3 マコトとティサ

 ティサが一緒に寝たいと言うので、マコトは自分の部屋に彼女を泊めることになった。親と喧嘩した時とか、ヴィルカ夫妻の帰りが遅い時も、マコトはティサを預かることがある。もちろん訓練や任務の都合もあるので毎回ということはなかったが、ティサと過ごす夜は一人暮らしの寂しさを忘れさせてくれた。


「マコトおねえちゃんと一緒に寝るの、久しぶりだなぁ……」


 そう言って、ティサはベッドにダイブする。エアコンのタイマーをセットしてから、マコトはベッドに腰を下ろした。


「まぁ、最近は帰りが遅くなることも多かったからね……今夜だって、呼び出しがあればまた基地に戻らなきゃいけない……」


 マコトは帰りが遅くなった理由を言わなかった。この小さな友だちと同じ言葉を話す人間が、領空侵犯を繰り返している……そんなことは言えるはずがない。


「呼び出しがあったら、帰りはいつになるの?」


 マコトに尋ねながら、ティサは布団に潜り込む。


「まぁ、速く終われば朝までには帰れるかな?」

「じゃあ、朝ごはんも一緒に食べようね!」


 布団からひょっこり顔を出したティサが、屈託のない笑みを見せる。マコトはゆっくり頷くと、布団に身体を滑り込ませた。


「そうだね……帰ってきたら、一緒に朝ごはん食べようね。おやすみ……」

「おやすみ」


 ティサにおやすみのキスをしてもらい、マコトは照明のリモコンを操作して灯りを消した。



 明かりを消してからしばらくして、隣でティサがもぞもぞと動き始める。


「どうしたの? 眠れないの?」


 マコトが問いかけると、闇の中からティサの声が聴こえてくる。


「眠れない……っていうか、まだ寝ちゃいけないの」

「どういうこと?」


 ティサは答えず、ただ黙って額をマコトの肩に押し付けてきた。額の骨が肩の筋肉に食い込み、マコトはわずかに呻く。その痛みの強さに、マコトはティサの中に蓄積された想いの大きさを感じ取る。


 マコトはティサの身体を抱き寄せ、囁くように尋ねる。


「なにか嫌な事でもあったの?」


 布のこすれる音。ティサが頷いたのだ。


「学校で……私の名前がいじられたの……」

「いじられた? バカにされたってこと?」

「うん……私の苗字、みんなと少し違うから……サウレランド語で『オオカミ』って意味の名前だから、『オオカミ少女なら四つん這いで学校に来い』とか『遠吠えしてみてよ』とか言う子がいるの……」


 ギリリと奥歯が鳴り、マコトは自分が歯ぎしりをしていることに気付く。マコトの胸の奥で、ふつふつと怒りの炎が燃え始めた。


「それ、お母さんにちゃんと相談したの?」


 尋ねると、ティサはマコトの胸に顔を押し付け、こすりつけるように首を横に振る。


「お母さんに言ったら、泣いちゃう……お母さんはサウレランドが大好きだから、そのことで私がいじめられてるなんて知ったら、すごく悲しむと思う……」

「それはそうだけど……言わなきゃ何も変わらないでしょ? それに、お母さんにも言えないことを、どうして私には聴かせてくれたの? 私には何もできないのに?」


 ティサは黙り込む。マコトが答えを待っていると、闇の中からすすり泣く声が聴こえてきた。


「お願いしようと思ったの……」

「お願い?」


 強く、ティサがマコトの胸に顔を押し付けてきた。布と口の隙間から、ほとんど嗚咽に近いティサの声が漏れる。


「サウレランドをめちゃくちゃにして……マコトおねえちゃん、アルトリア軍のパイロットなんでしょ? やっつけてよ……あんな国・……!」


 ティサの言葉に、マコトの心臓が大きく脈打つ。マコトは理由を問いただそうとしたが、ティサの口から溢れ出した言葉の濁流に遮られた。


「私は……サウレランド人に生まれたくなかった! 普通にケルノス人として生まれたかった! 同じ言葉を話す人同士で戦争しているようなバカな人たち、私は大っ嫌い! だから……サウレランドをぶっ壊してよ……」


 ギリリ……マコトの奥歯が、また不快な音を鳴らす。これ以上強く噛みしめたら、奥歯が砕けてしまいそうだ。


「無理だよ、私には権限が……いや、私はサウレランドを、ティサちゃんの祖国をぶっ壊すために飛んでる訳じゃない」


 ティサが顔を上げ、ヒステリックに叫ぶ。


「どうして⁉ アルトリアはサウレランドをやっつけるために、ケルノスに基地を作ったんでしょ⁉」

「違う!」


 違くない。口から出た言葉と真逆の言葉が胸中に響く。アルトリアは大公派を潰す機会を、虎視眈々と狙っている。だが、今のマコトは大公派も共和派も、ケルノスもサウレランドも、そしてアルトリアもどうでも良かった。


「私はね……ティサちゃんの口から、『サウレランドをやっつけて』なんて聞きたくなかった……」


 マコトはティサの髪に顔を埋める。


「今日カリンさんが……ティサちゃんのお母さんが聴かせてくれた昔話を、私はすごく素敵だと思ったの。ただの石ころやガスの塊でしかない月と太陽に、優しいお母さんとお父さんを重ねる……そんなサウレランド人の感性が好き。でもって、そんな素敵な文化の中で育ったカリンさんとレナルトさんが、私は大好き……」


 ティサが何か言おうとして、マコトはその口を塞ぐように腕の力を強める。


「私のお母さんとお父さんがこの昔話を知っていたら……私も寂しい想いをしないで済んだのかもしれない。八歳と九歳と十歳の時と、十二歳と十三歳の時も、ずっと待ってたのに……」


 生温い何かがマコトの目からこぼれ、枕を濡らす。


「待ってたって……何を?」


 ティサの問いに、マコトは涙声で答える。


「誕生日プレゼントだよ……バースデーカードも、パーティーもずっと待ってたのに……ずっと一人ぼっちで……」


 十一歳の時、誕生日プレゼントとして黒猫の絵が入ったマグカップをもらった。しかし、誕生日プレゼントをもらったのはそれが最初で最後だった。裏切られたと思ったマコトは、十二歳の誕生日にマグカップを壁に叩きつけた。マグカップが割れる音は、今でも生々しく耳に残っている。


「ティサちゃんには、あんな素敵な両親がいる。他の子たちと少し違う言葉を話していたとしても、ティサちゃんはその言葉で誕生日を祝ってもらえる……それがどれだけ幸せな事か、キミには解らないの⁉」


 鎮火したはずの嫉妬の炎が、胸の奥で再燃を始める。腕の中の黒髪の少女は、自分より恵まれた環境にありながら、それを破壊したいと願っている。だったら、そこを代われよ! その紅葉みたいに小さな手で操縦桿を握って、大公派の基地に核爆弾を落としてこいよ! 頭の中にこだまする叫びが、マコトの腕の力を更に強める。


 このままでは、ティサを絞め殺してしまう……マコトの理性が警告を発した時、ベッドの脇に置いた携帯電話が振動を始めた。緊急の電話らしい。


 我に返ったマコトは、ティサを殺そうとしていた手を伸ばし、携帯を掴む。画面に表示された応答ボタンを押すと、ショウの緊迫した声が飛び込んできた。


〈スクランブルだ! 今すぐ基地に来てくれ!〉

「解った。他の機はもう上がったの⁉」

〈それが、待機していた機体のエンジンとシステムが、丸ごとぶち壊れたらしい。それも、離陸前のプリフライトチェックをやってた時のミスでだ! チクショウ、こんな時に……〉

「取り敢えず、今からそっちへ行く。終電は過ぎてるけど、バイクで飛ばせば間に合うかも!」

〈頼むぞ!〉


 そう言って、ショウはプツリと電話を切る。彼も相当急いでいるらしい。


「お仕事?」


 ティサが不安げに尋ねる。マコトは頷き、彼女の細い肩に手を置いた。


「そう、お仕事だよ。でも、それはサウレランドをやっつけることじゃない。私は今から、ティサちゃんを守るために飛んでくるの……」


 基地を守ることは、周辺の民間人を守ることにもつながる……任務としては間違っていない。だが、マコトの感情とは矛盾していた。マコトはティサへの嫉妬心を、パイロットとしての使命感で押さえつける。そうしなければ、帰ってこれない気がした。


 窓から月明かりが差し込み、ティサの顔を照らす。白い頬に光る波だの筋が、マコトの胸をグサリと刺した。

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