2 ヴィルカ家の夕食

 夕方、勤務を終えたマコトは、基地を出て路面電車に乗り込む。エポナ基地は敷地が狭く、兵舎の部屋数が足りない。そのため、将兵の多くは民間の集合住宅などに住んでいる。マコトも基地の外に借りたアパートから、路面電車で通勤していた。


 石畳に敷かれたレールの上を、ボロ電車がガタガタと揺れながら走る。車両が古ければ内装も古めかしく、天上には豆電球がぶら下がり、木製の手すりや窓枠に頼りない明かりを落としている。車窓に目を向ければ、夕日に沈む石造りの建物が後ろに流れていき、その向こうにそびえる基地のレーダー塔は浮いて見えた。


 何もかもが古いエポナ市の街並み……マコトが生まれ育ったアルトリアとはまるで違う。あの国では、見上げればいつもガラス張りのビルが空を四角く切り取っていた。エポナ市の建物はどれも背が低く、空の広さが故郷との距離を意識させる。


 エポナ基地を有するケルノス王国は、ガイア大陸北西部の北極圏に近い地域に位置している。アルトリア本国からはセレイネス海を超えて、東向きに地球を四分の一周するほどの距離だ。この距離を戦闘機で飛ぶには、一切の武装を外し、増槽を抱き、何度も空中給油を繰り返す必要がある。


 これほど離れた異国にアルトリアが軍事力を配備している背景には、仮想敵国であるハン王国の存在があった。


 ハン王国はガイア大陸北部に広大な国土を有し、世界的にも大きな影響力を持っている。ケルノス王国と内海を挟んで向かい合うサウレランドでも、ハン王国の支援を受けた大公派が、対立する共和派と内戦を続けている。親ハン王国政権の誕生を阻止したいアルトリアは共和派を支援し、隣国の内戦は二大国の代理戦争という様相を見せていた。


 今朝マコトたちが撃墜したのも、ハン王国が大公派に提供した機体だった。ここ数ヶ月の間、ケルノスの領空に大公派の戦闘機が接近する事件が相次いでいる。その内の何回かは格闘戦に発展し、稀に相手を撃墜することもあった。


 午後に行われた作戦会議では、マコトたちは情報機関による分析結果を聴かされた。それによると、大公派はアルトリアに基地を提供するケルノスを脅迫する狙いがあるという。また、ケルノス国民の不安を煽って、反アルトリア的な世論が高まることを期待しているようだ。


 バカバカしい……マコトは胸中に吐き捨てる。ケルノス国内には、多くのサウレランドからの難民が暮らしている。大公派がケルノスを攻撃すれば、彼・彼女等にも危険が及ぶ。それに、ケルノス国民の反感がアルトリアではなく、難民たちに向くこともあり得る。そうなれば、あの黒髪の少女は……


「あ、マコトおねえちゃん!」


 少女に声をかけられ、マコトは我に返る。気が付けば、壁に蔦を這わせたアパートの前にたどり着いていた。


 声のした方を見ると、小さな女の子がバルコニーからひょっこりと顔を出し、黒い髪を夕方の風になびかせていた。マコトの隣の部屋に暮らす、ティサ・ヴィルカだ。


「ただいま、ティサちゃん」


 マコトの言葉に、ティサはパッと笑顔を咲かせる。ティサは一旦中に引っ込み、通りに面した共用の出入り口からパタパタという愛らしい足音と一緒に飛び出してくる。


「おかえり!」


 ティサはマコトの腰のあたりに抱き着く。マコトは彼女の頭をポンポンと撫でながら、細い腕が身体に食い込む痛みに呻いた。


「ヴェッ……喜んでくれるのは嬉しいけど、痛いって」

「だって、今朝は早く出かけちゃって、会えなかったんだもん!」

「解ったから、解ったから放してよぉ……」

「ヤダ!」


 マコトは観念し、ティサの気が済むのを待つ。二、三分くらいしてやっと放してくれたかと思えば、ティサはマコトの手を引っ張り、彼女とその家族が住んでいる部屋に引き入れようとした。


「ちょっ、先ずは荷物置かせてくれる?」

「ダメ!」

「そんなぁ……」


 だが、マコトは抵抗しない。自分の部屋の扉にチラリと目をやり、そのままティサの部屋に連れ込まれる。


「あら、マコトちゃん。おかえりなさい」


 よろめきながら入ってきたマコトを、ティサの母親のカリンさんが迎える。マコトは少し躊躇いがちに、「お、お邪魔します……」と会釈する。


「ただいま、でいいわよ」

「た、ただいま……」


 カリンさんは「おかえりなさい」と微笑んだ。


 家の奥を覗くと、夫のレナルトさんが夕食の準備をしていた。彼はマコトの存在に気付くと、「夕食、一緒にどうだい?」と声をかけてくる。


「良いんですか?」

「もちろんさ。ティサも一緒がいいだろ?」


 レナルトさんが白い歯を見せてはにかむと、ティサは大きく頷いた。



 カリンさんとレナルトさんは、十一年前に難民としてサウレランドからケルノスにやってきた。その時、ティサはまだカリンさんのお腹にいて、彼女が産まれたのはケルノスに来てからだった。そのため、ティサは彼女の祖国の風景をニュース映像でしか見たことがない。カリンさんは娘のために、サウレランドで過ごした思い出を毎日のように語っている。


 その日も、夕食後にコーヒーを飲みながら、カリンさんはサウレランドに伝わる昔話をティサに聴かせた。マコトもティサの隣で、じっと彼女の話に耳を傾ける。


「どうして昼と夜があるか、ティサには解る?」


 ティサは大きく頷き、理科の授業で習った知識を披露する。


「地球が回ってるからでしょ? でも、ピッタリ二十四時間じゃないから、何年かに一度、世界で一斉に時計を合わせるんだよね?」

「正解! よくできました。でも、天体望遠鏡がなかった時代は、そんなことは解らなかった。昔の人たちはその代わり、様々な素敵な物語を考えたのよ……」


 食器の片づけを終えたレナルトさんが食卓に戻ってくる。それを待っていたように、カリンさんは続きを話す。


「昔のサウレランドの人々は、太陽と月が夫婦だったと考えていたの。でも、ある時二人は夫婦喧嘩をして、離婚してしまったの。だけど、彼等の間には大地という娘がいて、二人とも彼女に会いたがったわ。だから昼と夜、交互に太陽と月が大地の顔を見ることになったのよ……」

「別れても娘に会いたがるなんて、太陽と月は優しいんだね!」


 ティサの言葉に、カリンさんが頷く。


「そうよ。それに、夫婦はずっと仲が悪い訳じゃないの。何十年かに一度、日食の日だけは、家族三人で一緒の時間を過ごすの」


 カリンさんの話を聴きながら、マコトは自分の両親のことを考える。もう顔も思い出せない。覚えているのは、仕事に出かけていく背中だけだった。


 二人が離婚したとして、毎日マコトに会いに来てくれるだろうか? そんなことはない。両親は全てが仕事優先の人間だった。娘を疎んじて寄宿学校に押し込んだ男女だ。きっと、離婚すればマコトのことをすっかり忘れてしまうだろう。


「ただの天体現象にそんなストーリーを加えるなんて……昔のサウレランドの人たちは、ロマンチストだったんですね……」


 「両親とは違って」と言外に付け足し、マコトはマグカップに口を付ける。コーヒーが舌先に触れた瞬間、その味に思わず顔をしかめた。レナルトさんが淹れたコーヒーはいつもまろやか味わいなのに、今日はひどく酸っぱい。


「ロマンチストと言えば、レナルトが私にプロポーズしてくれたのも、日食のときだったわ!」


 思い出したように、カリンさんが再び口を開く。


「えっ⁉ ホントですか⁉」


 マコトはレナルトさんの方を見る。彼は恥ずかしそうに頭をかいて、頬を赤らめた。


「い、いやぁ……あの頃は若かったから、柄でもなくカッコつけてみたんだよ……今同じことをしようとしても、恥ずかしくてできないよ……」

「今でもカッコいいわよ。毎週末に花をプレゼントしてくれるじゃない?」

「そ、それは……」


 妻の言葉にたじろぐレナルトさんを見て、マコトはクスクスと笑う。本当に、素敵な家族だ……しみじみとそう思う。


 隣に座るティサも、両親を見て笑っていた。その丸い横顔を見て、マコトの胸の奥でジメジメとした感情がうごめく。


 素敵な昔話を語ってくれる母と、ロマンチストで料理上手な父……自分の両親と比べれば、ヴィルカ夫妻はマコトにとって理想の親だった。そんな二人に愛されて育ったティサに、マコトは時々嫉妬に近い感情を抱くことがあった。


 胸に燃える嫉妬の炎を鎮めようと、マコトは再びコーヒーをすする。丸くなるどころか、より尖った酸味が舌を刺した。

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