第13話 堅物執事と刺繍
「……雨だ」
ギルバート様にお花の苗を手配した日の夕方。ふと窓の外を見つめれば、外は土砂降りの雨だった。昼間、雲が増え始めたのは雨が降る予兆だったのか。そう思いながら、私は目の前の刺繍セットと格闘していた。無趣味無特技の私だけれど、せめて令嬢らしいことは覚えておいた方がいい。そう、サイラスさんに指示され、私は一時間ほど前から刺繍を頑張っている。でも、なかなかうまくいかない。
「はぁ、アシュフィールド侯爵家で、何を覚えていたのですか?」
サイラスさんは、私の刺繍の下手っぷりに呆れて、そんな言葉を零した。……アシュフィールド侯爵家でやっていたことと言えば、使用人に混じって家事雑用だろうか。令嬢らしい生活をさせてもらえなくて、私はずっと使用人と共に働いていた。元婚約者のイライジャ様との婚約が決まったのだって、父が勝手に決めたことなのだ。……私の意見なんて、一つも反映されていない。しかも、イライジャ様が好いていたのは私の「美しい容姿」だけだったらしく、このように飽きたからとポイっと捨てられてしまった。……いや、そもそもそれ以前の問題だったのだろうけれど。
「何かと言われれば……家事雑用、でしょうか?」
私はサイラスさんの問いかけにそう返して、刺繍の針を動かす。途中、まだ指を針で刺してしまい、こっそりとため息をついた。血はうっすらとにじんでいる程度であり、深くは刺していないようだ。
「……そんなことを言って、下手な行動をしても同情はしませんが、怪我はいけませんね」
血がにじんだ私の指を見て、「これぐらいならば、良くあることですね」というと、サイラスさんは近くにあったハンカチで私の血を拭きとる。その後「今度は、刺さないように」なんて言う。……私だって、好きで刺しているわけではないのだけれど。私は、そこまでして人の気を引きたいとは思わないし。
「……旦那様の元に図々しくもやってきて、刺繍の一つも満足にできないとは……」
そして、それから数十分後。私が刺し終えた刺繍を見て、サイラスさんはそう言ってため息を零した。確かに、私の刺した刺繍は不格好だ。簡単な図面にも関わらず、素人感が満載である。……いや、実際素人だけれど。
「これから、毎日刺繍のレッスンをしますからね。あと、ダンスレッスンに、マナーレッスン。他、諸々のレッスンを全て、受けていただきます」
「……はい」
ギルバート様の手前、下手な嫁を送り出したくないということなのだろう。そんなサイラスさんの気持ちは、よくわかる。だから、言っていることは間違っていない。
サイラスさんはその言葉だけを残して、客間を出て行った。……しかし、見れば見るほど不格好な刺繡だ。単色で子供でも出来そうな図面なのに、ここまで不格好にできるとはこれはある意味才能かもしれない。……なんと、悲しい才能だろうか。
「……もう少し」
私は、そんなことをぼやいて新しい布に手を伸ばす。図面は、先ほどと同じもの。色も、同じもの。そちらの方が、違いがよく分かるだろう。そう思って、私は針と布を持ち、また刺繍を刺し始めた。クレアとマリンが「一度休憩はどうですか?」と言ってくれるものの、それを断わって私は刺繍を刺し続ける。夕食の時間まで、まだもう少しある。その間に、少しでも、もう少しでもまともなものが刺せたら。その気持ち一つで、私は無我夢中で刺繍を刺し続けた。
(……いたっ!)
途中、何度も何度も指を刺し、手に貼る絆創膏が増えていく。夕食後も、必死に刺繍を刺した。クレアとマリンは、私が意地になっていると分かってくれたのか、放っておいてくれた。静かに「おやすみなさいませ」と言って、私が夜中まで刺繍を刺すのも止めなかった。……きっと、私が意地になると人の言うことを聞かない人間だと分かってくれているからだろう。二人は、本当に良く私のことを分かってくれている。
「……やった」
それから数時間後。朝日が昇り始めたころ、私はようやく満足のいく刺繍が刺せた。まだ少し不格好だけれど、初めに仕上げたものよりはずっとマシ。これを、サイラスさんに見せれば少しは見直してくれるかな……。そう、思った途端強い眠気が襲ってくる。……あ、眠い。
(……まだ、もう少し時間があるわね。……眠ろう)
時間は午前五時。一時間程度ならば、眠れる。そう思って、私は寝台に移動することもなくソファーに寝転がって、眠り始めた。眠気はどうやら限界を突破していたらしく、横になればすぐに眠ることが出来た。
「……シェリル様、お疲れ様です」
眠ってから少しした頃。どこからか男性の声が聞こえてくる。でも……その声は、ギルバート様のものではなくて。誰なのか確認したかったけれど、瞼が開かない。だから、私はその声を聴きながらまた眠りに落ちた。
「……努力家、ですね。……貴女は、どうやら違うようだ」
その日以来、何故か私へのサイラスさんのキツイ態度は緩和した。……理由は、よくわからなかったのだけれど、クレアとマリンに問いかければ「さぁ?」なんてにっこりと笑って言っていたので、きっと二人は理由を知っている。しかし、問い詰めるのも面倒だったので、私はそのままにしておいた。
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