリル」

「っつ!」


 私が、ウィリスローズにどんな肥料をあげようか考えていた時だった。不意に、私の名が呼ばれた気がした。「シェリル」。そういう風に、私のことを呼び捨てにするのは……元両親と、イライジャ様ぐらい。それに、今の声は明らかに男性のものだった。だったら、イライジャ様……なの?


 しかし、あたりを見渡しても誰もいない。……い、今のは、幻聴か何か? そうよね。ここにイライジャ様がいらっしゃるわけがない。幻聴、もしくは耳鳴りよ。


「イライジャ様は、エリカに惚れこんでいるはずよ。今更私のことなんて……気にも留められないはず」


 ――本当に?


 そんなことを、私の脳が言う。再会した日。イライジャ様はエリカのことを愛おしいという態度ではなかった。私との婚約を破棄した日は、確かに「愛おしい」という態度だったのに。


「――シェリル様っ!」


 そんなことを私が考えて呆然としていると、クレアが突然私にタックルをしてくる。そして、私は後ろに倒れこんでしまった。い、痛い。そう思って私がクレアに文句を言おうとしたのだけれど……クレアは、目を瞑っていた。その背中には焦げたような跡があって、その部分だけ侍女服は焼けていた。


「く、クレア? ねぇ、ねぇ……!」


 ゆっくりとクレアの名前を呼ぶけれど、その目が開くことはない。意識を失っているだけならば、まだいい。だけど、もしもクレアが死んでしまったら……? そう思った瞬間、私の心臓が嫌な音を立て始めた。それだけじゃない。身体の中で何かがふつふつと湧き上がってくる。……嫌だ。嫌だ。


「ねぇ、ねぇ、クレア。目を覚ましてよ……!」


 身体中が、熱くなってくる。この感覚のことを、私は仄かに覚えていた。……魔力が暴走してしまう、前触れだった。だから、私は必死に心を落ち着けようとする。ダメよ。ここで暴走してしまったら……クレアを、傷つけてしまう。


「いったん、深呼吸をして落ち着きましょう。そうよ、大丈夫。クレアは、大丈夫――」

「――シェリル」


 そんな風に、私が心を落ち着けようとしたときだった。不意に私の手首が遠慮のない力で掴まれる。その強すぎる力に、私が顔をしかめれば「シェリル」ともう一度名前が呼ばれた。……嫌よ、嫌。この声は、会いたくない人の声だもの。


「シェリル。こっちを見ろ」


 さらには、追い打ちをかけるようにそう言われる。違う、違う。彼は、ここにいるわけがない。そう思い強情に下を向いていれば、頬を挟み込まれて無理やり上を向かされた。……本当に、どうしてここにいらっしゃるのよ……!


「――イライジャ、様」

「よかった。忘れられていなかったな」


 そこには、私の元婚約者で私を捨てたはずのイライジャ様が、不気味な笑みを浮かべて立っていらっしゃった。

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