第12話 優しい人

 私がリスター辺境伯爵家にやってきて、三日が経った。無趣味無特技の私を気遣い、クレアとマリンが用意してくれたガーデニングスペースには、この季節に咲くというお花を植えることになっている。そして今、この季節に咲くお花を図鑑で調べている最中だった。あとは、お花を見繕ってギルバート様に苗の手配をお願いする。その後、植える。


 図鑑の一ページをぺらりと捲り、私は唸る。私は、紫色が一番好きだ。そうなれば、自然と紫色のお花を植えたくなってしまう。だが、紫色のお花は比較的高価なものが多い。紫とは、尊い色だとされているから。……それに、素人が変に高価なお花に手を出さない方が良いに決まっている。失敗した時の損失を考えると。


「よし、これにしましょう」


 図鑑に付箋を貼り、私は図鑑を持ってゆっくりとギルバート様の元に向かうことにした。この時間、ギルバート様は休憩されていることが多い。休憩時間に私の顔を見るのは嫌かもしれないけれど、困ったことがあれば遠慮なく言ってほしいとおっしゃったのはあちらだ。欲しいものも、手配してくださるとおっしゃっていた。ならば、訪ねても問題ないだろう。


「クレア、マリン。私、ギルバート様の元に行ってみるわ」

「さようでございますか。では、私たちもお供させていただきます」

「はい」


 クレアとマリンに声をかければ、二人はそう言ってくれた。……ここ三日で、クレアとマリンとの距離はかなり縮まったと思う。……とはいっても、他の使用人の人たちとの仲は普通だし、サイラスさんとはあまりいい関係を築けていない。……サイラスさんとも、いずれは仲良くなれればいいのだけれど。だって、執事だし。


 そう考えながら、私はゆっくりと歩き一階にあるギルバート様の執務室に向かう。ギルバート様の執務室は、一階と二階にそれぞれ一つずつある。そして、誰かが滞在している間は主に一階の執務室を使われるそうだ。客人が、訪ねやすいようにということらしい。


 ギルバート様は、顔立ちは強面だし体格はがっしりとされている。でも、その気遣いはこまやかなものであり、使用人たちから慕われている。使用人たちは誰一人としてギルバート様のことを悪く言わない。むしろ、笑顔で「素敵な人だ」という。……私の実家とは、大違いだった。


「ギルバート様。少々、よろしいでしょうか?」


一階にあるギルバート様の執務室にたどり着き、その扉をノックすれば数秒後に中から「いいぞ」という声が返ってくる。そのため、私はゆっくりとドアノブに手をかけてそのままお部屋の扉を開けた。


「どうした、シェリル嬢。何かあったのか? それとも、何か欲しいものでもあったのか?」

「はい、クレアとマリンに勧められて、ガーデニングを始めようと思いまして……。そのために、お花の苗を手配していただきたく……」

「そうか。庭師には許可を取ったのか?」

「はい」


 クレアとマリンが、許可を取ってくれているはずだ。そう思って二人に視線を向ければ、二人は静かに頷いてくれた。その姿は、まさに「仕事のできる侍女」といった雰囲気。普段のフレンドリーな雰囲気は欠片も見えない。


「ならば、構わない。何を手配すればいい?」

「あっ、こちらに……」


 私がギルバート様に図鑑を手渡そうとすると、ふとギルバート様と私の指先が触れ合った。その瞬間、ギルバート様は慌てて手を引っ込めてしまわれる。それから「す、すまない……」とおっしゃって、今度は慎重に図鑑を受け取られた。……そんなにも、私に触れるのが嫌なのか。


(違うわね。ギルバート様は、女性全般に触れたくないのだわ。私だけじゃ、ない)


 図鑑を確認されるギルバート様を見つめながら、私は心の中でそんなことをぼやく。そうしてしばらく待っていると、ギルバート様が「分かった、手配しよう」とおっしゃってサイラスさんに説明を始める。サイラスさんは「……何も、そこまでしなくても」とボソッと呟かれている。大方、私がこのリスター辺境伯爵家にいるのも、気に食わないのだろう。それは、容易に想像がついた。


「サイラス。シェリル嬢は確かにアシュフィールド侯爵家の人間だが、彼女自身に罪はない。令嬢は、親の言いなりになるしかないんだ」

「……それは、理解しております」


 ギルバート様のお言葉を聞いて、サイラスさんは静かに執務室を出て行ってしまう。その後ろ姿を茫然と眺めていると、ギルバート様は「……要件がそれだけならば、俺は仕事に戻るが?」とおっしゃるので、私は執務室を出て行くことにした。元々ここに長居するつもりはないし、したところでメリットなどない。むしろ、デメリットの方が大きいはず。


「では、失礼いたします。お花の苗、ありがとうございます」

「……いや、少しでも気持ちよく過ごしてほしいから……な」


 私が出来る限りの笑みを浮かべてお礼を言えば、ギルバート様は露骨に視線を逸らされる。……やはり、私とは深く関わりたくない……のだろうな。まぁ、私も同じ気持ちなので抗議するつもりもないのだけれど。


「では、お花の苗を楽しみにしております」


 お部屋を出て行く途中、私は一度振り返り一礼をして、それだけを言った。ふと、窓の外を見つめれば少しだけ雲が増え始めていた。

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