想い手紙と心の票

アマヨニ

想い手紙と心の票

「―あなたの笑顔が好きです。付き合ってください―だぁ? 超ウケル!!」


 照陵中学校1年3組の教室で、クラスメイトである津野田洋一つのだよういちが、教室の後ろで腹を抱えて大声で笑う。


「なになに……―体育祭で一緒の役員をやった時の優しさが忘れられません。あれから、あなたに惹かれました―って、うわキモっ!」

「ぷっ……ウケル」


 津野田の背後から覗き込む高梨龍斗たかなしりゅうとが、腹を抱えて笑うと、津野田の隣の席から覗き込む松田明美まつだあけみも手を口元に当てて失笑する。


 教室の後ろの席で馬鹿笑いをする彼らに他の生徒が注視する。

 俺も意味不明な状況を確認するために後ろを向くが、あいつらが持っている紙を見て目が点になった。


 驚いた俺は、松田の後ろに座る葛那弘美くずなひろみを見るが、彼女は俺の視線に気がついてふいっと視線を逸らす。

 だが、俺の視線を感じてか、津野田、高梨、松田の3人がにやにやと笑みを浮かべて俺を見てくる。


「長瀬~、お前さぁ、こんなもの送って上手く行くと本気で思ったん? 気持ち悪ぃなぁ」

「ほんと。キモデブオタクのお前なんかと釣り合うはずねぇじゃん。それともお前、自分の格好を自覚してねぇんか?」


 津野田に続いて高梨が同調しながらニヤニヤする。


「ホント信じらんない。今どきラブレター? 重過ぎだって」


 そう言って松田は、生理的嫌悪感丸出しの表情をしながら俺に冷たい視線を向けてくる。

 だが、そんな事を言われてもなお、俺の目は津野田が手にしている便箋から目が離せなかった。


 なぜなら、その便箋は俺が葛那に宛てて書いた手紙そのものだったからだ。




◇◇◇◇


 葛那弘美はうちの学校で美人だと評判の女子。僅かに細められた目にショートヘアが似合う美少女。

 反面、俺―長瀬勝也ながせかつや―は顔がいいわけでもない、どちらかと言えば、ぽっちゃり体形のごくごく普通の男子生徒。

 そんな俺は、葛那と席が隣同士になった。


 6月に入り、俺と葛那は体育祭の係員に任命された。

 体育祭が行われるまでの間、担任から頼まれた仕事をお互いにフォローしながらこなし、備品の用意も事前準備も全て無事に終えた。

 そんな矢先、体育祭が終わって次の日、最後の作業を終えた後で葛那からこんなことを言われた。


「長瀬君って頼りになるね。付き合うようになったら幸せかも」


 この言葉を聞いて、俺は有頂天になった。


 それからというもの、気が付けばいつも葛那の事を考えていた。

 授業中も、休み時間も、いつの間にか葛那の事を考え、葛那の姿を見つけると知らず知らずのうちに彼女を目で追ってしまっていた。

 今にして思えば、相当気持ち悪いことだと思う。


 2学期になって席替えが行われ、結果として俺は葛那と離れ離れになった。

 席が離れると話せない寂しさが募り、俺は気持ちが抑えられなくなっていく。


 この気持ちが何なのか、自分でも良く分かっていた。

 葛那の事が好きになったのだ。

 あれから、俺はどうやって葛那にこの想いを伝えようかという事に注力した。

 SNSやメールなんかでは俺の想いは伝わらないだろうと思い、ならば直筆で伝えたらどうだろうか。そんな事を考えた。

 ここでほんの少しでも「もしもダメだったら」と考えることが出来れば、きっと未来は変わっていただろう。だが、恋は盲目という言葉通り、あの時の俺がそんな感情を持つことなどなかった。ただ想いを伝えたいという、自分の身勝手な感情を優先させたのだ。


 その結果が『ラブレター』だった。


 そしてその手紙が、結果として俺自身を苦しめる。




◇◇◇◇


「なあ長瀬。これ、お前が書いたんだろ?」

「……知るか」


 津野田が手にした便箋をひらひらと揺らして尋ねてくるが、俺は何食わぬ顔して黒板へと視線を向ける。


 とはいえ、正直に言えば心中穏やかではない。


 俺が葛那に宛てて書いたた手紙を、何故津野田が持っているんだ?

 全く関係のない津野田達に対して読ませたという事か?

 そもそもその状況自体がとても信じられるものではなかった。


「今時ラブレターなんか送る奴なんかいねぇよ。おやじかっ!」


 高梨が吐き捨てるようにそう言うと、津野田は便箋を折り、紙飛行機にしてゴミ箱目掛けて投げ飛ばす。


 恋文の紙飛行機は少し滑空し、そのままなんの抵抗もなくゴミ箱へ吸い込まれる。

 

 瞬間的な静寂が訪れるが、見事ゴミ箱へと入った紙飛行機を目にしたクラスメイト達が一斉に笑いはじめる。


 俺は、もう笑い声など耳に入らなかった。


 葛那に対する怒り。


 津野田達に対する憎悪。


 そして、人の気持ちを踏みにじった津野田達を避難せず、むしろ俺を笑うネタにしたクラスメイト達に対する絶望。


 それらの感情が織り交ざり、壊れそうになる心を何とか押し殺し、俺は自分の机に目を落とし、ただただ羞恥の嵐が過ぎるのを耐えた。


 だから、皆から何を言われたのか記憶がない。


 そしてこの件がきっかけとなり、俺はいじめられるようになった。


 無視、無言、仲間外れはもちろんのこと、毎日のように上履きが隠され、掃除用バケツに入った汚い水をぶっかけられ、机に卑猥な落書きが書かれ、給食の配膳トレイの一つの窪みにすべての料理が盛られる。

 こんな事を毎日されて、俺は次第に人を信じることが出来なくなりつつあった。


 そして文化祭での出来事が、更に俺を追い詰めた。


 葛那弘美へ送ったラブレターがクラスに暴露された翌月、文化祭のイベントとして生徒会主催の『学年別男女人気投票』という企画があった。

 各学年で一番好きな人に投票するという娯楽企画だ。


 文化祭最終日。生徒会が集計した結果が昇降口に掲示され、生徒たちは皆その結果を気にして掲示板の前に人だかりが出来る。

 そんな時、津野田と高梨が掲示板を指さしながら、視線を昇降口にいた俺に向けて言い放つ。


「長瀬~。お前、自分自身に1票入れてんじゃねぇよ。キモチワルイ奴だなっ!」


 俺はその言葉に目が点になる。

 他の生徒に背中を小突かれながら掲示板の前に立つと、掲示された結果表の一番隅に、確かに俺の名前と『1票』と書かれていた。


 俺は白紙で提出した。にもかかわらず、1票入っていた。

 呆然と見つめる俺を指さし、津野田と高梨は腹を抱えて笑い転げる。

 そしてクラスの奴らは、それ以降、津野田達に同調するように俺をいじめはじめた。


 あの文化祭以降、俺に対するいじめの内容は更に酷く陰湿なものへと変わった。


 学校そのものを休めばいいと思う時もあった。


 だが、ここで休めばあいつらの思う壺になる気がして、それだけは絶対に嫌だった。だから、俺は意地でも休みたくなかった。


 学校なんか無くなればいいと思った。


 だからといって誰に相談する事もしない。変なプライドが邪魔をして、両親に相談することもしなかった。それは、親に迷惑を掛けたくないという思いが強かったから。


 心が壊れそうな日々を送る中、いつしかカレンダーに学校に通い終えた日付にバツ印を付けるようになった。それは、何日耐えれば卒業を迎えられるか。そうやって自分自身を奮い立たせる事が、あの時の俺にできた精いっぱいの行動だった。





 2年に上がり、あいつらとクラス替えで離れ離れになることを期待していた俺だったが、クラス編成表を見た瞬間、その期待は儚く消え去る。


 だが、それ以上に悪意が増えた。


 うちの中学で有名な不良3人組が一緒のクラスになったのだ。

 3人組が1年の時に散々弄られていた俺のことを目に付けるまで、そう長い時間はかからなかった。


 それからは、陰湿ないじめとは別に、ほぼ毎日不良3人組から暴行を受ける、まさにサンドバックの日々を送る事になった。


 青痣がない日はない。

 唇を切り、血がワイシャツに着いたこともある。

 学ランに血が付き、保健室に篭って洗い流したこともある。

 帰り道で静かに帰れたことも無い。

 それでも、親には心配をさせまいと家ではカラ元気で過ごす。

 痣があることを隠し、怪我した場所も隠し、血が付いて着いた時には全て洗い流し、それでも落ちないときは赤絵具で上書きしたりもした。





 そして、気がつけば3年になっていた。

 

 もうクラス替えは無い。だから、何かが変わることもない。3年目の地獄が変わらず続く事実を前に、俺は生きているのが次第に辛くなる。


 更に不愉快な事に、不良3人組はいつの間にか津野田、高梨、松田、葛那の4人と仲良くなり、クラスの奴らと結託するようになった。

 奴らは担任の目をうまく欺き、俺がいじめを受けている様に見せない。こうして、俺は3年生も救われることが無いと悟った。





 2学期も終わり、席替えをし終えて新学期を迎えたが、俺の生活は到底平穏とは無縁だった。

 9月に行われる修学旅行の班決めもいつの間にか決まり、気付けば俺はクラスの奴らの誘導によって津野田、高梨、松田、葛那の4人と一緒の班にされられていた。

 まあ、不良3人組と一緒の班にならなかっただけましだと思う様にした。


 そして迎えた修学旅行当日。

 行先は京都と奈良。3泊4日の旅。

 初日は京都駅からすぐさまクラス別行動。バスに乗ってはいろいろな寺社仏閣を廻る。だが、いまいち記憶にない。

 観光地に降ろされてはクラスの中ほどを歩き、不良3人組やクラスの奴らから尻を蹴られながら進む。

 宿泊先に到着し、大部屋が宛がわれていたが、就寝時間を超えて担任が来ないことを確認した直後、隣の部屋の奴らも合流して枕投げが始まる。

 もちろん、標的は俺だ。

 もはや枕投げなんかじゃない。枕当てだ。

 今にして思えば、俺は少し壊れていたと思う。

 ぼんやりとした記憶しかないが、へらへら笑いながら枕を受け続け事だけは今でも覚えている。


 2日目朝。

 この日は班別自由行動だ。

 5人一組の班が、各々事前学習で計画した場所に自ら向かうという企画だ。

 俺は津野田、高梨、松田、葛那たちと一緒に京都駅に向かい、トイレ休憩を挟む。今日は奈良に行くから奈良線のホームで待つよう言われた。


 京都駅でトイレを済ませ、指定されたホームに戻ると、そこ居るはずの他の4人の姿が無かった。


 俺は慌てて連絡する。

 4人全員にSNSでメッセージを送り、電話も掛ける。

 だが、誰一人としてメッセージが返ってこない。


 俺は茫然としながらもその場に立ち尽くし、唐突に自分の置かれた立場を理解した。


 ただ一人、京都駅に取り残されたのだ。


 奈良に行くと言っていたのに、そこに居ない。


 そして俺は、生まれて初めて泣いた。


 見知らぬ乗客が俺を一瞥して通り過ぎる。その怪訝な表情は、一体何があったのかと尋ねている様だ。

 だがもはや、誰に見られようと、何を思われようと、そんな事はどうでもよかった。


 今まで泣いた事なんかない。

 例えどんなに陰湿ないじめを受けようとも、どんなに殴られようとも、今まで泣いた事だけは決してなかった。


 なのに、周りを見渡し、全く見知らぬ土地に独りぼっちだと理解した瞬間、俺は、誰にも必要とされていないと言われた気がして、声を上げず、ただただ立ち尽くし、そのまま訳も分からず涙が流れ出た。





「……長瀬……クン?」


 急に背後から声をかけられ、思わずビクリと肩を震わせる。

 恐る恐る振り向くと、そこには不思議そうな表情を浮かべて俺を見る、隣のクラスの蒔田遥香まきたはるかがいた。


 小学5年の時に俺は引っ越して今の家に住んでいるが、彼女はまさに隣の家に住んでいた。

 とはいっても一緒のクラスになったことはなく、中学に進学してもさほど接点もないためあまり話す事はなかった。


「……え?」

「やっぱり長瀬クンだ。こんなところでどうし……あれ? 泣いてる?」


 学校でも類を見ないほど可愛いと評判の彼女は、肩にかかるくらいの黒髪をサラサラとなびかせ、赤いスカーフを胸元に下ろしたセーラー服姿がキラキラと輝くように見えた。

 そんな彼女の唇が若干きゅっと引き締まり、口元のホクロが緩めた表情に合わせて僅かに下げながら少しばかり怪訝な表情を浮かべて質問してきた。

 俺は頬を伝っていた涙を腕でぐいと拭い去り、努めて冷静に彼女を見た。


「い、いや、仲間とはぐれて……」

「え? それ、本当?」

「え? うん。気がついたらいなくなってたから……」

「いなくなった? ふーん……そっか」


 少し考える素振りをしながら、遥香は俺を見つめてくる。


「……ねえ、本当にはぐれたの?」

「え? そう、だと思うけど」

「置いていかれたのではなくて?」

「……たぶん」

「正直に言いなよ。置いて行かれたんでしょ?」


 腰に手を当て、なぜか詰め寄ってきた遥香に、俺は少し焦りながら小さく頷いた。


「う……うん。置いて行かれた……んだと思う」

「そっか。じゃあ、私と一緒に行こ?」

「え? 行くって、何処に?」


 そう言われて、俺は目が点になる。

 とはいえ、彼女も班別自由行動中のはずで、同じクラスの班の仲間がいるはずだ。


「あ、あのさ、他の班の子たちがいるんじゃないの?」

「ああ……それなんだけど、今日は体調が悪かったから、先に宿に戻ろうと思っていたのよね」

「え? じゃあ、タクシー使って戻りなよ」

「いいのいいの。それよりも、長瀬クンを一人にする方が心配かな」


 そう言いながら、遥香は目を細めてくすっと笑った。


「そ、そんなに心配しなくても……」

「ふふっ。いいじゃない、ご近所さん同士なんだから」

「でも体調が……」

「気にしない気にしない。ささ、早く行こうっ」


 そう言って、遥香は俺の手を取る。


「……え?」


 急に握られた手の感触に、俺はビクリと肩を震わせる。

 中学に入ってからは、母親以外の異性に手を握られたのは初めてだった。


「折角だから歩いて行きたいの」

「え? でも、先生に言っていかないと……」

「長瀬クン」


 急に俺に詰め寄ってくる遥香。

 その瞳は、若干真剣に何かを語ろうとしていた。


「は、はい?」

「単に宿に行くだけし、日中だから変な場所には行かないよ? それとも、長瀬クンは私に何かするつもりなの?」


 唖然としながらも小さく首を何度も振る俺を見つめて、彼女はふっと笑みを浮かべた。


「だよね。じゃあ、行こー!」


 そう言って、彼女は俺に可愛らしい笑顔を見せた。

 俺は呆然としながらも、ただただ頷くしかなかった。





 京都駅を出て北に向かい、京都タワーが見える交差点を東に向かって歩くこと数分。俺たちは大きな川の所にたどり着く。


「長瀬クン。ここ、鴨川だってー」


 間延びした話し方でニコニコしながら俺の隣を歩く遥香は、川を見ながら指さした。


「ほら、あそこ。反対側に遊歩道があるみたい。折角だから川沿いを歩こ?」

「う、うん」


 言われるままに、先を進む遥香の後を追う。


 遊歩道へと降りると、俺たちは再び隣同士になって歩く。


 班別自由行動で、事前に行く場所を決めていた生徒たちは、大半が有名な寺社仏閣を巡るルートを選んでいるようだ。そのため、鴨川の遊歩道を歩いているうちの学校の生徒の姿はなく、制服姿の中学生自体が俺たち以外見受けられない。

 先生たちも鴨川に待機している様子はなく、ひとまずホッとして胸をなでおろす。


「心配?」

「え?」


 遥香がちらとこちらに視線を送り、若干声を落として尋ねてきた。

 正直、先生やうちの生徒がいるかもしれないとビクビクしていた俺は素直に頷く。


「うん」

「大丈夫だよ。うちの学校の生徒も先生も、主要な場所にしか行かないみたいだから。この辺りなら安心していいと思うよ?」


 そう言い、遥香はにこっと可愛らしい笑顔を見せた。


「ねねね。ところでさ、鴨川って、カップルが良く来るスポットなんだって! 知ってた?」

「え? カ、カップル?」

「そそ。私たち、カップルに見えるかも?」

「ええっ! い、いやいやいや、そんな、俺なんか……」


 驚きながら首を振る俺に「ふふっ」と軽く笑いを零し、笑顔のまま後ろ手を組み先に進み始める。

 それを見て俺は慌てて後ろを追いかけ、隣にならずにすぐ斜め後ろになるように歩く速度を合わせた。


「ふふっ。恥ずかしがっちゃって」

「いやそれは、ねえ……」


 少し俯いた俺に気がついたのか、遥香が俺の隣に来ると唐突に手を握ってきた。


「え?」

「ふふっ。さ、行こー」


 振りほどくこともせず、ただ成すがままに任せた。

 ここまで持ち上げてどうせ落とすつもりでいるのだろうと変に勘ぐっていたが、それ以上に手に伝わる柔らかい彼女の手の感触に、俺はもはや思考を放棄した。


 遊歩道を歩いていくと、すれ違うカップルから微笑みを向けられる。そんな様子に恥ずかしさが胸を焦がしていくが、当の遥香はそんな事などお構いなしに、時折鼻歌交じりに手を繋ぎながら歩いていく。


 しばらく歩いていると、目の前から何か白いお菓子を食べながら降りて来るカップルの姿を見つけ、遥香が目を輝かせた。


「ねね。近くに和菓子屋さんがあるのかな?」

「え? どうだろう……」

「ちょっと登ってみようよ」

「え!?」


 手を引かれ、目の前に見える階段を上る遥香に焦りながらもついて行く。

 階段を登り切って左右を見渡すと、交差点の近くに古風な建物が見え、そこから数名のお客と思える人が出ていく姿が見えた。


「あそこかな? よし、行こうー!」


 遥香はニコニコしながらそう言って早歩きで歩き始めると、手を繋がれたままの俺は少し大きな通りに出たことで少し緊張してしまうが、それでも引っ張られる力に負けて後を追った。


 店に入り、先程のカップルが食べていたであろう白いお菓子を探し当てる。

 並べられた和菓子を見ていたら、きっとあれは大福だったのだろうと思う。

 それを感じてか、彼女は即座に「これください」といい、袋に入った5つ入りの大福を購入していた。


「ふふっ。これで甘いものはオッケーね」

「……うん」

「ん? 心配しないで? ちゃんと長瀬クンの分もあるし」

「え? い、いや、俺はいいよ……」

「ダーメ。さ、行こ―!」


 店員さんにお辞儀して、俺たちは店を出た。


 来た道を戻って再び鴨川の遊歩道に降り立つと、手にした袋を見つめてニコニコする遥香に、俺は思わず「持ってあげるよ」と告げる。


「え? いいの?」

「うん。持つくらいなら、何てことないよ」


 すると彼女は、少しはにかみながら袋を差し出した。


「じゃあ、はい。よろしくね」

「うん」


 にこりと笑う遥香を見て、俺は頬が赤くなるのを感じ、思わず俯いた。


「もー。誰も来ないから平気だってば。じゃあ大福も持ってもらったし、折角だから……」


 そう言って再び手を繋いでくる遥香。

 この時は既に、もうこれが当たり前であるかのように受け止めていた。





 あれから結構歩いたと思う。

 その間、遥香はずっと俺に話しかけてきた。

 担任の変な癖。クラスメイトの恋話。所属するテニス部の話。テストの結果。とにかくいろいろ話してきた。

 そんな話を聞いて、俺はただ小さく相槌を打っていた。


 やがて目の前に人通りの激しい大通りの橋が見える。よく見れば、そのすぐ傍に上に登る階段も設置されている。


「長瀬クン。あの橋で反対側に行くよー」

「え?」

「宿泊先って、反対側なのよ」

「そうなんだ……」


 俺が呆然としながら返答する様子を見て、遥香はころころ笑う。


「呆れた……。って、もーっ! 京都で一人置き去りにされて、どうやって宿まで戻るつもりだったの?」


 それもそうだと、思わず苦笑いを浮かべる。


「そうだね」

「くすっ」


 急に俺を見ながら小さく笑う蒔田に、思わず怪訝な表情をしてしまう。


「な、何?」

「やっと笑ったね」

「え?」

「長瀬クンが、やっと笑ったって言ったの」


 そう言いながら微笑む遥香を直視出来ず、俺は思わず俯いた。


「ふふっ。いいのいいの。中学時代最後の修学旅行くらい、楽しい思い出がないと嫌だよね?」


 微笑みを浮かべながらそう言う遥香に、俺は思わず見とれてしまう。


「ささ、行こー」


 にこにこしながら、彼女は再び俺の手を取って先を進む。


 大通りの看板を見ると『五条通り』と書いてあった。

 横断歩道を遥香に引っ張られる形で進み、歩道を通って反対側へと向かう。

 鴨川沿いに曲がる道へと入ると、曲がってすぐの所に下へと向かう小さな階段を見つける。


「あ、ここから川に降りれるみたい。遊歩道に出るのかな? 行ってみよ?」


 有無も言わずに俺の手を引く遥香。

 俺は苦笑いを浮かべて成すがままに階段を下りる。


 綺麗に整備された通路は、先程の遊歩道とは違ってとても綺麗に整備されており、緩やかな曲線を描きながら川沿いに伸びている。


 少し北上すると、右に鴨川が流れ、造成された遊歩道の左に用水路のような川が流れている。

 両側を川に挟まれている為か、時折吹き抜ける川風が、残暑残る肌に感じる暑さを幾分と和らげ、とても心地よく感じた。


「気持ちいいねー」


 思い切り胸をはって息を吸い込み、笑顔になる彼女を見て、中学生のわりに胸が大きいなぁと、俺は思春期真っただ中の男子特有の感想を持ってしまうがすぐさま胸にしまい込み、少し頬が熱くなるのを感じながら小さく頷いた。


「そうだね」

「うん!」


 可愛らしい笑顔を浮かべ、再び鼻歌交じりに歩き始める。


 橋の下を潜り抜けてしばらく歩いていくと、カップルたちが川辺に設けられた石に座っている光景が見えた。


「ねね、少し休も? 目的地までもう少しだけど、さっきのお饅頭食べたいし」


 そう提案されると、拒否する気がない俺は素直に頷いた。


 3組のカップルが座る中、俺たちは一番端の石に川を背にして腰を掛ける。

 すると手を差し出され、俺は「ああ」と言って、大福の入った袋を彼女に渡した。


「おやつの時間だね」


 そう言って袋から大福を取り出すと、俺に一個差し出してくる。


「はい、長瀬クンの分」

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 微笑みながら答える遥香に、俺は少し恥ずかしい思いを胸に押し込めて小さく頷く。


「いただきます」


 笑顔で大福にぱくつく。


「あ、これおいしー!」


 満面な笑みを浮かべて咀嚼するその姿を横目で見ていた俺も、釣られるようにして一口食べる。

 柔らかいもちの感触と後から来る甘い味わいに、俺も思わず少しにやける。


「ヤバっ。お茶、欲しくなるね」

「……そうだね。買って来るよ」

「え? あ、いいよいいよ。この辺、自販機ないだろうし」


 そう言いながら、彼女はにっこり微笑んだ。


 大福を食べ、その甘さから来る少しばかりの幸せを感じながら、俺は川の方へと視線を向けた。

 すると、隣に座って大福を食べ終えた遥香が俺に視線を投げかけてくる。


「……? どうしたの?」

「長瀬クン。京都駅で私と会えてよかった?」


 唐突な質問に、俺は少したじろぎながらも小さく頷く。


「う、うん。

「助かったの?」


 一人では宿泊先にも戻れなかったのは事実だ。

 なにせ、俺はこの班別自由行動の行程をよく知らなかったから。

 だから俺は素直に助かったと伝えた。


「うん。一人じゃ宿泊先にも帰れなかっただろうし……」

「そっか……」


 少し寂しそうにそう言うと、彼女はおもむろに立ち上がる。


「ねね。この先の細い通りを通っていくと宿泊先に着くの。タクシーを使ってもいいと思うけど、もう少しだけ歩いてもいい?」


 体調が悪いから先に宿泊先に戻ると言っていたのに、大丈夫なのか? と俺は思った。


「構わないけど……体調は平気なの?」


 すると、彼女はにこりと微笑んだ。


「うん、平気。一緒に付き添ってくれる人もいるから、大丈夫よ?」


 平然とそう言いのける彼女を見て少しばかり嬉しくなるが、もう間もなく宿泊先に着くことを思うと胸が痛くなり、彼女を巻き込みたくないという思いと、これ以上自分自身が傷つきたくないという思いが複雑に入り乱れ、何も言えずに思わず俯いてしまう。


「……蒔田さん……俺と一緒に行動しているのがバレたら、きっと他の子たちから仲間外れにされる。ここからは別行動にした方が……」

「やめて」

「え?」


 俺を見る目が急に鋭くなる。

 だが、恐ろしいとか冷たいとか、そういう目ではない。

 どちらかと言えば……寂しげだった。


「そんな事言わないで。お願い……」

「で、でも……」


 俺が言いかけた言葉を言わせまいとするかのように、遥香は手を差し出してきた。


「さ、行こう。もうすぐだから」


 差し出された手をじっと見つめる俺に、遥香は小さく呟く。


「もう少しだけだよ、ね?」


 そんな事を言う彼女の手を、俺は恥ずかしさを押し殺しながら、勇気を振り絞って手を握った。


「ふふっ……ありがとう」


 そう言いながら、少しばかり頬を染める遥香。

 川から流れてくる風が、彼女の髪をふわりとなびかせる。

 お礼を言いたいのは俺の方だったのに、その姿を見た瞬間言葉を失い、代わりに心の底からなんて綺麗なんだと、そう思っていた。





 席を立ち、正面に見える細い道を進み、すぐに北へと曲がって再び細い道へと入る。そのまま古風な家並み横目にしながら道なりに西へと向い、突き当りを左に曲がると、見慣れない色合いのコンビニを見つけた。

 大福を食べて少し喉が渇いていた俺は思わず声を掛ける。


「喉渇いてない? お茶、買ってくるけど」

「あ、うん。じゃあ、私も」

「ああいいよ。さっきの大福、奢ってもらったみたいだし」

「大した額じゃないから気にしなくていいんだけど……。うーん、じゃあ、お願いするね!」

「うん。待ってて」


 コンビニでペットボトルのお茶を購入し、一本を彼女に渡す。

 その場で少しだけ水分補給をすると、「せっかく京都に来たんだから、本場の抹茶、飲みたいねー」などと言ってきたので頷き返す。


 一息ついたところで「こっち」と手を引かれると、急に遥香が「あっ」と小さく声を上げた。


「ど、どうしたの?」

「こんなところにお寺があるね」


 蒔田の視線を追うと、確かに通りの左手に小さなお寺があった。


「ん? 『そらなりでら』???」

「『くうやじ』かも?」


 俺が疑問符交じりで読みあげると、遥香が首を傾げながらそう言ってくる。


「班別自由行動でお寺とか回っていないから丁度いいかも。お参りしていこ?」

「え? いいのかな」

「門だって開いてるし、中に入ってお参りするだけだからいいんじゃない?」

「う、うん」


 蒔田に連れられ、俺は中へと入る。


 誰もいない境内は綺麗に掃除されており、ゴミ1つ落ちていない。ふと左手に視線を向けると、そこには不思議な石造りの像とお地蔵様が並んで立っていた。


「ふふっ。なんだか可愛いね」


 そう言われると、俺まで無機質な彫像が可愛いく思えてくるから不思議だ。


 今までいじめられ、仲間外れにされ、独りぼっちになったと思って急に寂しい気持ちで一杯になっていたのに、このお寺に入った瞬間、全てがなんだかちっぽけな物のように思えてきたから全く不思議だ。


 不意に遥香が隣から離れていくので様子を見ていると、小さなお堂の前の階段をゆっくり登るのを見て、俺も彼女を追って隣に並び立つ。


「お参りしよう」

「お賽銭箱……ないね」

「じゃあ、お祈りだけでも」

「うん。そうだね」


 俺たちは手を合わせる。


 顔を上げ、少しだけ気持ちが落ち着いたように思える。本当に不思議だ。


 遥香がお堂にお辞儀して降りていくので、俺も習ってお辞儀して降りる。

 この綺麗なお寺にお別れの挨拶としてお地蔵様にお辞儀をし、そのまま門を抜けて通りに出ようとしたとき、不意に遥香は足を止め、その場に佇んだ。


「長瀬クン」


 遥香から声がかかり、振り向いて首をかしげる。


「ん? どうしたの?」


 すると、遥香は突然俺に向かって頭を下げた。


「ごめんなさい! 長瀬クン!」

「……え?」


 意味が分からず、呆然とその様子を見つめる俺。

 彼女は頭を上げると、その瞳は僅かに潤んでいた。


「わ、私ね……謝らなければならない事があるの」

「え? 何? どういう事?」


 俯きながら、何も言わずに彼女は正面に立つ。


「……1年生の文化祭の時、生徒会で企画した学年別男女の人気投票、覚えてる?」

「……うん」


 その内容を聞き、あまり思い出したくない記憶が蘇る。

 1年生の文化祭は、俺にとって転換点ともいえる出来事だ。あの時を唐突に思い出し、少しばかり胸が詰まるくらい気分が悪くなる。

 そんな様子を見て察したのか、遥香は両手を腹部の前辺りできゅっと握りしめ、俯きながら静かに続けた。


「……あの時、長瀬クンに票を入れたの……私なの」

「え?」


 遥香の一言に、俺は言葉を失った。

 いろいろな感情が心を埋め尽くしていく。

 嬉しいという感情は全くない。それは黒く、非常にどす黒い感情だった。

 あの1票で、俺は……。


 そんな俺の負の感情を飲み込んでなのか、彼女は微かに震える手を握りしめる。


「あなたにも味方がいるって……みんなに知って欲しかったから。でも、私のそんな思いに反して、あなたはもっと酷い……いじめを……っ」


 急に嗚咽しながら手で口を抑え、必死に泣くのを堪える。


「うっ……ごめんなさい。こんなはずじゃ……なかったの……に……本当にごめん。ごめんね……」


 俺の肩に手を当て、もう一方の手は口を押えて泣きわめくのを必死に堪えているのか肩を震わせる。

 涙が次々と溢れ出し、乳白色の頬を幾筋も伝わせると、遂に地面に膝を突いて両手で顔を覆いながら泣き出した。


「ごめんなさい…………ごめんなさい!」


 その光景を呆けて見守っていた俺は、いつしか溢れかけていた黒い感情が薄れていくのに気が付いた。

 それよりもむしろ、なぜ俺に票を投じたのか、その理由を知りたくなった。


「……あのさ蒔田さん。なんで俺に票を入れたの? 俺を、嵌めるため?」


 俺の言葉を聞いて、遥香は急に顔を上げて顔を勢いよく横に振った。


「そ、そんなはずない! そんな風に考えた事ない!! だ、だって……だって、長瀬クンは、私を救ってくれた恩人なんだから……」

「え?」


 身に覚えのない恩を告白され、俺は頭が真っ白になる。


「ど、どういうこと?」


 俺は膝を突き、彼女と同じ目線になって尋ねると、見つめていた目を伏せ、静かに話し出す。





 遥香の家は俺の家の隣だ。だから、彼女の家でよく夫婦喧嘩があったのは知っている。

 時折物が壊れる音が聞こえ、大声で怒鳴り合う声が近所中に響くこともあった。

 そんな時、遥香は外に出て、家の傍の壁に耳をふさいで座り込んでいた。


 雪が降るんじゃないかと思うくらい寒かった冬のある日の夜、いつものように隣から大声で怒鳴り合う声が聞こえてきた。俺は2階の自分の部屋からその声を聞いていたのだが、その日は窓ガラスが割れるような音が聞こえてきた。驚いてベランダに出ると、俺の家の塀によりかかるようにして、裸足のまま座り込む彼女の姿を見つけた。家の傍だったとはいえこんな寒い日に裸足で居るのは辛いだろうと思い、母親に事情を説明し、母と一緒に彼女を家に招き入れ、極力気を紛らわせようと夕飯を食べたり、一緒にテーブルゲームなんかをして遊んだりした。

 何度か同じような事があったけど、それも中学に入ってからは無くなった。


 遥香の両親は、一度喧嘩を始めるとかなりヒートアップしてしまうという。

 毎日起こる事ではなかったが、それでも聞いていて気持ちのいいものではない。

 遥香の姉が大学に進学してからは、彼女が両親の仲裁をしていたのだろうが、それでも一筋縄ではいかなかったそうだ。


 そして中学2年の冬のある日、彼女の両親は離婚した。


 遥香の話を聞いて初めて知ったが、母親から父親に対する暴力が酷かったようで、父親はいつも切り傷を負っていたのだという。その話を聞いて、俺は逆だと思っていたからかなり驚いた。

 それよりも一番驚いたのは、遥香の母親は既に別の男と付き合っていた事だった。

 既に大学に進学していた姉は、遥香の現状を見かねてか、妹をこれ以上苦しめないようにと母と住むことを決意し、まだ中学生だった妹は父親の元に残ったのだという。





 それで今に至っているというのだが、蒔田は少し寂しそうに告げてきた。


「小学生の時、両親の喧嘩を聞きたくなくて、私が裸足で家を出ていた時の事を覚えてる? あの時、こんな私を、長瀬クンも長瀬クンのおうちの方もみんな、私を受け入れてくれて、そして匿ってくれたよね? 私ね、あの時に長瀬クンから『いつでもウチに来なよ。僕が守ってあげる』って言われて、とっても嬉しかったの……」


 小学6年生の時の話しだそうだが、言った俺は正直覚えていない。

 小学生のくせに随分生意気な物言いをしたもんだと、少しばかり気恥ずかしくなる。


「もしかして、覚えてない? ……はぁ……私なんて、あの一言からあなたの事をずっと想っていたのに……」


 さりげなくつぶやいたその言葉に、思わず俺は絶句する。


「……え?」

「……え? あ!? あ、あのね、い、いや、なんでも、何でもないの!!!」


 急に顔を真っ赤にして首を振る遥香。

 だけど俺は、そんな彼女を見て、少しばかり胸の痛みが無くなった気がした。


「そっか……ありがとう、蒔田さん」

「や、やめて。ちょっと……いや、かなり恥ずいっ」


 あの時の1票が、まさかこんな思いがあったなんて俺は知らなかった。

 まあ、知るはずもないし、言われなければ知ることもなかった事だ。


「……あのね、長瀬クン」

「ん?」

「長瀬クンが葛那さんを好きだって事、クラスの友達から聞いたことがあったの。だから私……あなたに教えてあげようと思っていたの」


 涙で濡れた目をハンカチで拭いながらそう告げてくる蒔田に、俺は目を逸らさずに見つめ返す。


「……何を?」

「……葛那さんには、1年生の頃から彼氏がいたの」

「それって、もしかして津野田?」


 すると彼女はゆっくりと首を振る。


「違う。あなたのクラスの生徒じゃない…………私のクラスの生徒なの」

「え?」

「正直に言うけど、あなたが葛那さんに渡したラブレターの事、その彼から聞いたの。だから、うちのクラスの人たちは全員知っている。そして、それを葛那さんが長瀬クンのクラスの友人に見せるという話もね……」

「そ、そうなんだ……」

「……私は、それは人としてどうかと思うって、絶対にやっちゃだめな事だって彼に言ったけど……彼は止めようとしなかった。むしろ、これを機会に、葛那さんに他の男たちを近寄らせないようにすることが出来るって、逆に喜んで……」


 俺は呆然とした。

 単に好きな人がいるからと断ればいい話のはずだ。だけど葛那達がやった行動は、結果として俺を笑いものにし、他の男子が葛那に言い寄らない様に仕向けた悪意ある行動だったということだ。

 葛那が平然と悪意で応じる人だったなんて、俺は全く思いもしなかった。


「ごめんね。もっと早くに、長瀬クンに伝えることが出来ていたら……」


 再び俯き、悲しそうな声でそう告げてくる遥香を見て、俺は何かが吹っ切れた、そんな気がした。


「……ありがとう。蒔田さん」

「え?」


 顔を上げ、俺の顔を見た彼女が驚いた表情を浮かべる。


「……長瀬……クン?」

「ん?」

「笑って、いるの?」

「うん」

「どうして? 私を責めないの?」


 変な事を言う遥香に、俺は小さく苦笑いを浮かべた。


「なんで蒔田さんを責めないといけないの?」

「だって、私、知っていながら止められなかったし、投票の事だって……」


 言い澱む遥香を見ながら俺は首を振る。


「……あのね」


 ふっと笑みを浮かべて、俺は吐き出すように話しはじめる。


「……俺さ、SNSとかスマホで『好きだ』って伝えるよりも、直接自分の言葉で伝えたいって、何故かそう思っちゃったんだよね。古風だけど、少しでも俺の想いが伝わればいいなぁって程度に考えて、あえて手紙にしたんだ。でも、まさかクラスで読み上げられるなんて、あの時は思ってなかったけど」


 そう言って俺は少し俯く。


「そもそも蒔田さんは直接関わってないよね。だったら、俺が蒔田さんを責めるのはおかしいよ」

「でも……」

「それにね、蒔田さんに本当の事を教えてもらって、俺、ちょっと嬉しかったんだ。あの時の1票が『悪意あるもの』ではなく、『善意あるもの』だって知ることができたから」

「な、長瀬……クン……」

「だから、蒔田さんは悪くない。蒔田さんが悪いのなら、手紙を書いてしまった俺こそもっと悪いはずだよ」


 すると遥香は急に首を振りながら俺の手を取り、僅かに瞳を潤ませながら俺を見上げて捲し立てる。


「そ、そんなことないよ! わ、私だったら、お手紙を貰って凄く嬉しいって思うし……」

「え?」

「あ……、あの、私だったらよ? だ、だって、好きだってSNSで言われると、どうしても嘘っぽく聞こえちゃうけど、それが手書きのお手紙だなんて、私だったら凄く嬉しい……んだけどな……」


 語尾の声量が小さくなりながらも、中学校でも可愛いと評判の遥香にそう言われ、俺は思わず顔を赤くしてしまう。


「……あのさ、蒔田さん」

「な、なぁに?」

「俺、まだ女の子の事を心の底から信じ切れるほど立ち直っていないけど……でも、蒔田さん、こんな俺でも、これからも仲良くしてくれる?」


 その言葉を聞いた蒔田は、一瞬だけポカンとした表情を浮かべ、ぱちくりと瞬きを繰り返していたが、すぐに頬を赤く染めながら小さく何度も頷いた。


「もちろん。もちろんだよ! だって、長瀬クンは私の事を『守ってくれる』んでしょ?」

「もちろんだよ」


 俺は立ち上がり、遥香に手を差し伸べる。

 彼女は一瞬硬直するが、すぐざま微笑みを浮かべて俺の手を取ると、ゆっくりと立ち上がった。


「ありがとう。これからは俺、前を向くよ」

「うん。その方がいいよっ!」

「……ありがとう、蒔田さん」


 はにかみながら告げる俺に、遥香は少しだけ恥ずかしげな表情を浮かべて俺に告げる。


「遥香」

「え?」

「名前で呼んで欲しいかな。もう、全部言っちゃったし、今更だよね? 

「え? そ、そうだよね。じゃあ……


 お互いに笑顔を向け合うと、不意に太陽が雲の隙間から柔らかな光を地面に落としてくる。

 その暖かな光を受けて、お地蔵様が笑っている様に見えた。


「ほら、お地蔵さまも笑ってる。もう、悪い事なんて起きないよ」

「うん」

「じゃあ行こ? 勝也クン」

「うん。そうしよう。遥香さん」


 何方からともなく、ごく自然に手を握り合った俺たちは、小さくも綺麗なお寺の門を笑顔で通り去る。


「大きくなったら、また一緒に来たいね?」

「うん」

「誰にもバラされることなんてない私たちだけの約束。あはっ、何だか素敵じゃない?」


 ニコニコ笑いながらそういう遥香を見て、俺の心が温かい気持ちで満たされる。

 遥香の言う通り、この約束は俺たち以外誰も知らない。

 同じ空の下にいる彼らの誰一人として知ることは無い。

 もう、誰にも騙されることも、バラされることもない。


 俺は不思議と満たされた気持ちを抱き、遥香と一緒に宿泊先のホテルへと向かうのだった。



 


 修学旅行は、なんだかんだでその後何もなく終わった。

 俺を置いて行った奴らは謝罪をする事もなかったし、俺も聞こうともしなかった。


 ただ、一つ変わったことがある。それは、遥香が俺と一緒に登下校するようになったことだ。


 陰湿ないじめは続いたし、不良3人組から酷い事もされたりしたけど、その度に遥香が俺の傍に来ては、何も言わずに支えてくれた。そんな事が続いてからは、いつしか誰も俺にちょっかいを出してくる奴がいなくなっていった。





 中学卒業後、俺と遥香は同じ高校に通うことになった。更に不思議な事に、3年間、ずっと同じクラスで過ごすことになった。これも全て神様の贈り物だったに違いない。そう、思っている。


 あれから俺は、少しでも遥香に見合う男になる様努力した。

 体躯トレーニングをして痩せもしたし、苦手だった服にも目を向けるようにした。

 まあ、遥香がいろいろ協力してくれたのは言うまでもない。


 そして無事に高校を卒業。俺は私立大学の法学部へ進学し、遥香は国立大学の文学部へと進学した。



























 あの修学旅行から7年が経った。


 俺は今、京都駅のホームに立っている。


 今日は遥香と交わした約束を果たすために来た。


 あの時、一人置き去りにされなければ今の俺はなかった。


 色々な思いが頭を巡るが、落ち着かせようと俺は静かに番線表示を見上げる。

 

 あの時の俺は、置き去りにされ、独りぼっちだという現実を目の当たりにして涙を流した。


 でも、今は違う。


 



「……勝也」





 背後から呼びかけられ、俺は静かに振り向く。


 そこには、中学時代よりも伸ばした長い黒髪を静かに靡かせ、モカ色のパフ袖プリーツニットワンピースを着こなした綺麗な女性が立っていた。


「……遥香」


 俺が少し呆けた表情をして名を呼ぶと、中学・高校時代の面影を僅かに残したまま、ますます綺麗になっていた蒔田遥香が、嫣然と佇みながら小さく頷いた。


「久しぶり。元気だった?」

「ああ。遥香も元気そうでよかったよ」


 俺の言葉に微笑みで返す。


 高校卒業後、俺たちは年に1回だけ、地元に帰った時だけ会っていた。

 それでも、電話やSNSでのやり取りだけは続けていた。


 大学4年になった時、就職活動もあるため会う事を控えていた。

 お互いに希望の就職先に入職するため、真剣に取り組みたいからと、会わないようにしたのだ。


 そして、互いに希望の就職先に就くことが出来た。


 だから、俺は送ったんだ。


「……遥香、ちゃんと届いたかな?」


 俺の質問に、頬を僅かに染めながら微笑むと、遥香は鞄から白色の封筒を取り出し、俺に見せた。


「……以前も言ったけど、やっぱり凄く嬉しかった。………少なくとも、私には効果抜群だったみたい。このラブレター」


 その言葉を聞いて、俺は口元を綻ばせてしまう。


「そっか。それは俺の本当の気持ちだよ。で、返事はどうかな?」


 すると遥香は頬を染めたまま僅かに目を細め、俺の傍へと歩み寄りながら静かに呟いた。





「……あの日から、私の想いはずっと変わってない。知ってるくせに…………バカ」





 微笑みを浮かべながら、俺をふわりと抱きしめてくる。


 遥香の優しい香りで胸を満たしながら、俺は幸せを感じて抱きしめる。


 こんなに嬉しい事はない。


 あの時感じた、絶望の涙はもう流れない。





 何故なら、俺には遥香がいるのだから。




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