閑話4 シェリル、泣く(ギルバート視点)

 ☆★☆


「シェリル嬢」


 帰りの馬車でゆっくりとシェリル嬢の名を呼べば、シェリル嬢の肩がびくりとはねた。……そこまで驚かなくても。そう思うが、それは口には出さない。シェリル嬢は、疲れている。元婚約者と自分を今まで虐げてきた義妹と再会してしまえば、誰だって心が疲れてしまうだろう。


(あとで、リオス伯爵にもくぎを刺しておかなくては)


 それから、リオス伯爵の方も困る。大方金でも積まれて、招待状をアシュフィールド侯爵家に売ってしまったのだろうが……いや、違うな。アシュフィールド侯爵家に積むような金はないはずだ。何か別のものを条件に出されたか。まぁ、それはこの際どっちでもいい。とにかく、シェリル嬢が傷つかないように手を回さなくては。


「……シェリル嬢、今日は疲れた、な」


 しかし、今はもう一つの問題がある。……いざ、こうやって二人きりになると本当に何を話していいかが、分からないのだ。普段はシェリル嬢の方が話題提供をしてくれることが多いが、今日はどこか疲れ切っているため、口を閉ざしたまま。……そんな風にシェリル嬢のありがたさを感じながら、俺は自分のコミュニケーション能力の低さに絶望していた。特に、女性が相手だとこうなってしまう。


「……シェリル嬢?」


 だが、何を言ってもシェリル嬢から返事がない。まさかと思い、俺が彼女の顔を覗き込めば……彼女は、微かに泣いていた。……正直に言えば、泣いた女性の扱い方などもっとわからない。サイラスがいれば、サイラスに教えを乞うこともできるが、今は二人きり。どうしろというのだ。シェリル嬢を、どうやって泣き止ませればいいのだ。


「しぇ、シェリル、嬢……」

「……ご、ごめんな、さい。その……ちょっと、混乱してしまったようで……」


 シェリル嬢は俺が戸惑っていることに気が付いたのか、涙を必死で手で拭い、俺に顔を見せてくれる。その目は無理に笑っているようであり、無理やり作った笑みだということは一目瞭然だった。……本当に、こういう時に気の利いた言葉の一つや二つ、言えたのならば。俺なりに必死に気の利いた言葉を探そうとはするが……無理だった。本当に、女性を今まで寄り付けなかった弊害だろうな。


「な、泣くほど、辛かったのか……?」


 そうだ。もしも、ここでシェリル嬢が辛いといったならば。……そして、義妹たちに報復がしたいといったならば。俺が行動できる理由になるじゃないか。そんなことを思い、俺はシェリル嬢にそう問いかけた。すると、意外にもシェリル嬢は首を横に振った。


「ち、違うのです……。なんというか、その、一安心してしまって……」

「一安心?」

「ギルバート様、私のために怒ってくださった。だから、安心できたみたいです。いわば、ほっとしたから零れた涙、ということだと思います」


 シェリル嬢は、今度は綺麗な笑みを浮かべながらそういった。……シェリル嬢は、義妹たちへの報復を望まないのか。そう問いかけたかったが、きっと彼女は「否」と答える。それは容易に想像がついた。ならば、俺が出来ることはやはりシェリル嬢を精いっぱい守ることだけ。……もしもまた、攻撃してくることがあれば、冷静でいられる自信はないのだが。


「……私、ギルバート様のことを好いております。なので……そうおっしゃってくださって、嬉しかった」


 ……うん? しかし今、幻聴が聞こえた気がする。……俺のことを好いているとか、そういう幻聴が。


「私、本当はギルバート様の妻になりたいのです。……けど、私じゃ無理で」


 ……やはり、都合のいい幻聴がする。そもそも、こんなにも綺麗な年下の子が俺の妻になりたいなど、言うわけがない。そうだ。これは夢か幻聴だ。


(確かに、俺はシェリル嬢にそばにいてほしいといった。……妻じゃなくても、いいからと)


 本当は、妻になってほしかった。だが、それは大それた望みであり、叶いもしないこと。そのため、俺はシェリル嬢に「妻じゃなくてもいい」といった。……今思えば、それは人にどう説明すればいいかがわからない関係になってしまうのだが。それに……その、シェリル嬢の新しい結婚相手探しは、完全にやめてしまったしな。


「わ、私……今日、嫉妬してくださったことが嬉しかった。エリカやイライジャ様に怒ってくださったことも、嬉しかった」

「……シェリル嬢」

「す、好き、なのです」


 その言葉を聞いて、俺は自らの頬をつねる。……どうやら、これは現実らしい。あぁ、夢じゃないのか。幻聴でもないのか。そう思ったら嬉しさよりもこみあげてきたのは……怒りだった。その怒りはもちろん、シェリル嬢に向けてのものではない。……エリカ嬢と、イライジャへのものだった。


「なぁ、シェリル嬢」


 そう言ってシェリル嬢の肩に軽く触れれば、シェリル嬢はこちらにまた顔を向けてくれる。だが、その目はどこか眠たそうで。……今は、俺が怒りを覚えたことを言う時ではないな。そう判断し、俺はシェリル嬢に「眠ってもいいぞ」とだけ声をかける。


「で、です、が……」

「眠いのだろう? 無理をすることはない。今日は疲れたよな。……ゆっくりと、寝ろ」


 俺にもたれかかるようにシェリル嬢に伝えれば、シェリル嬢は「……ありがとう、ございます」と言って俺にもたれかかってくれた。それからすぐに聞こえてくるのは、規則正しい寝息。……眠ったか。


「本当に……あいつらは厄介だな」


 エリカ嬢はシェリル嬢の不幸を願っている。ただ、イライジャの方は……エリカ嬢のことを好いているようには見えなかった。やはり、噂通り愛想を尽かしたのだろうな。


「仕方がない。……やるしか、ないだろう」


 馬車の窓から外を見つめながら、俺はそんなことをつぶやいていた。いろいろと考えることは……山積みだ。

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