月夜に雀が鳴いたら
赤木フランカ(旧・赤木律夫)
1 ナイトスパロー
待機室を出ると、肌を切るように冷たい風が顔に叩きつけた。それでも少し前と比べれば、わずかに柔らかさを感じる。冬の終わりが近いのだ。
しかし、季節の移ろいに感慨を覚えている余裕はない。在外アルトリア空軍のエポナ基地所属、第505戦闘飛行隊「モロクス」の矢頭マコト少尉は、ヘルメットを被りながらエプロンに走る。スクランブルだ。
エプロンには単発の小型戦闘機が駐機されている。SF-12C「ジェスター」。その愛称は「殺人ピエロ」を意味するが、「気味が悪い」と現場では不評だった。パイロットや整備士の間では、「ナイトスパロー(夜雀)」という非公式な名前の方が定着している。マコトも小さくてすばしっこい機体にお似合いだと思っていた。
ナイトスパローのコクピットに乗り込むと、マコトはエンジンに火を入れる。動翼の作動や各種システムなどのチェックを手早く済ませ、滑走路へ進入する。着陸脚のタイヤが転がる振動に重なるように、マコトの鼓動も速くなる。
〈マコト、キミのコールサインはモロクス1だ。離陸を許可する。グッドラック〉
「了解。矢頭マコト、上がります!」
管制塔からの通信に応え、マコトはブレーキを外す。同時にスロットルレバーを倒し、アフターバーナーを吹かす。単発のエンジンが野性的な咆哮を上げ、弾かれたように滑走開始。大きな主翼に風を受け、ナイトスパローが離陸する。
エポナ基地を発進したマコトとその僚機は、作戦指揮所の誘導に従って南東を目指す。眼下に広がる紺色の海に、朝日が光の粒を散りばめている。まるで夜空からこぼれた星が溜まっているようだ。
そんな幻想的な景色の中に、ナイトスパローの機首に搭載されたレーダーが不明機を発見する。小型の戦闘機が二機、海面スレスレを亜音速で飛行している。
マコトは無線の周波数を切り替え、不明機に警告する。
「こちら、アルトリア空軍のモロクス隊。所属不明機に告ぐ。貴機はケルノス王国の領空に接近しつつある。直ちに所属と飛行目的を明かし、我が方に帰順せよ……」
反応はない。
「繰り返す。こちらはアルトリア空軍……」
再び呼びかけようとしたマコトの言葉を遮るように、警告音が鼓膜に突き刺さる。不明機から火器管制レーダーの照射を探知。ほぼ同時に、無線の向こうで僚機のショウ・ヤン少尉が叫ぶ。
〈所属不明機より四つの飛翔体が分離……ミサイルだッ! 俺たちに向かって突っ込んでくるッ!〉
「モロクス隊、回避!」
僚機に指示を出し、マコトは操縦桿を右に倒す。マコトのナイトスパローは螺旋を描くように機体をひねる。同時にECM(電子妨害装置)を作動させ、迫りくるミサイルに電磁波ビームを照射する。ビームにシーカーを焼かれたミサイルは目標を見失い、一瞬前までマコトの機体があった空間に突っ込み、自爆する。ダメージを負う距離からは離脱していたが、押し寄せた衝撃波にマコトの機体は揺さぶられた。
〈作戦指揮所よりモロクス隊、不明機は敵機と判断し、火器の発射を許可する。交戦せよ!〉
「モロクス1、了解!」
マコトの後にショウも〈2、了解〉と続く。
通信の間に、敵機は加速しつつ急上昇。二手に分かれ、マコトとショウの機体にそれぞれ攻撃を仕掛けるコースを取る。
機体が発する警告音を聴きながら、マコトは敵機の方へ機首を向ける。長距離ミサイルを選択し、ロック。二発を同時に発射する。軽い振動と共に、ナイトスパローの主翼の下から白い航跡が伸びていく。マコトの目には見えないが、その先に敵機がいるのだ。
ディスプレイ上にミサイル到達までの時間が出る。だが、カウントがゼロになる前に「攻撃失敗」の表示。敵機はマコトと同じように、ECMでミサイルの誘導を妨害したらしい。
敵機との距離が詰まる。マコトは咄嗟に武装を短距離ミサイルに切り替えるが、間に合わない。ロックオンが完了する前に、マコトの機体と敵機が交差する。
その一瞬、マコトの機体に搭載されたカメラが敵機の姿を捉える。機体規模はナイトスパローと同程度の単発機だが、水平尾翼がない。代わりに、主翼の前方に小さな操舵翼(カナード)が配置されている。それらの特徴を元に機体に搭載されたコンピューターが機種を割り出し、ディスプレイに「JaD-21『ダストロ』」という名前が光る。
マコト機の攻撃をやり過ごしたダストロは、再度攻撃をしかけるため旋回を始める。首を巡らし、マコトはダストロの翼端が引く航跡雲を目で追う。HMD(ヘルメットマウントディスプレイ)が航跡雲の先にダストロの姿を捉え、ターゲットボックスで囲む。
「FOX2ッ!」
ミサイルが目標を捉えていない状態で、マコトは発射ボタンを押し込む。ダストロは自機の後方についていたが、マコトの視線と連動するHMDが発射されたミサイルに目標情報を送信し、中間誘導を行う。ミサイルは推力偏向ノズルを用いて急角度で旋回し、目標を捕捉する。
マコトの頭上を、ミサイルに搭載されたロケットモーターの光が擦過する。直後、後方から閃光が差す。バックミラーには、エンジンを破壊されたダストロが、ゆっくりと落ちていくのが映っていた。
機体の姿勢を立て直し、マコトは撃墜した敵機を目で追う。その主翼に菱形を六芒星で囲んだ国籍マークを見て、マコトの口の中に不快な苦味が広がる。無意識に食いしばっていた奥歯が、ギリリと鳴った。
〈こちらモロクス2、敵機を撃墜した。マコト、そっちはどうだ?〉
ショウの機体が横に並ぶ。だが、彼の声はマコトの耳には雑音にしか聞こえなかった。
キャノピーの向こうに、マコトがよく知る少女の顔が揺らめく。黒檀のように黒い髪と、子犬を思わせるあどけない顔立ち……マコトがもっとよく見ようと目を凝らすと、少女の幻影は撃墜したダストロに変化し、白い波を立てて冷たい海に没した。
〈オイ、マコト⁉ 大丈夫なのか⁉〉
ショウの声がぴしゃりとマコトの頬を打つ。現実に引き戻されたマコトは、慌てて僚機に状況を伝えた。
「あ、ゴメン……私は大丈夫……」
〈大丈夫なら返事しろよ……心配するじゃないか……〉
無線越しにショウが安堵の息を漏らす。
「こちらモロクス隊。敵機全滅を確認……帰投する」
作戦指揮所に報告したマコトは、再び海面に目を向ける。少女の幻影はおろか、敵機の残骸さえも見当たらない。濃紺の海面には波だけが立っていた。
口の中に残る苦味を確かめ、マコトはナイトスパローを帰投コースに乗せた。
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