第26話 少しだけ、近づきたい
「まぁ、とにかく。シェリル嬢は、ここで大人しくしていてくれ。俺は、仕事に戻る」
ギルバート様は微妙になった空気を払拭するように、慌てて立ち上がられるとそのまま踵を返されようとする。……何処か照れたようなギルバート様が、何処か可愛らしくて。私は、無意識のうちに「意地悪をしたい」と思ってしまって。十五も年上の男性に、意地悪なんて普通はしようとは思わない。もしかしたら、この時の私は冷静な判断が出来ていなかったのかもしれない。
「ギルバート様」
私は、辛うじて届いたギルバート様の服の裾をちょんと握ってみた。そうすれば、ギルバート様は驚いたように振り向かれる。その目は、思い切り見開かれており心底驚かれているのはすぐに分かった。
「……もう少し、お話がしたいですわ」
少し上目遣いになりながらそう言えば、ギルバート様はまた露骨に視線を逸らされてしまう。そして、それから数秒後「……クレアとマリンが、いるだろう」と絞り出すようなお声でおっしゃった。しかし、この態度は特別嫌がられているわけではなさそう。どちらかと言えば、照れているのでそれを隠したいという意味合いの方が強そうだ。
「いえ、他でもないギルバート様とお話がしたいのです。……少しでいいのです。五分、いえ、三分でも……」
身体の調子が悪いと、心まで弱ってしまう。そう言うこともあってか、私はいつもならば絶対に言えないようなおねだりを口にしていた。「少しで良い」。その気持ちが伝わったのか、ギルバート様は「本当に、少しだけだぞ」なんて優しいお声で、おっしゃる。その眼差しはとても慈愛に満ちていた。……なんだか、最近こういう表情をされることが増えたわよね。きっと、私のことを「妹」ぐらいには思ってくださっているのかもしれないわ。
「ギルバート様のことが、知りたいです」
私は毛布を少し整えながら、そう言う。ギルバート様のことを、私はあまり知らない。知っていることと言えば、過去に婚約者に捨てられたことがトラウマになっていることとか、大食いなこととか。あと、仕事熱心なところとか、不器用なこととか。そう言うことしか知らないので、もう少しだけでも踏み込んだことが知りたかった。
(あれ? でも、どうして私はこんなことを思っているのかしら……?)
いつもならば、絶対にそんなことを思わないのに。そう思って私が頭上にはてなマークを浮かべていると、ギルバート様は「……そんな話、聞いていて面白くないだろう」とぼやかれていた。
「いえ、私は……その、ギルバート様ご自身に興味がありまして……」
多分、この間一緒にお出掛けする約束をした日ぐらいから、少しずつだけれどギルバート様のことを知りたいと思っている……のだと思う。でも、それは決して口には出さなかった。今日口にしたのは、きっと身体が弱っていたからだろう。
「……そうか。まぁ、面白くないことでよければ、話そう」
「……よろしく、お願いいたします」
私は毛布をかぶり直して、そう返事をする。私の頬は、何処か赤く染まっていたと思う。それは、見る人が見れば好きな人を前にした女性のようだろう。……私、ギルバート様のことを恋愛対象として好きだとは思っていないはずのだけれど……。
(でも、素敵なお方なのよね)
年の差が気にならなくなるぐらい、ギルバート様は素敵なお方だ。だから、ここに来ることが出来て私は幸せ。いずれ、出て行かなくてはいけないとしても、今だけはこの幸せに浸っていたい。ずっと、ずっとそう思っている。
「シェリル嬢は、俺の何が知りたい?」
「そうですね。……好物とか、趣味とか、ですかね?」
「何故疑問形だ」
ギルバート様の問いかけに、私が疑問形で尋ね返せばギルバート様は少しだけ表情を崩されて笑われた。その笑みは、何処か無邪気にも見える。……このお方、こんな風に笑うことも出来たのね。そんな笑みを見ていると、柄にもなく心臓がドクンと音を立てる。……やっぱり、私このお方のことを意識している。そして、それを嫌というほど今日知ってしまった。
(ダメよ。この人には、私よりもずっと相応しい人がいるわ。……私なんて、容姿しか取り柄がないのだから)
そもそも、辺境伯爵家の当主妻なんて務まらない。令嬢らしい教養など身に付いていないし、社交界でのマナーも覚えている最中。……こんな私じゃ、ダメに決まっている。
(もっと、ギルバート様に似合うようになりたい……かも)
そんなことを考えていると、ふとそう思ってしまう。私は、ギルバート様に似合うような素敵な女性になりたい。こんなことを思っているのは、きっと弱っているから。弱っているから……人の温もりが恋しいのだ。そう、そうに決まっているわ。
「シェリル嬢?」
茫然としていた私のことを、ギルバート様が気にかけてくださった。しかも、私の顔を覗きこまれて。そのとても精悍な顔立ちが私の視界一杯に広がった瞬間……私は、やっぱり意識してしまった。
「い、いえ、何でもない、です……」
毛布で顔を覆いながらそう答える私は、傍から見れば「恋する乙女」に間違いない。……そんなはず、ないのに。
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