第37話 ジェセニア・リオス伯爵令嬢

「シェリル嬢。その……あまり」

「どうかなさいました?」


 それからしばらく経った頃。不意にギルバート様は私に声をかけてこられた。先ほどまでは周囲のことを睨みつけるように見つめていらっしゃったギルバート様だけれど、今は何処か弱々しい。……何か、あったのだろうか?


「あまり……その」

「――義兄様あにさま!」

「うわっ!」


 ギルバート様が言葉の続きをおっしゃろうとした時だった。誰かが、ギルバート様に抱き着く……いや、タックルされてきた。その際にその誰かのドレスがひらりと揺れ、周囲の視線をくぎ付けにする。そして、何よりもその薄めの紫色の長髪はとても美しく、人目を惹いた。


「おい、ジェセニア。こんなところで飛びつくな」

「ごめんなさい、義兄様。ですが……久々に会えて、とても嬉しゅうございましたの」


 そんな言葉と同時に、その美しい髪の持ち主がお顔を上げる。……そのお顔は、まるで女神にも見間違えそうな程美しかった。さらりとした長い紫色の髪は、とても艶やか。おっとりとして見える濃い緑色の目は、宝石にも間違えられてしまいそう。ドレスは濃い紫色であり、全体的に紫で統一されたそのご令嬢は――ギルバート様に対して、それはそれは美しく微笑まれた。


「あら、そちらのお方は……?」


 それからしばらく、私がギルバート様とのそのご令嬢のやり取りを茫然と聞いていると、そのご令嬢は少し首をかしげながらそう問いかけてこられる。……なんと、答えればいいのだろうか。このご令嬢はギルバート様のことを「義兄様」と呼ばれていたこともあり、ギルバート様の妹分……みたいな存在なのだと思う。しかし、私が「婚約者です」と言っていいのかは、分からない。そもそも、私たちはまだ婚約者じゃないし……。


「彼女は俺の婚約者……候補、だ。シェリル嬢。彼女はジェセニア・リオス。俺のいとこで、このリオス伯爵家の娘だ」

「初めまして、シェリル様。ジェセニアですわ」


 ギルバート様のお言葉を引き継ぐように、そのご令嬢――ジェセニア様はそうおっしゃると、私ににこりと微笑みかけてくださった。その微笑みに見惚れながら、私はゆっくりと「シェリル・アシュフィールドです」と自己紹介をして軽く一礼をする。


「ねぇ、義兄様? 私、彼女と少しお話がしたいですわ。……義兄様は、お父様の元に行ったらいかが?」

「……おい、余計なことを話すつもりじゃないだろうな?」

「まさか。少しだけ、女同士でお話がしたいだけですわ。さぁ、シェリル様。行きましょう?」

「ちょ、ちょ――」


 ジェセニア様は、その可憐な見た目に似合わず押しがかなり強いお方のようで。私の腕を引くと、ギルバート様からどんどん離れて行ってしまう。……私、こんなところでギルバート様と引き離されたらちょっと……どころかかなり困る。それに、その、ジェセニア様のことが少し怖い……というか。


(エリカのような苛烈さは見えないわ。けど、何を考えていらっしゃるかが全く分からない……!)


 エリカはある意味とても分かりやすかった。喜怒哀楽をすぐに顔を出し、私のことを罵倒してくる。それは考えなしで浅はかとも受け取ることが出来る。しかし、一番厄介なのは……冷静に残酷に攻撃してくるお方だ。ジェセニア様は多分そう言うタイプ。


「さて、ここまで来れば義兄様には聞こえないわね。……ねぇ、シェリル様? 私、義兄様のことを尊敬しているわ。どれだけ冷酷と噂されても、決して人の良心を忘れない。どれだけ悪い噂を流されようとも、めげない。そんなところ、尊敬しているの」

「……はい」

「だから、是非とも義兄様を支えてあげて頂戴。私、貴女と義兄様のこと、応援するわ」

「……は、え?」


 でも、ジェセニア様のお言葉は意外過ぎるもので。彼女はただ「こんなこと、義兄様に聞かれたら怒られてしまうわ」と言いながら、恥ずかしそうに頬を掻いていらっしゃった。そのお姿は、何処かギルバート様に重なる。……いとこというのは、どうやら本当らしい。


「義兄様が、女性を婚約者とか候補とか呼ぶのは、一度目の婚約が破棄になって以来初めてなのよ。だから、義兄様は貴女のことが好きなのだと、すぐに分かったわ。……どうか、義兄様をよろしく」

「……は、ぃ」


 ゆっくりと頭を下げてそう言われて、私はどういう風に反応すればいいかが分からなかった。私は、人の悪に慣れている。いや、慣れすぎている。だから、何かがあれば攻撃されてしまうのだと身構えてしまう。それはきっと……私の、悪い癖。ジェセニア様のように、親切なお方もいるというのに。


「しかしまぁ、義兄様ももう三十三なのよね。貴女、おいくつ?」

「私は十八、です」

「あら、私と同じ年。十五も年の差があると、周囲はいろいろと面白おかしく噂をするでしょうね。けど、そんなのに負けてはダメよ。貴女は、私が認めた女性なのだから」


 ジェセニア様は私の両肩を掴まれて、そんなことをおっしゃる。……もしかして、ジェセニア様って結構お転婆なお方なのかしら? そう思いながら私が目を丸くしていれば、ジェセニア様は「辛いときは、義兄様に当たり散らせばいいのよ」なんてアドバイスにならないアドバイスを、くださった。……うん、本当にそれは参考になりそうにないわ。そう思いながら、私は苦笑を浮かべた。

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